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好きなものを「好き」と言えるようになった。けれど、

先日、友人が私の住むまち「玉野」に来た。

この友人が来てくれるのは初めてだったけれど、ほかの友人は何人か来てくれたらことがある。その度に一緒にまちを歩き、好きなところを言いながら案内していた。

手前味噌だけれど、もれなく全員このまちのファンにして帰していると思う(笑)。自分が好きなものを「いい」と思ってもらえることが嬉しくて、私はそういうときだけ、饒舌になる。


友人と一緒にいるとき、お店や瀬戸内海など「場所」だけではなくて、「人」も紹介できた。これもとても嬉しかった。小さいまちだから、歩いていれば知り合いに出会うのだけれど、にしてもこの日は結構な確率で偶然人と出会っていた。

この人は◯◯さん。こういうことをやっている人。このまちに来た経緯はこう。こういうときにご一緒している。と、こんな話を友人には逐一していた。


「こあさんの人間関係の作り方を知りたい」と、友人は言った。「好きなものを話すの、お好きですよね?生き生きしてます」とも言った。

過去の私は、人間関係を作るのが苦手で、自分を開示する術を知らず、かと言って周りに左右されることも嫌で、ずっと殻に閉じこもっていた。

それに、好きなものを好きと言うことさえ苦手だった。話したときに「よく分からない。つまらない」という顔や反応をされると、私まで否定されたような気持ちになってしまって、ずっと言えなかったのだ。


そんな期間が長かったからか、友人に言葉をかけられたときは嬉しかった。反面、私は答え方に戸惑ってしまった。

今の私は、過去のなりたかった自分になれているんだ。そう、ちゃんと思えたのはこの瞬間が初めてで(忘れていただけかもしれないけれど)、当の本人はその変化についていけていなかったのだ。感情や思考を、どこかに置き去りにしているのだと思った。

だからなのか、好きなものを素直に好きと言えているのに、なんだか100%感情が乗っていない気がして、心の中でもやもやしている。好きなのに、事実なのに、なんだか軽いかんじがして。今の私は、良くも悪くもこう思っているんだと、あとから振り返って感じた。


確実に前進しているから、私が私でいられているから、それはそれでよし。けれど、色々な講座やセミナーに参加してきたのに、まだ感情を味わえていない自分がいることに気がついて苦笑している。ここからがまた、スタートだろうな。


素敵な友人へ。
はるばる玉野まで来てくれて、縁を感じてくれて、思ったことを伝えてくれて、ありがとうございました。また!


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