【ブックレビュー】『民主主義とは何か』宇野重規



『保守主義とは何か』の宇野先生。民主主義の基本をまとめた本を執筆しようとしつつも何度も挫折していたが、コロナで暇になったからとうとう書き上げたらしい。

よく知っているようで意外と知らない「民主主義」について、歴史的経緯や関連する思想をまとめた新書。ですます調で難解な語彙も少なく読みやすいが、矢継ぎ早に色々な思想家が紹介されるので結構読み応えがある。

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本書も通説に従って民主主義の源流を古代ギリシアのアテナイに求めている。アテナイの民主主義は徹底した「参加と責任のシステム」であった。「より優れた人々」を選ぶ選挙は貴族政的であるとして、公職は全て抽選で選ばれた。公職の業務や民会への参加は負担であったが、市民はこれをむしろ名誉なことと捉えて積極的に労力を割いた。政治的平等と市民の政治参加が徹底されたアテナイ民主制は、民主主義の理念型と言える。

しかし、アテナイ民主政は当時の哲学者達に厳しく批判される。民主的裁判によって師であるソクラテスを失ったプラトンは、無知で未熟な大衆ではなく「何が善か」を知る哲学者が統治者になるべきだと主張した(哲人王のテーゼ)。プラトンの弟子であるアリストテレスは比較的穏健で、一人の支配(monarchy)、少数の支配(oligarchy)、多数の支配(democracy)にはそれぞれ一長一短あるとした。

以降の歴史は、政治的平等の徹底を目指す民主主義の原理と、衆愚政治を回避しようとするアンチ民主主義の原理がぶつかり合う過程であり、さらには両者の発展的統合を目指す過程でもある。

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古典古代の政治形態として民主政と対比されるのが、古代ローマの共和政だ。民主政が「多数の利益の支配」を含意するとすれば、共和政は「公共の利益の支配」を意味した。多数者の利益はあくまで部分利益に過ぎないが、公共の利益は全体の利益である。

古代ローマの共和政は一人の支配(執政官)、少数の支配(元老院)、多数の支配(民会)の3つの要素をバランスよく取り入れることで政治体制全体の腐敗を防止しようとした。3つの機能が互いにチェックし合うことでバランスを取ろうとする考え方は、長らく良き統治のモデルとされる。一方で、民主政という言葉には長らく否定的なイメージがつきまとう。

「民主政ではなく、共和政を目指す」ことを顕著に表明したのは、アメリカの「建国の父」達だ。ハミルトンやマディソンらは『ザ・フェデラリスト』という論文を新聞に投稿し、民主政がもたらす「少数派の犠牲」や「党派対立」に対する警戒感を顕にした。一方で、代表制(少数の支配)を取り入れた共和政ならば、真の公共の利益が実現されると考えた。当時のアメリカの政治的エリート達の一般大衆に対する不信感が伺える。

アメリカの政治体制は一般大衆の政治参加を徹底するものでは決してなかったが、トクヴィルは『アメリカのデモクラシー』においてアメリカ人の政治意識の高さを高く評価した。トクヴィルは連邦議会の政治家の水準に失望しつつも、街で出会った名も無き人々の政治課題に対する理解度に驚かされた。トクヴィルは「デモクラシー」という言葉を政治体制に限定せず、社会の様々な側面における平等化の趨勢や、人々の思考法や暮らし方まで含めた、広い意味で捉えた。

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一方で、ルソーは共和政(代表制)を厳しく批判した。「イギリスの人民は自由だと思っているが、それは大まちがいだ。彼らが自由なのは、議員を選挙する間だけのことで、議員が選ばれるやいなや、イギリス人民は奴隷となり、無に帰してしまう」と言って、間接民主制を民主主義の不完全な形態だとした。

逆に、J.S.ミルは『代議制統治論』で代議制民主主義が最善の統治形態だと断言した。ミルは良い統治を実現するための条件として「国民自身の徳と知性を促進する」ことと、「機構それ自体の質」を挙げた。前者を満たすのが「参加と責任のシステム」である民主主義で、後者を満たすのが「平均水準の知性と誠実さを最も賢明な人々の知性や徳とともに集約する」代議制だという。
ミルは「最も賢明な人々の知性や徳」を重視しており、大学卒など優れた能力をもつ有権者に二票以上を与える複数投票制を主張した。

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ウェーバーとシュミットは、議会ではなく「カリスマ的指導者」に期待を寄せた。

ウェーバーは『職業としての政治』で、政治の大衆化によって情熱と使命感に欠ける「職業政治家」が増えたことを憂い、職業政治家による利害調整がだらだらと続くよりカリスマ的指導者による「指導者民主主義」の方がマシだと結論付けた。この考え方はWW1後のドイツのワイマール憲法に反映され、大統領に強大な権力が与えられることとなった。ヒトラー台頭の土台である。

シュミットはさらに踏み込んで、独裁は民主主義と対立しないと主張した。彼は民主主義と自由主義を明確に区別し、前者の本質を「同質性」に、後者の本質を「討論」に求めた。曰く、民主主義が真に公共の利益を実現するためには異質なものの排除が必要であり、多様な意見の反映を志向する議会はあくまで自由主義の領分だという。民主主義は議会主義とは対立し、むしろ独裁と結びつく。シュミットの思想はナチスを擁護したと言われるが、ナチスに利用されたとも言える。

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古典的民主主義が民衆ひとりひとりの意見をいかに集約するかを議論していたのに対して、シュンペーターは「代表者の選択」それ自体が目的だとするエリート民主主義を構想した。シュンペーターモデルは「参加と責任のシステム」であるアテナイ民主政とは大きく乖離する。彼はエリート民主主義を成功させる条件として、政治家の資質などの他に、「民主的自制」という概念を提示する。議会において政治家はやたらと政府の転覆を図ってはならず、有権者もいったん選んだ以上次の選挙までは政治家を信任すべきだとした。ルソーが言うところの「奴隷」になることを、シュンペーターはむしろ肯定した。

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以上、アテナイ民主政を源流とする「民主主義の原理」と、民主主義による腐敗を回避しようとする「アンチ民主主義の原理」を軸に、議会制との関連を中心に民主主義思想史を概観した。日本の民主主義についても紙幅が割かれていたが、それはまたの機会に。

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