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1945年の父母と兄2人の実体験から、朝鮮半島は8月15日を過ぎても9月1日までは日本の施政権下のままであったと言える

(はじめに)


 
 毎年8月15日の終戦記念日になると、思い出すことがあります。それは、父母と幼かった兄2人の実体験です。この実体験から言えることは、朝鮮半島は昭和20年(1945年)8月15日を過ぎても、9月1日までは日本の施政権下のままであったといえることです。もう、実体験をした方々の証言を得るのが、難しくなってきた戦後68年(78年)の今、歴史の証言のひとつとして、以下の拙文をご覧いただければ、大変嬉しいです。
 
 

1.    68年前の今日8月17日、安東から京城行きの列車に乗る


 
 今(平成(2013年))から68年前の今日、昭和20年(1945年)8月17日の朝、私の父母とまだ幼かった2人の兄は満洲から内地への引き揚げの為、満鮮国境の町安東(現丹東)から、京城(ソウル)行きの列車に乗りました。二、三日すると八路軍(中国共産党軍)がこの町安東に来て、この町の施政権が満州国(日本)から、共産党軍に移るという情報を得たからです。これがおそらく日本の施政権下安東発ソウル行最後の列車でした。その3日後の8月20日に、朝鮮半島はソ連により38度線が封鎖されたからです。それから現在に至るまで、安東-ソウル間の列車はありません。これが本当に最後の列車だったと考えられます。
 私の父母と兄2人は8月17日のお昼頃ソウルに着きました。それから、朝鮮総督府高官であった叔父(私の大叔父)の家に家族4人でしばらく厄介になっていました。
 

2.  8月31日、京城から釜山までの列車に乗る


 
 8月30日、叔父から「9月1日から、朝鮮の施政権が日本からアメリカ軍に移る。明日8月31日の関釜連絡船が日本の施政権下の最後の運航となる。」との情報を得ました。叔父は残務整理のためアメリカ軍との交渉があるので、家族ともどもソウルに残るとのことでした。それで、私の父母と兄2人は8月31日ソウルの叔父の家を出て、釜山までの列車に乗りました。着くと釜山の駅と港は、日本軍の憲兵隊がコントロールしていました。そして、この最後の関釜連絡船興安丸に乗り、翌日の9月1日、内地の山口県仙崎港に帰ってきました。
 
これは、私の父母と兄2人の実体験です。父母はとも28歳、幼い2人の兄は当時5歳と2歳でした1)。
 

3.    8月15日を、韓国では光復節として独立を祝っていることへの疑問


 
 以上の私の父母たちの実体験から、疑問に思うことがあります。それは、韓国では8月15日を光復節として日本からの植民地支配から解放された独立記念日として祝賀していることです。しかしながら、厳密に言うと韓国は歴史認識を誤っているのではないでしょうか。
 上の父母たちの実体験からみて、日本が8月15日に降伏したからといって、直ちに、日本が全ての植民地を失ったわけではないことがわかります。少なくとも8月15日から8月31日までは、朝鮮半島は日本の植民地のままであり、日本の施政権が存在していたはずです。なぜなら、上で述べたように、8月31日釜山の駅と港は、まだ、日本の施政権下にあり日本軍の憲兵隊がコントロールしていたからです。したがって、国際法上は1945年9月2日の戦艦ミズリー号上での降伏文書署名までは、朝鮮半島は日本の植民地のままであったはずだと、毎年この時期になると私は思うのですが、皆様はどう思うでしょうか。
 このことを私のブログで皆様に質問してみました。
 

4. 朝鮮半島の真の解放と独立は、1945年9月9日と1948年8月13日ではないのか


 
私の上の質問に対し、多くの方から下記の様な貴重な情報を頂きました。
 
 zxmn12345aさん、ご回答ありがとうございました。おかげさまで、韓国独立は1948年8月13日ということがわかりました。その後在朝鮮アメリカ陸軍司令部軍政庁の記事を見つけまして、「朝鮮半島の統治権移譲の調印は1945年9月7日にアメリカ軍と日本軍との間で行われた。従って8月15日から9月7日までは日本が朝鮮の統治権を持っていた。」ということを知りました。確かに私の両親は、8月31日に日本の国家権力の象徴である日本軍の憲兵が護衛する釜山の港から、興安丸に乗って帰ってきたのはこのような事情によることがわかりました。朝鮮はまだ日本領だったということですね。
  mfpksk3idtdさん、従いまして、1945年8月15日に、朝鮮が解放されたというのは間違いだと私は思います。解放は、アメリカ軍が軍政をしいた1945年9月9日だと思います。さらに国際法からいえば、正式には日本がサンフランシスコ条約を発効した1952年4月28日が、朝鮮半島の真の解放独立といえると思います。いずれにしましても、光復節を8月15日に行う根拠は希薄であることが、皆様のおかげでわかりました。ありがとうございました。
 

(おわりに)


 
以上の国際的な流れから、まとめると、1945年8月15日の日本の敗戦から9月1日までは日本の支配のまま、9月2日の降伏文書署名から1948年8月12日は連合国(実質アメリカ)軍政下ということになります。軍政下では、アメリカのマッカーサーは、ソ連勢力下の北朝鮮を除く南朝鮮を日本と一体とみていたことになります。ということはGHQは日本と南朝鮮を同時に軍政下に置いており、韓国の独立はその間ないということになります。したがって、朝鮮半島の真の解放は1945年9月9日で、独立は1948年8月13日であるという事になると思います。
 
 

注:1)。詳細にご関心のある方は、次のURLのnote記事をご覧ください。
https://note.com/ko52517/n/nc1b839eeb000 「20世紀の記録として残したいこと(第5話)奇跡の最終列車に乗り、安東から京城まで朝鮮半島を南下して逃げる」
 
 
 
平成25年(2013年)8月17日 随筆
平成28年(2016年)2月20日 加筆
令和5年(2023年)10月16日 加筆
 
 
*なお冒頭の地図は、下記の無料の白地図データから引用させていただきました。、https://www.freemap.jp/itemFreeDlPage.php?b=asia&s=korea

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