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復讐の物語

2016年、それまで描いて来た官能誌、マニア誌、新聞などに掲載した原画の個展「さかしま」に寄せての挨拶文として書いたものです。

※画像は個展DMと父の創作の1枚。

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 1983年から2011年まで28年間にわたり、新聞・雑誌に性的マイノリティの世界を描き続けました。
仕事を通じて知り合ったSMクラブのオーナーや風俗嬢、トランスジェンダー、性解放活動家、風俗ライター、ふだんはごく普通の生活を送るマニア、同性愛者たち。
若い私は、彼らに囲まれながら猥せつで過激な語らいをすることが痛快でした。まるで何かに復讐しているかのように、ひとときすがすがしい気分に浸ったものです。

幼い頃から、性的なものに激しい嫌悪感がありました。世界から性欲というものを切り取って、二度と現れないように封印してしまいたかった。
中学二年の時、そんな私が打ちのめされるような出来事がありました。書斎で父の秘密の創作を見つけたのです。
詳しいことは控えますが、それが性的なもので、しかも倒錯と呼ばれる類のものだと理解した瞬間、多感な10代の少女だった私の時間は止まりました。

「パパは変態なんだ!」
大企業の企業戦士だった父とその創作は、どうしても結びつきませんでした。
それから私は父に近づくことはなく、お互いに孤立した同居生活を続けました。
若い私は、表面的には性に対して何の躊躇もなく、オープンできわどいキャラクターを演じていましたが、内面では性への拒否が続いていて、本当はいつもおびえていました。

やがて社会人になった私は、挿し絵の仕事をすることになり、たまたまアダルト物を描くことになるのですが、次々と縁がつながり、SMや医療プレイ、ベビープレイ、ゲイ雑誌など、どういうわけか仕事のほとんどが性的マイノリティの挿し絵になりました。

私が望んで描くような絵ではなかったのに、なぜか描いている人物の心情を思うと熱が入るのです。それはわけのわからない情念、サディスティックな昂揚感でした。
そのくせ描いた絵は、一枚として気に入るものはなく、こんなものは自分の絵ではないし、ゴミ同然だと吐き捨てるように言っていました。

どうして私は、描きたくもない絵を描き続けるんだろう?
何度となくやめようと思っているうちに時が過ぎ、挿し絵の依頼も来なくなりました。
そして父が病を得て介護に忙しくなると、あれほど身の内をたぎっていたマグマが消えたかのように静かになり、ああこれで謎の戦いも終わったのだと胸を撫でおろしていました。

ところがそれが目くらましだとわかったのは、父が亡くなった後、遺品の整理をしていた時です。書斎の引き出しの一番奥から、古い茶封筒に詰められたあの秘密の創作が出て来たのです。
やっぱりあった、と思いました。

・・・パパはやっぱり変態だった!
老いた父と秘密の創作はいささかギャップがありましたが、あの10代の戦慄をよみがえらせるには十分でした。怒り、混乱、不安。
すべては終わったことなのに、亡くなった父への殺意に襲われました。

膨大な手続きに追われつつ、介護で疲弊しきった身心には、何もかもが限界でした。その時、これまで抱えて来た生きづらさ、このつかみどころのない「私」というものと向き合おうと決心しました。

謎が解けたのは、そんなある日のこと。
胸の奥の方に、夢中で鉛筆を動かしている若い私が見えたのです。
突然、これまで絵にぶつけていた思いが湧き上がって来ました。
私は命がけで叫んでいました。
「パパだけじゃないよ!隠してるだけで、みんな本当は変態なんだ!
人間はみんなおかしいんだよ!」

みずから倒錯の挿し絵を描くことによって、実は父を弁護したかった。誰よりも父の理解者でありたかった。身体を張って父を守りたかった。それは私自身でした。
数十年もの間まったく気づかなかった自分の思いに、呆然としました。

そう、私はひどく怒っていました。何に対して?うまく言葉に表せないのですが、あらゆる見せかけのもの、たてまえ、きれいごとに対してです。
きれいごとの裏には、いつでも人間の本当の叫びが、父の密かな愉しみが、マニアたちの快楽が、私の秘密がありました。私にはとても大切な、聖なる領域でした。

世界中に蔓延する見せかけの偽物が、聖なるものを差別し、追い払い、父や私を孤独にして苦しませる。そう思い込んでいたのです。
だからうわべだけのきれいごとは、大嫌いだったのです。

秘密の行為をする挿し絵の人物たちに、私はこう言って取引をしていました。
「あなたは変態じゃないよ。誰にも理解されなくたって、たとえ世界中の人を敵にまわしたって、私だけはあなたを理解してあげる。私はいつもあなたの味方。あなたをいじめる奴には、必ず復讐してやる。だからお願い、あなたも私を守ってね」
それはそのまま、心の奥底に秘めていた父への言葉であり、自分自身への言葉でした。

謎が解けてから、今まで見ることも嫌だった自分の挿し絵たちが少しずつ可愛らしくなって行きました。
そして、あらためて気づきました。私がエロティックなものを見て傷つく前に、彼らが盾となって跳ね返し、しかも弱い私が特別な力を持てるように演出してくれたのです。
本当に私は今日まで、この挿し絵たちに守られて来たのでした。

ここに展示する挿絵は、私の御守りです。
私はこれからも、世の中に復讐して行くでしょう。
でも私の復讐の思いを開いてみれば、なぜか人間への愛おしさでいっぱいなのです。

最後になりましたが、私を支えてくれる友人たち、亡き両親、ねばり強く心の解体の道案内をしてくださったセラピストのMasumiさん、そして会場を提供してくださった百日紅さんに、心から御礼を申し上げます。

2016年6月 塙 興子

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