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白菊特攻隊の話

これは私が、大正5年生まれの亡母や、親戚の亡大伯父さんから聞いた話です。

母には、香川県三豊郡財田大野村庵下(現三豊市山本町庵下)に為広フタミという従弟がおりました。この従弟は特攻で戦死しました。白菊特攻隊という、多くが四国出身者で構成された部隊がありました。この部隊には、この為広さんと香川県三豊郡財田村(現三豊市財田町)のお寺の息子もこの特攻隊に属していました。その弟さんが今はこのお寺の住職になっています。その弟さんも、20年ほど前にテレビで、兄が所属していたこの白菊特攻隊のことを語っていました。

為広さんは、特攻に出る前に、父親(母の伯父さん)に、(昭和20年)6月○日に、実家近くの財田川に架かる祗園橋上空を通過するから、そこで旋回した飛行機が私だから、必ず家から出て見てくれとの手紙があったそうです。伯父さんと伯母さんは、その日、家を出て祇園橋の上から上空を見つめていたら、この橋の上を2回旋回して、その飛行機は南へ去っていったそうです。そして、その後、沖縄で、息子が戦死したと、軍から公報が届きました。この白菊特攻隊が散華してわずか2か月後に日本は敗戦しました。伯母さんは、フタミは無駄死にしたと泣いたそうです。

昭和30年代私が子供のころ、この為広の大伯父さんの家を訪ねて行ったら、居間の壁に、飛行機乗りの軍服姿の息子の写真を等身大にして貼ってありました。大伯父さんは、息子のことを誇りにしていましたが、とても辛そうに、子供の私にも、祇園橋の上を旋回して南に飛んでいったんだと、語ってくれたのを覚えています。
 

*なお、冒頭の写真は、下記のURL:https://www.shiragiku-tokkoutai.com/
の中から、白菊特攻隊員の集合写真の1枚を引用させて頂きました。
 *白菊特攻隊の生き残りに、「水戸黄門」の黄門役の俳優、故 西村晃さんがおられます。
 

令和6年(2024年)2月2~17日随筆


*2024年4月9日、この為広フタミさんと非常に似た話が、郡山でもあったことを、偶然知りました。下記のインスタグラムを見て私は泣きました。
https://www.instagram.com/reel/C5QP9JbL2gp/?igsh=YzBpYWlvZ2U1bnd0

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