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満洲からの引揚者家族のファミリーヒストリーと特徴的な時代感覚

(はじめに)


 
 私は戦後生まれですが満洲からの引揚者の話にとても共感します。
 私は昭和27年(1952年)の戦後生まれで、今年5月で59(71)歳になります。しかしながら私は、両親が満州からの引揚者で7人目の子どもの末っ子なので、時代感覚が同世代の長男長女の戦後生まれの人たちとかなり違うようです。それで、私は、満州からの引き揚げのことが書かれた小説や、戦後すぐの世相を反映した歌や映画に大変共感します。また、テレビで、最近、私より少し年上の漫才師の大助花子さんのファミリーヒストリーを見て、大助さんに大いに共感しました。本拙文は、今も全国にたくさんいる、満洲からの引揚者の時代感覚のお話です。日本の歴史の一部だと思って、ご笑覧いただければ、大変嬉しいです。
 

1.    末男の私と長女の妻との時代感覚の差


 
 私の兄達のうち2人は、戦前の満州生まれなので、そのうち長兄は昭和15年(1940年)生まれ、次兄は昭和18年(1943年)生まれです。それで、私は父母や年長の兄達から昔の話をよく聞いて育ったので、4歳年下の妻には、私は丸で1世代前、つまり30歳くらい年上の人のようだとよく言われます。
 因に妻は長女で、昭和31年(1956年)東京の荒川区の生まれです。「お化け煙突」の近くで育ちました。そうです、このお化け煙突だって、今の若い人にはわからないでしょう。今(平成23年(2011年))建設中の東京スカイツリーのあたりです。東京スカイツリーはあのお化け煙突のイメージをもとにした設計になっているそうです。
 10年は一昔といいますから、50年も60年も前の話というのはほとんど、歴史上のことのような感じになりますね。でも私には、父母や長兄や次兄の経験の話が丸で自分の体験のように感じるので、50~60年前どころか80年も90年も前の戦前の長兄や父母などの満州時代の話や戦争体験は全く自分のことのように、大変身近に思ってしまうのです。妻は私に「貴方はそういうことに共感出来る最後の人でしょう」と言います。そうかも知れません。
 
 

2.    満洲からの引揚者の家族の事を書いた小説


 
 ですから、中国残留孤児の話や満州時代を主題に据えたなかにし礼さんの小説には非常に共感するのです。「赤い月」、「戦場のニーナ」、これらの話には、わたしは涙を禁じ得ません。
また、最近(2011年)、26歳の息子に勧められて、角田光代さんの「ツリーハウス」という本を読みました。満州時代に結婚した祖父母、満州で生まれた子供と引き揚げ後日本で生まれた子供、そしてその孫達の一家三代の話です。架空のお話ですが、私の一家の話を書いているのかと思いました。なぜなら、年齢構成や時代背景がそっくりなのです。
 

3.    戦後昭和20年代に生まれた子供たちを描写した映画や歌


 
 皆さんは、小栗康平監督の映画「泥の河」を見たことがあるでしょか。大阪の郭(くるわ)舟で生活をする少年と陸で生活する少年の友情の物語ですが、船上生活者の少年が歌った軍歌は、私が小さい頃よく3つ年上の昭和24年(1949年)生まれの三兄と歌ったものでした。「ここはお国を何百里、離れて遠き満州の、赤い夕日に照らされて、友はのづえの石の下」。ああ、映画に出て来る「泥の河」の少年たちは、私たちだと思いました。
 また、歌手の杉田二郎さんが、私が学生時代に「戦争を知らない子供たち」を歌ってヒットしました。杉田二郎さんは、、昭和21年(1946年)の戦後生まれで、私よりも6歳上です。なので、確かに、杉田さんも私も戦争を知らない子供たちでした。
 

4.  宮川大助花子の大助さんの方の「ファミリーヒストリー」


 
 数ヶ月前(2010年8月22日)、NHKの番組で「ファミリーヒストリー」というのを見ました。漫才師の宮川大助花子の大助さんの方の「ファミリーヒストリー」です。大助さんは、昭和25年(1950年)の戦後生まれですが、上の2人のお姉さんとお兄さんは戦前朝鮮の清津あたりの満鮮国境に近いところで生まれて住んでいました。敗戦となり満鮮国境を越えて満州側に日本人は集団で逃げました。しかし、父母と子供2人がどうしても一緒には行けず、子供の姉と弟の2人だけをトラックに乗せて先に行かせました。親子バラバラになってしまい、満州の奉天かどこかの日本人収容所で再会するまで、父母は焦燥の思いに駆られました。小さな弟を連れた姉もわずか10歳やそこらです。逃避行で辛酸をなめました。その姉は戦後工業高校を出て、就職しましたが不本意な職場に就いたため、若くして鉄道自殺してしまいました。父は、娘の無念を思い、急速に老け込んでしまったそうです。ああ、うちの家族と同じように、大助さんの家族も戦後も過酷な経験をしたんだと、私は、大助さんに大きな共感を覚えました。大助さんの妻の花子さんと漫才師を目指している娘さんが、大助さんがインタビューで泣いているのを、舞台の袖で見て2人とも泣いておられました。歴史に翻弄された家族の涙を見て、私もテレビの前で泣きました。
 

5.    満洲からの引揚者家族の特徴的な時代感覚


 
 私は、満州のことを本当に良く考えます。実際には行ったこともないのにです。私は、なかにし礼さんや角田光代さんの小説を読んでいて気づいたことがあります。それは、「私は、いつも、どこにも属している場所がない人間だ」と無意識に思っていたことでした。引き揚げて来た父母は郷里では、実家からわずかに10kmくらいしか離れていないところで家を買って住んでいましたが、地元の人々からはいつもよそ者と見られていましたし、私たち子供達も、何か地元の人々に完全にはとけ込めませんでした。いつもよそ者と見られていたからだと今になって思います。なかにし礼さんや角田光代さんの小説の登場人物が、いつも抱いている感覚、「デラシネ(根無し草)」。そうだ、私の兄弟の皆が無意識に感じていたのは、これだと思ったのでした。これが、満洲から引揚者家族に共通する特徴的な時代感覚だろうと、私は気づいたのでした。
 

(おわりに)


 
皆さんはどう思われますか?今だったら、帰国子女の方々が、この感覚「デラシネ(根無し草)」を、共通して持っておられるのじゃないでしょうか?
 
 
 
平成23年(2011年)2月19日 随筆
平成25年(2013年)1月2日 修正加筆
令和5年(2023年)10月12日 加筆
 
*なお冒頭の写真は、満州国国旗です。Wikipediaから引用させていただきました。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Flag_of_Manchukuo.svg  
2018年11月12日 (月) 16:12 更新分
 

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