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個人の暮らしの延長が、まちになってゆく

玉野市に移住して、もうすぐ3ヶ月が経とうとしている。

あっという間だなあという気がする一方で、まだ3ヶ月しか経っていないのか、という気もある。先日とあるお店に行って、オーナーさんや常連さんとおしゃべりしていたら「もう馴染んでるよね」と言っていただいた。

人生で初めてかもしれない。自分も相手も満場一致で「この場所に馴染んている」という感覚になるのは。


約3ヶ月のあいだ、日に日にこの場所が好きになっている。こんなにも過ごしやすく、心惹かれるまちに出会えたなんて、幸運以外のなにものでもない。

同時に、「幸せだなあ」と思えるのが不思議でならなくて、この感覚を言語化する時間をとってきた3ヶ月だった。

要素としては「自然環境」「人」「まち」があるように思う。「自然環境」については、交換日記の中で少し触れた。

波も潮風も穏やかで、ずっと見ていたくなる。瀬戸内海に浮かぶ島々を見ては、より穏やかさを感じる。時間の流れがゆったりしている。瀬戸内海がこのまちに与えている影響は、かなり大きいと思う。


「人」についても以前書いた通り。余談だが、これを書いてよかったなあと思う出来事があった。このまちに移住した何人かから、すごく共感いただいたのだ。

住んでいるからこそ感じることってあるよなと思う。そして、「これからも私は言葉で表現していいんだ」と希望を少しいただいた気がした。自分が書く言葉は、できる限り素直でありたいと思う。


「まち」視点ではまだ書いていなかったから、ここで触れてみたい。

まず、JR宇野駅周辺の飲食店は個人が営む店ばかりということ。すべてとは言わないが、8〜9割は個人店だと思う。私はこれがいい意味で珍しい気がしている。


個人で店を営むとは「一人ひとりの暮らしの延長に生業がある」といえる気がする。自分が好きなこと・やりたいことを、自分の暮らしのなかで無理なく表現し、形にしているのがかっこいい。

何より、店を営業する側もお客さん側も、個人の表現を楽しんでいるように見えるのだ。それがとても心地よくて好き。

あと、観光客が行き交う場所ではあるけれど、観光地らしくはないのも好きなところ。例えば、お土産やさんがまちにはなくて、駅の小さな売店のみであること。例えば、飲食店が連なっているわけではなくて、住まいの間にぽつりぽつりと位置していること。

ある方が言っていた。「ここのまちは、人の暮らしが見えるからいいのよ〜!」って。住んでいて安心感がある理由は、ここにあるのかもしれない。


気がつけば季節は夏だ。空や海の色が変わって、まちの見え方も変わった。今月は4年ぶりにお祭りが復活するとのこと。季節の流れとともに、自然環境に、人に、まちに触れながら、これからも言葉にすることをやっていきたいと思う。

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