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DeNAの入社から卒業、その後ドイツで就労するまでの軌跡について、振り返りと理由をつらつらと書いてみます

はじめに

瞬間を大事に、やってみたいを大切に

人は論理と直感を掛け合わせて判断をしている

論理的な思考と直感的な思考が、それぞれどのくらいの比率で占めてるかは、わからないし、人によって違うのかもしれないけど、直感は論理に、論理は直感によって育まれていくような気がする

僕の経験では、なんとなくいいなと思った(直感で)世界に飛び込むことが、その先、5年、10年、自分にとって、あの時こうして良かったなと思うことが多い

そんな過去の経験を大事に、今の選択を選んでいきたい

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本編

こんにちは、渡邉 洸( Ko Watanabe )です。

● 2019年4月・DeNA に入社

● 2021年2月28日・DeNA を卒業

● 2021月3月1日・ドイツ渡航

● 2021年3月15日・TUK/DFKI で就労

目紛しい手続きの日々が落ち着いたので、note を書いています。

今日は、題名にある通り、「DeNAの入社から卒業、その後ドイツで就労するまでの軌跡について、振り返りと理由をつらつらと書いてみます」。

お時間ある方は一読して頂けると幸いです!

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DeNA入社からドイツ行き決断(DeNA卒業手前)まで

僕にとって DeNA は初めての社会人としての場所で、本当に多くの人にご迷惑をおかけしながら、ちょっとずつ成長していった環境でした。

新社会人にもうすぐなられる方も沢山いる季節ですが、よく「DeNA どうでした?」って聞かれるのですが、迷わず「良い会社だよ!」っておすすめします。

何が良いの?って聞かれたら大体、気の合う同期と出会えるって話します。

やっと振り返り記事書いてます・・・(笑)

僕にとって DeNA は学びが多く、気の合う同期がいて、楽しい場所でもあり、分からないことだらけで辛い場所でもありました。

よく外部の人から、「優秀なエンジニアが多い会社だよね?」って聞かれますが、本当にそう思います。

上を見上げたら、OSのコミッターとか、カンファレンス登壇当たり前みたいな人とか、エンジニアなら誰でも知っているような本の著者とか、なんか界隈でよく知られてる人が沢山集まっています。

僕は、決して、そこでガンガンやっていくタイプではなかったのですが、人は環境の生き物なので、物凄く刺激を受けて、日々出来なかったことができるようになっていきました。

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【全体研修の振り返り】

新卒1年目に入社した際に、最初に行ったのが、全体研修でした。

そこでは、ビジネス・デザイン・ゲーム・エンジニア…関係なく、ごちゃ混ぜで班を作って、アイデアソンを行って全体に発表したりとか、チームビルディング研修で割り箸使って一番高さのある造物を作ったりとか、人事の方が尽力して考えてくださったワークショップを行いながら、約90人くらいの同期と親交を深めました

ここでの出会いは後に、僕にとって大きな繋がりになるだろうなって、この時に確信しました。友達でもあり、仕事仲間でもあり、なんか面白いことをしたいよねって人が沢山集まってました。

本当に何かしていきたいねってやり取りもしています。

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ドイツ渡航前、最後に一緒に写真を撮ってもらった同期

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【エンジニア研修の振り返り】

全体研修後は、エンジニアのみの「CS・プログラミング研修」でした。

僕達の代から研修の仕組みをガラッと変えたらしく、外国人講師による講義形式とアプリ実装の両軸で研修が進みました。

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研修終了時にやった打ち上げでの一枚

僕達の代の採用基準が例年と違って、未経験も採用していく方針だったので、手厚い CS に関する講義と開発経験のサポートをしていました。

僕の隣で一緒に講義を受けてた同期は、一個一個機能を追加していく度に「すげー楽しいw」って話してたのを覚えてます。

そんなエンジニア研修では、『Airbnb のようなサービスだけど、友達のみの家が開示されているサービスを作りたい』って個人開発では意気込んで作ってました。僕がお世話になっている「トビタテ留学ジャパン」の組織では有名な「宿借り=(ヤドカリ)」をアプリ化したいなって作ってました。

懐かしいです。

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サービスジョイン

エンジニア研修を終えて、僕はライブ配信サービスに所属しました。

どのサービス・事業に所属するとかどうやって決めたんですか?

なんて、後輩によく聞かれてましたが、僕の答えは凄くシンプルに「この人素敵だなって思う人がいるとこ!」って答えてました。

激務の中、面白いアプリぽんぽん出す凄い人

環境の話じゃないですが、身近に自分が直感的に吸収したい人がいると多くの経験を得られます。だから、チームもそうだし、特に「この人いいな!奪いたいな!」って思う人の近くに行くのは、無意識化でもなりたい自分に近くことができます。

その人の良いところと、自分の良いところ、掛け合わせたら、昨日よりも一歩違う自分になれます。

そんな思いでジョインしました。

ジョインしてしばらくは、研修の延長を行ってました。サーバサイドの経験がほとんどなかったので、Go をひたすら書き直したりしてました。

そこから、しばらくして、最初にやったタスクがプロフのシェア機能の実装でした。

アプリとサーバの両方を書いてみようっていう、なかなかな訴求に応えるべく実装をしてましたが、当初の見積もりよりも遥かに時間がかかった上に、最終的に、android 側は助けてもらうなど、結構、失敗続きでした。

この時に見積もりの甘さがどうなるのかとか、自分の考慮範囲外にも作業(QA等)が潜んでるんだなと個人開発では全然考えてなかった工数まで見えました。痛い目を見て学びました。

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チーム移動

そんなこんなをしてるうちに、事業が拡大していく中で、適材適所に役割を置くために、チーム編成が行われました。

自分のいたチームとは別の新規組成されたチームに移動になりました。

新規ジョインしたチームは、元〇〇エンジニアみたいな、転職組が多いチームで、個人的にめちゃくちゃ寛容で、技量があって、チャレンジし!行ってき!みたいな、フォローするで!みたいな空気感がある、物凄く良いチームでした。とにかく働きやすかったです。

そこでもまた技術とは違う、エンジニアチームの空気感の作り方、みたいなものを学んだ気がします。

新チームではずっと Ruby を書いてましたが、そこはチームの上長にボコボコにされてました。もし、この記事をもし見ていたら「いや甘い方」なんて言われる気もしますがw

後ろに誰かいる感覚を感じながら、どんどん実装して行けた感覚は、今後、同じ空気感を作れる人になりたいなって気づきをもらいました。

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【コロナウィルス拡散・リモートワーク】

ここからがドイツ行き決断の話に繋がります。

もうすでに YouTube の方では話したので、視聴してくださった方には重複になります。

社会人2年目の一番の記憶は「全世界でのコロナウィルスの拡散」でした。

DeNA が原則リモートにシフトするまでの早さはおそらく国内でもトップクラスに早かったんじゃないかなと思いますが、働き方がガラッと変わりました。

コロナ前:人が沢山いる環境でコーディングするのが苦手な僕は、朝早く誰も出勤してない時間に出社し、誰よりも早く帰るみたいな生活をしてました。

コロナ後:リモートになったので、朝早くに出社してた時間をまるっとランニングとか散歩に変えたりしました。

そんな中、会社の同期が面白い決断をしました。

出社しなくて良いなら京都に住んじゃうか

東京でひとり暮らしをしていた同期が、思い切って京都に引っ越すっていう行動をしました。実際チームの中の先輩も京都の実家に戻ったりしてました。

世の中的にも、adress などを使って住居を転々とする流れが出てきました。

そんな時に1番に思ったのが

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どこでも良いなら海外に住みたい

そんな海外好きならよく出てくる思考にシフトしました。

思考がシフトされていく中で、偶然って面白く、海外に行くチャンスが目に入りました。

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目に入ってすぐに連絡しました!

もっと前からかなと思ったけど、10月くらいにコンタクト取り始めた感じなんですね!振り返りってこういう気づきのためにも大事。

そこからは zoom をつないで、近況の心境の変化を伝えてから手続きを進めるまでは一瞬でした。過去にインターンさせて頂いていたところっていうのが手続きの早さに繋がってます。

南場さんも紹介してくださった記事にも載ってます!

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回想:社会人になる前の話

少し時系列遡ります。

社会人になる前の話なんですが、今も仲良くさせて頂いてる元人事の方とも、話してたんですが、元々、PhDを取りに海外に行きたいっていう思考はありました。

ただ、このまま日本で社会人を経験せずに海外に行くと、色々と踏ん切りがつかないかもなと当初感じていました。

こんな発表までしてた

そのため、まずは社会人になるって意気込んで入社しました。

ただ、当時の感覚で一番覚えてるのは「外国の感覚だと、社会人になってからドクターに行くことはよくあることで、社会に出て勉強し直したくなる、社会人経験から持てるマインドみたいなものもあるかな」と考えてました。

今見て気づいた、南場さんも社会人2年目くらいでアクションしたのか!
Twitter は瞬間の思考整理・吐き出す場所

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感情の整理

社会の情勢の変化が海外生活欲のスイッチを押したのかなと思っています

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DeNA卒業

DeNA を退社するにあたって、上長と相談したのが、確か、2020年の11月か12月頭くらいでした。面白いことに、伝える方に集中して、タイミング何にも覚えていない。

初めての転職だったので、どう切り出せば良いだろう?って、何かと空気を探る癖のある自分は、上長との 1on1 で挙動不審だったのを覚えてます。

ただ、やりたいことに対して、上長は「ドイツはわからんなぁ、でも行きたいなら行くのが良いでしょ!」って、想像の何倍も背中を押してくださいました。「去るものに興味がない」とか(冗談ぽく)上長は言ってましたが、僕はそんな感じの雰囲気には見えなかったので、確かに応援してくださってるんだなと、(勝手に)ほっこりしたのを覚えてます。

そこからチームに共有したのも、2020年の11月末か12月頭くらいだった気がします。抜ける上で、役職を良い感じに分担しようということで、2021年の2月頭から有給消化だけど、早めにチーム共有した感じでした。

この一連のプロセスの中で、上長に言われて、今後もずっと覚えてるだろうなって思った言葉が「ここから(辞め際)一気にパフォーマンスが下がるから気をつけて」って言われたことでした。

実際、コロナの状況が不明確な中でのドイツとのやり取りに特に1月圧迫されていたのもあるのですが、自分でも分かりやすいくらい、パフォーマンスの低下を感じました。分かりやすく頭が働いてないなって感覚でした。

これも新しい環境へ飛び込む前の状態を知ったって意味では良いのですが、チーム自体にはかなり申し訳ないことしたなぁ、と反省しています。

そして何より、上長の先読み力すごい・・・(これも経験から来るもの)

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DeNA入社・ドイツ行き決断(DeNA卒業手前)まで

ドイツの話に入ってしまう前に最後にここまでをまとめると

● 新卒入社した DeNA はめちゃくちゃ気の合う同期と出会える良い会社

● 研修の中でより気の合う仲間が見つかる

● 参加するチーム・事業は「人」で決めた、結果それが良かった

● 気持ちよく仕事をするチームの空気感を教えてもらった

● コロナになり、仕事が原則リモートになった、渋谷に行かなくなった

● 在宅勤務の中で、海外に住みたいスイッチが押された

● たまたま同じくらいのタイミングできっかけを見つけた

● そこからは早かった

今後ともDeNAギャラクシーの一部として何か貰ったものを還元したいです。

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全員 DeNA じゃないけど多分同じ感覚の人達

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DeNA を卒業からドイツ就労開始まで

ここからは DeNA を卒業してドイツで就労するまでの話をします。

DeNA 自体が2021年の2月頭くらいで有給消化開始でした。

そこからは仕事しながらでは無理ってくらいの渡航準備作業をしました。

国内転職活動と比較しても海外転職は工数が物凄くかかります!注意!笑

TUK(ドイツの就業・就労先大学)とのやり取りの中で、必要になる書類が沢山あり、僕は社会人だったため修了大学の NAIST とは過去一に連絡したんじゃないかなと思います。言語ももちろん現地の言葉(ドイツ語)の書類が山ほどあり、英語が書かれている書類に安堵したりもしてました。

当初、2021年2月15日開始で予定を立ててたのが、渡航ルールを考えると、現実的じゃないよねってなり、3月1日になり、さらに3月15日になり・・・

今回で、海外就労時にかかる工数ってこんな感じか!って僕が DeNA の新卒で最初に失敗した時と同じように経験を通じて学びました。

しかもこのコロナ期において、ほとんどのルールが毎日のように改正していく中なので、その辺りの状況キャッチアップが大変でした。

最近もコロコロ変わってる

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ドイツ渡航までの準備と渡航

当時、ドイツ大使館とコロナ情報のすり合わせを週次くらいでメールのやりとりをさせて頂いてたのですが、一番不明だったのが入国基準周りでした。

原則日本人は VISA 不要で入国できる のですがコロナ禍だとこれも怪しいみたいな話を聞いて、だいぶ入国できるか不安でした。

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こんな感じのやり取り

ドイツ大使館にも実際に VISA の申請に行ったのですが、取得までに3ヶ月くらいはかかるかもしれないって言われたので、結果的に従来の渡航ルールを信じて VISA 無し、就労証明書のみ、で渡航しました。

初めてドイツ大使館に行ったけど、広尾の方にあるんですね

日本からドイツまでの渡航の様子は、動画の方がわかりやすいので貼っておきます。

日本の緊急事態宣言下でドイツ渡航をしました。
人生でなかなか経験できない経験でした。
Journey during a flight to Germany. Experienced new things.

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ドイツ入国から就労開始まで

ドイツに入国後、まず 10日間 の隔離をしました。ただ、このルール、実は、2021年3月1日時点では、日本人は入国前48時間以内の PCR 陰性証明も不要なことから、本来は入国後の外出制限はなかったみたいです。(あくまで僕のタイミングなので、現在(2021年3月30日以降から不定期まで)入国前の PCR の陰性証明が必要です。)

まぁ、それはさておき、入国後、15日の間までに終わらせる作業が、

① 住民局で住民登録を済ませる

② 外国人局で長期滞在許可申請および就労申請を行う

の2つでした。

1の作業に関しては、原則2週間以内

2の作業に関しては、原則90日以内

で行うのですが、僕の場合、2021年3月15日に就労開始だったので、土日を除くと11日までに全ての工程が終わっていないといけませんでした。

(勘違いして)隔離期間を考慮してたため、10日の隔離を終えた、11日が勝負の日で、住民登録および就労申請を全てこの日に行う、ミスはできない!って感じで進めました。(意味:2021年3月11日が木曜日だったので、揃った書類を大学に提出するのが12日(金)で、就労開始が翌週の15日(月)・・・めっちゃギリギリ。。。)

関係各所に迷惑をおかけしました・・・。

こんなに神経を使ったのは久々だよ!って、秘書さんにも言われながら、なかなかスリリングな手続き作業を終えて、2021年3月15日(月)から晴れて、ドイツで就労兼PhD取得のプロセスが正式にスタートしています。

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DeNA を卒業からドイツ就労開始までのまとめ

ドイツの話はこれから特に YouTube を活用して発信していくので、7000文字も超えてきたし、この辺で終わりにします。

まとめると

● 2020年10月くらいからやり取りはしていた

● 2021年2月頭にDeNAの有給消化が始まり、その期間に怒涛の手続き作業

● コロナ禍の渡航は普段以上に神経を使うので、経験値が上がった

● ドイツ大使館の方々のレスも早く、本当に感謝

● VISAは日本国内申請せず、現地で取る通常のフローで攻めた

● 3月1日に入国、10日間の自主隔離、11日に手続き申請、無事間に合う

● 3月15日から 就労 兼 PhD の過程スタート

という感じです。

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さいごに

今回は「DeNAの入社から卒業、その後ドイツで就労するまでの軌跡について、振り返りと理由をつらつらと書いてみます」を、長くなっちゃいましたが、無事に書き終えれました。

最後に「はじめに」で書いた内容に触れたいと思います。

瞬間を大事に、やってみたいを大切に

人は論理と直感を掛け合わせて判断をしている

論理的な思考と直感的な思考が、それぞれどのくらいの比率で占めてるかは、わからないし、人によって違うのかもしれないけど、直感は論理に、論理は直感によって育まれていくような気がする

僕の経験では、なんとなくいいなと思った(直感で)世界に飛び込むことが、その先、5年、10年、自分にとって、あの時こうして良かったなと思うことが多い

そんな過去の経験を大事に、今の選択を選んでいきたい

今回の記事の軌跡の多くが、経験に基づいた直感で行動している、のが特徴かなと思っています。

今回のドイツの渡航までの勢いも、環境の変化で、自分の中でのスイッチが押されたことによって、生まれました。

言語化は大事ですが、こういった勢いは、直感の中にある経験という論理が働いてく時に最大限のエネルギーが発生すると僕は思っています。

なので、きっかけと決断を大事にこれからも邁進していきたいなと思っています。

P.S. DeNA の退社時に一個下の後輩の子が率先して、コメント集めて色紙を作ってくれて、本当に嬉しかったので、どこかで恩返ししたいと思ってます

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これからもどうぞ宜しくお願い申し上げます!

渡邉 洸( Ko Watanabe )

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