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違和感をぬぐった先で【うみまち交換日記 vol.11】

ひめちゃんさん、こんにちは。前回お返事もらったときから、少し日にちが経ってしまいました。

瀬戸内は寒かったり暑かったり、気温の差が大きいです。氷見はどうでしょう。


前回の「心の奥に生きている」-なんて素敵なタイトル!と思いました。どんな想いも、完全に消えるわけではないのだなと、思いなおせた気がして。

ひめちゃんさんの経験をお話ししてくださって、ありがとうございます。違和感をそのままにしなくてよかったなぁ。ひめちゃんさんに明かしてよかったなぁと、心から思いました。

「場所をつくる夢を、一旦置いておく」ことにしてから、1ヶ月以上が経ちました。いま、想像以上に身軽です。だからやっぱり、いまがタイミングではなかったのだなと、思えるようになりました。


でも実は、いろいろな巡り合わせがあり、場所を借りてコワーキングスペース兼カフェを週1程度で開くことになりました。

誰かが来たら、ドリンクやケーキを出して、それ以外の時間は私も自分の時間を過ごす。そんな場所です。

ゆるやかな時間のなかで、ゆるやかに人と繋がれるのが、私にとって満たされることなんだなぁとも認識してきました。この場所のおかげで、私は今まで以上に玉野というまちに“いる”ような気がして、じんわり嬉しいのです。

少しずつ、少しずつ、自分の感覚を大切にしながら、続けてみようと思います。


もうひとつ。

「私にはやめるとか、始めるとか、続けるとかはないんだと思います。」「反する言葉かもしれないけど、あきらめたわけではないし、火が消えたわけではないんです。」

ひめちゃんさんのこの言葉に、思い出したことがあります。

私のなかにもそういった、相反する気持ちがたくさんある気がして、何なんだろうなと思っていた時期がありました。

でも、最近聞いた話で「何なんだろう」が消えたので、ここでお話ししてみたいなと思います。


それは「端と端を経験するから、真ん中が見える」ということ。だから「相反することが共存しているのは、その人らしさ」である、という話でした。

例えば「ずっと働き続ける」と「仕事をしない」を経験して、自分がちょうどいい働き方が見つかる、とか。「家で過ごすことが多い」人が「海外に行く」経験をして、「自分の理想の暮らし方がわかる」とか。

仏教の言葉では「中庸」なんて言うそうです。


この考え方を知ったいま、ひめちゃんさんの言葉を見るととても腑に落ちます。

前々回くらいに書いた、グレーを愛することも、端と端を経験できたら愛せるのかもしれないなと思ったのでした。




余談ですが、最近の私はずっっっと苦手だと思っていたInstagramの発信にチャレンジしはじめました。

日々、いろいろなことに気がつくなぁと思っています。それをそのまま発信することで、改めて自分を見つめ直しています。

久しぶりに新たな扉を開いた気がして楽しいです。また、ひめちゃんさんの近況も教えてください。



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