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麻生太郎が財務相である不幸 / 維新とみんなに見る反省


おはようございます。

最近は仕事が忙しくてblog更新が滞ってしまっておりました。


ちょっと余裕が出たら小blogでもいいので更新していくつもりです。

またお付き合いの程、宜しくお願いします!


★麻生太郎がいる不幸

 刺激的な言葉になってしまいますが、今の日本の状況を招いているのは、最終責任者である菅総理大臣というよりも、私は麻生太郎という財務大臣であると考えています。

財務省という国の財布を預かる省のトップとして、麻生太郎は8年間もその椅子に鎮座しています。これは当初、自分を最大限支持してくれる大ベテランの先輩で、支持者からも絶大な人気を誇る前首相の麻生太郎を、財務省ににらみを利かせるためにも、支持者受けを狙うためにも、麻生派という派閥を味方につけるためにも、打ってつけだと考えた安倍前総理の一手でした。

当時は日銀法を改正してまでも、日銀に量的緩和を呑ませ、アベノミクス発動をいかに現実のものにしていくかで安倍総理は必至でした。調整役として適任の菅総理大臣を官房長官に、そして抵抗を見せるであろう財務省のお目付け役に麻生太郎を置き、スタートダッシュに成功したわけです。

しかしながら、麻生太郎は「義」を重んじる政治家です。義に背く行為を絶対に許さない。

国のために一心不乱に働く財務省の官僚たちの働きを見るにしたがって、マインドはどんどん財務省寄りとなっていき、遂には野党時代とまったく真逆のことを言い始めたりするわけです。一番分かりやすいのは国民への一律給付ですよね。国の財政規律や将来のツケを持ち出し、給付に反対をしています。

野党時代の講演でのスピーチ。全く真逆の事を力説しているにも関わらず、この8年で豹変をして見せました。これに驚いた人は多いはず。しかし麻生太郎は別に自分は間違っていないと胸を張ります。それは野党時代の講演こそがパフォーマンスで、もともとは国民の事なんて考えちゃいないんですよ。それは様々な事象における言動で明確に分かるはずです。

ここで面白い小ネタを一つ。

積極財政にご執心の自民党西田昌司議員が、自身のYouTubeチャンネルで、麻生太郎を痛烈に批判しているんですよね。

給付に消極的な麻生の態度を、先に書いた講演でのスピーチになぞらえて「麻生さんどうしちゃったのか」と嘆いている動画です。ですけど面白いのは、この人他党への非難はすごいのに、麻生太郎に直接ガンガン抗議に行かないんですよ。動画でねちねち気を遣いながら文句を言っているだけ。

逆に、国会で財政規律を取り上げた野田佳彦元首相に対しては、「どうかしている」と痛烈に批判。

あのね、一切権力の無い元首相の発言を取り上げて留飲を下げるんじゃなくて、現財務相の麻生に文句言ってこいよ、と思うのは私だけですか?

こういう所を取ってみても、自民党議員の情けなさ・ダメさというのがはっきりわかるわけです。


話を戻します。

麻生太郎が一律給付に反対する理由は、自身の総理大臣時代の定額給付金におけるマスコミからのバッシングでしょう。あれだけ巨大なリーマンショックによる影響を緩和するために実施した給付金を、めちゃくちゃに批判された。あの時の恨みを、麻生太郎は忘れていないはずです。義を重んじるがゆえに、「あの時批判したくせに絶対許さないからな」と自分の中での芯を通してしまっている。

麻生太郎が、石破議員を嫌うのも、総理大臣当時に与謝野馨氏らと共に「麻生下ろし」に動いたからです。彼はあの時の恨みを決して忘れない。「義」に反する行為をした者を麻生太郎は絶対に許さないのです。

でもその「義」は、麻生太郎自身のためのものです。麻生太郎が身をもって体験し、体感したことじゃないと、麻生太郎には響きません。

そんな人間を、8年間も党内力学と思惑によって財務大臣に据えている、安倍晋三と菅義偉の罪は重いと思います。そしてそれを非難できない自民党議員も然り。全員で国民をどん底へ突き落している。これが麻生太郎という人物に現在集約されています。

80を超えて、今もなお元気満々の麻生太郎は、次期総選挙にも出馬し、そして当選をして財務相に居続けるでしょう。国民の不幸は続くばかり。申し訳ないけど、こんなおじいちゃんに国民の生活を壊されてはたまらないわけです。国を想うなら、今までの責任をしっかり取って、早々に退出してもらいたいと思います。

ですが、こんな事を書いても麻生太郎には響きません。

麻生太郎は、自ら体験・体感した事でしか「義」を感じない、究極の自己中心的な存在だからです。



★維新とみんなに見る反省

 もう一つのテーマです。

 これは何の事かと言うと、維新の会とみんなの党の事です。

 維新とみんなが当時合流をして野党再編を目指そうとしていた事は周知の事実かと思います。当時はあまりにも民主党が情けなくて、安倍政権には誰も太刀打ちできない状況が続いてしまっていました。これを打破して、野党第一党の座を奪おうとしていた維新とみんなが、一つになって強大な力をつけようとしていたわけです。

ですが、瓦解しました。なぜか。

YouTubeの「橋下徹のみんジャパ 公式チャンネル」というチャンネルにおいて、橋下徹さんと松田公太さん、当時の維新とみんなのメンバーだった二人が対談をしている動画があるんですね。

視聴回数は4万回ちょっとという少なさですが、まあまあ面白い事を話し合っているんですよ。

当時、お互いに一つになるべきだったと思っている二人が、なぜ瓦解してしまったのかを自己分析しています。これを知るのは、民主系にとってとても大事な事だと思いませんか?ちょっとまとめていきたいと思います。


■橋下氏

 ・維新とみんなには一緒になった方が力が出た。お互いに勢いがあった。

 ・政策はほとんど一緒だった。

 ・東のみんな、西の維新となる事が出来た。

 ・一緒になれなかったのは僕の責任が9割。上下関係にこだわった。

 ・東西できちんと分けて、のちに一つになる事を考えるべきだった。

 ・一番大事な事は「別れない事」だった。欲張ってしまって瓦解した。

 ・やっぱり東に維新の候補を置きたくなってしまった。

 ・いくらでもやりようはあった。主導権の必要性に駆られた。

 ・自分の力にこだわり、先の将来の広がりを見落とした。

 ・激烈に喧嘩してでも「別れない」仕組みが大事。


■松田氏

 ・当時は橋下さんがトップでやるべきだったと思った。

 ・肩書の問題も出た。政党の名前も問題だった。

 ・当時の勢いは維新の方が断然あった。みんなは下がり基調だった。

 ・橋下トップで選挙を一回やるべきだった。主導権はそれからだった。

 ・当時色んな話があった。色々ありすぎて分からなくなっちゃう。


お互いに反省点を述べあってるわけですが、二人に共通しているのは「別れない」事だったという事。

そしてそれは、政界を引退した今だからこそ振り返ってみてわかる。という事。

仕事でも何でもそうですけど、現場にどっぷり浸かってしまっていたら、物事って俯瞰して見れなくなっちゃうんですね。それも色んな人が色んな事を言ってくるから混乱する。なおのこと、主導権や権力を手にしなければだめだという恐怖に駆られる。それが政党名や人事や候補者の擁立などに大きく影響してきてしまう。結果、欲張って破断となる。

現場を知る事は大いに大切ですが、ハマり過ぎたらどんどんおかしくなっていく。時には離れてみる事も大切なんだな、と。麻生太郎に聞かせてやりたいですが。

いくらでもやりようがあったー。

橋下氏と松田氏に共通している言い分はここですね。

一緒にやる為に、将来の広がりを考えたときに、いくらでもやりようがあったというのが大切なんだと思います。橋下氏は「政策はほとんど一緒だった」と言っていましたが、維新八策を見ても、全てがみんなと同じというわけではなかったと自分は思います。それこそ、立憲民主と国民民主くらいの差はあったように思える。だって維新の政策って時々で結構変わってきますからね。

民主系はこの対談を(興味のない方も多いでしょうが)よく見てみる事をお勧めしたいですね。わざわざ違いを強調して別れる判断をする事って、結構簡単なんですよ。だって違いなんて大なり小なりみんなあるんだから。

大事な事は「別れない」事。将来の広がりを政治家ならばもつ事じゃないでしょうか。

これも一つの、#戦略的政権交代 の戦術の一つだと思いますね。

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