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【ブックレビュー】『正しい核戦略とは何か』

ブラッド・ロバーツ著、村野将訳『正しい核戦略とは何か』勁草書房、2022年

概要


 著者のブラッド・ロバーツは2009年から2013年までアメリカ政府で核戦略を担当(国防次官補代理 核・ミサイル防衛政策)し、現在はシンクタンクの所長を務める。“アメリカの視点で”現在の核政策のあるべき方向性を探る。
 

現代の核戦略の枠組み


 「核戦略」をめぐる2つの極端な見解がある。一方は、核戦争や核テロの危険性を高く見積もって米国は早急に核廃絶を進めなければならないと主張し、もう一方は、安全保障における核兵器の機能を高く評価して核廃絶によって世界が平和になることはないと主張する。2つの極端な立場は互いに向き合って真摯な議論をすることもなく、ただ自分たちの主張を通そうとするばかりだ。本書は、バランスの取れた第3の道を探る。
 核戦略をめぐる議論の土台には、「核抑止」という概念がある。「相手国が自国に深刻な危害を加えた場合、核をもって反撃して相手国にとって受忍しがたい損害を与える」と事前に意思表示することで、自国に危害を加える行動を牽制するものだ。核抑止がお互いに成立している状態は相互抑止と呼ばれ、どちらの国も相手に深刻な危害を加えるような行動を起こせなくなり、安定状態になる。アメリカとソ連・ロシアの間では1960年代ごろから現在に至るまで相互抑止が成立しており、アメリカと中国との間でも相互抑止が概ね成立している。理論上、相互抑止のもとで核保有国は「核兵器の先制不使用」を宣言することが可能で(宣言しても自国の安全保障に支障がなく)、核兵器は使用されない。
 ここで問題になるのが、相互抑止による安定状態のもとでは「深刻な危害とまでは言えない危害」がむしろ発生しやすくなることだ。軽微な損害に対して反撃をすれば、さらなる反撃を呼んでかえって損害を拡大させることになりかねず、反撃がためらわれる。たとえば、アメリカにとっては非同盟国であるウクライナが通常兵器(非核兵器)による攻撃を受けても、核兵器を用いてロシアに反撃することはためらわれる。ウクライナの親米政権を守りたいという思いはあっても、そのために同盟国や本土が核兵器による攻撃を受けるリスクをとるのは割に合わないからだ。同様の問題は、同盟国が攻撃された際にも生じる。同盟国であっても、「深刻な危害とまでは言えない危害」——たとえば日本の南西諸島にある小さな無人島の占領——が加えられたときに反撃することはためらわれる。こうして、核保有国間の相互抑止が成立すると非核保有国の安全が脅かされるというジレンマが存在するのだ。
相互抑止は必然的にエスカレーション(反撃が反撃を呼び、その過程で武力行使の烈度が上がること)のリスクを伴う。エスカレーションを防ぐことはどの国にとっても利益になるが、逆に言えばエスカレーションをちらつかせて自国の国益を叶えるための戦略を各国が考えている。
 

北東アジアの核戦略


 北東アジアには大きく3種類のアクターが存在する。
 まず、日本と韓国という同盟国の安全保障を担うアメリカがいる。アメリカは、北朝鮮や中国が韓国や日本に侵攻したときに躊躇せず反撃するために、あるいは躊躇せず反撃できることを示して北朝鮮や中国を抑止するために、北朝鮮や中国に抑止されないことを必要とする。そのために、アメリカはミサイル防衛を充実させて本土を絶対的な安全圏に置かなければならない。これは、韓国や日本が核武装を決断して核不拡散体制が崩壊することを防ぐためにも重要だ。
 これに対して、北朝鮮と中国は反発する。アメリカが北朝鮮や中国に抑止されていないということは、アメリカの側からなら北朝鮮や中国に対して先制攻撃を加えることが可能であることを意味する。すると、彼らは仮に「自国の安全を守る」という消極的な動機しか持ち合わせていなかったとしても、アメリカのミサイル防衛システムをかいくぐるだけの攻撃手段を持つために軍拡を進めざるを得なくなる。
 それによって不安を募らせるのが日本と韓国だ。アメリカの核の傘に依存している両国は、アメリカが反撃を躊躇すること、あるいは「アメリカが反撃を躊躇するのではないか」と北朝鮮や中国がタカを括ることを最も警戒する。そのため、アメリカが抑止に最低限必要だと判断する水準まで核兵器を削減しようとすることや、アメリカが核兵器の先制不使用を宣言することを忌避する。アメリカが自国のために戦ってくれると信じるためには、単にアメリカが自国のために戦う能力を持っているという事実だけでは不十分なのだ。この文脈における重要な争点に核シェアリング(同盟国にアメリカの核を配備すること)がある。核シェアリングは反撃能力を向上させるわけではないが、反撃の意思を仮想敵国に示すことができる(かもしれない)。
 上述の3つのアクターの要求は相いれないから、北東アジアの安全保障環境は不安定かつ流動的なものとなっている。
 

核廃絶は可能か?


 理論上は、日本と韓国が核武装してアメリカが対アジアのミサイル防衛を縮小すれば、ある種の安定状態を達成できる。専門家の中にはそのような形での安定を推奨する者もいるが、アメリカの執政中枢はそのようには考えていない。多極化は不確実性を増大させて偶発的な核戦争のリスクを高めるとして、核不拡散にコミットしている。(そのため、日本国内の核武装論を注視している)
 非核保有国に核武装を決断させないために重要だと考えられているのが、上述した同盟国への安心供与に加えて、アメリカ自身が長期的には核廃絶を目指しているという姿勢を示し続けることだ。オバマ大統領のプラハ演説に代表される「リップサービス」のみならず、核弾頭やその運搬手段を削減したり外国から引き揚げたりすることも少しずつ進められている。ただし、その過程で同盟国に不安を抱かせてしまえば核兵器の拡散を招いてしまうというジレンマがある。
 このような構造的制約を考えると、核廃絶の試みは仮に前進するとしても直線的な経過をたどらない。同盟国の核武装と仮想敵国による(アメリカにとっては)小規模な侵攻を防ぎながら、「少なくとも後退はしていない」という状態を粘り強く維持するしかないのだろう。

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