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貪欲が悩みを生む。アンガーマネジメント

人が自分の言う通りに動いてくれない。教えたり、宥めたり、八方手を尽くしても相手は変わらない。むしろ意固地になっていく。

「怒りは敵」 (徳川家康)。怒りをこれほど端的に定義した言葉を知らない。怒りは100万の軍勢よりもわが身を危険に曝す。

「今幸せに成りたければ怒りなさい。永遠に幸せに成りたければ、怒らずにいなさい。」「怒り狂ったときには、じっとして何もするな。それは嵐の海に船を出すようなものだ。」(この辺色んな人の引用です)

怒りは、本人の内奥にある秘密を曝け出す。怒る人は悲しい気持ちでいる。本当は人の無理解に泣きたい気持ちでいる。

だから、他人が怒っているときは、なぜそんなことで怒るのかよく分からないし、目的と手段を取り違えているようにみえ、滑稽に映る。憐れむべき人として扱うのがいい。

だから、私はこうされて悲しい、残念に思っている、失望している。困っている。そういう伝え方なら、まだ角は立ちにくい。

人を自分の思うようにしたい、という欲があると、謙虚さが欠け怒りやすい。人はままならないもの、変えようと思わない、期待しないのが良い。

それより自分が相手に合わせて変える方が賢明だ。主が自らを変えるために遣わしてくださったとでも思おう。完璧を追求せずほどほどにやっていこう。

それから、行為の結果をすぐに知ろうとするのも良くない。雪が解ければ見えてくる。(ゲーテ)

復讐は吾にあり。即ち「主が裁かれる」。あなたに無礼な人は他の人にも無礼なものだ。しばらくすれば他の人が無礼な人を窘めたり、喧嘩したり、怒ったりする。神が人を遣って真実と正義を実現するはずだ。時の審判に委ねなさいということ。

怒ることは不信心の表れでもある。主イエス・キリストの御業を信じ切ることが出来なかった、という意味で。(クリスチャンなら)

先頭を切って人を糾弾するのは、物事に敏い人々にやってもらえば良い。

物事が期待通り行かないことから、怒りや悲しみが生じる。信心があれば、貪欲が去れば、怒ることも嘆くこともない。主の御心に従う。それを神が与えた試練と思えば、幾分穏やかにもなる。

欲張らず、ほどほどで考えていればいい。
「それは大したことじゃない」(ウォーホル)
「なるようになる。全てはなるようになる。あとは人がそれを愛しさえすれば良いのだ。」(ロマン・ロラン)

また「過度な自己批判によって、あなたに幸せになって欲しいと思っている人々を悲しませたりしてはいけない。」(絲山秋子)「もっとできたのではないか」と嘆くのも、自分に対する一種の欲だったりする。

時には怒ることで目的が達成できてしまうこともある。大人しいから騙されている、バカにされているのかな?という不安もある。

しかし、これは避けるべき道だ。ゴッズ・ラス(God's Wrath)(神の怒り)という言葉があるが、人が代わりに行えることではない。いつかは転ぶ道だ。

そこを辛抱できないのは、欲が張っているからだ。多少騙されても、馬鹿にされても鷹揚にいよう。ヘラヘラ笑って「ネバーマインド」とか言ってみればいい。

貪欲によって不安が生じ、欲を離れることによって感謝が生じる。

古今東西、これは変わらないようだよ。

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