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出産前夜~当日

出産までの日々

産前に予定していた全ての予定が終わり、あとは出産を待つのみという段階になった37週に突然それはやってきました。

その日は前日から私の実家のある甲府に、夫の両親が岩手から激励に来てくださっていました。
明け方、なんだかお腹が痛い、お腹冷えたかな?なんて思っていたら、あれ、そういえば間隔があるな?これはもしかして陣痛…?
そんな具合で夜中の1時頃から目が覚めました。まだ全然痛くないし、今誰かを起こしても病院行くような状況じゃないしなと思い、2、3時間様子をみてました。なんだか痛みが増してきたし、10分間隔になってきたところで実母と夫を起こしました。
産院に電話したところ、自宅でもう少し様子をみてもいいし、心配だったら病院へ来てくださいとのことだったので、外来の時間になってから産院へ行きました。

陣痛を監視する装置

先生に、これは陣痛ですか?と質問したところ、
「このまま強くなるようだったら陣痛、遠のくようだったら前駆陣痛だね」
とのこと。なるほど、終わってみないとわからないのか。

そうこうしてる間に、お腹の痛みは小さくなっていきました。つまり、前駆陣痛でした。

義両親も両親も夫もいる、すごいタイミングでお騒がせでした。存在感がすごい。

その日からほぼ毎日、夜はうっすら不規則なお腹が痛くなり、いよいよ出産が近づいてきたのだなという日々でした。
前駆陣痛は、本陣痛の予行練習やウォーミングアップとも言われています。うちの子、めっちゃ練習しますね…と毎晩思っていました。(思わせぶり)

前駆陣痛が初めて来た日のお腹ショット


出産当日

そして迎えたXデー。
前駆陣痛がやってきた日から11日後の38週5日、予定日より9日早いその日も、日課のようになっていたお腹の痛みを感じていました。

明け方、あれ?そういえば間隔がしっかりあるな?と思い測ってみたところ、またしても10分間隔。そして段々強くなってきている。今度こそそうかもしれない、と産院に朝5時頃電話しました。すると助産師さんが、
「8時頃にまた陣痛どうなってるか教えてください、ひとまず様子見でいいよ。」
と言っていたので、これはまた時間かかるな?と思い自宅で横になりながら待っていました。正直、まだ全然我慢できる痛さで、余裕ぶっこいてました。

8時になり、遠のいてはないけれど、かといって間隔が短くなっているわけでもなく、まだ余裕を見せていました。(慣れって怖いですね)

そしたら先生から電話かかってきました。(びっくり) 朝ご飯食べよ〜といって用意していたところでした。
「陣痛、来てるならもう今日出産した方がいいですね。これから病院来てください。」

というのも、前日の検診で推定体重が3000gを超えていて、私の体格だと予定日まで待っていたら胎児が大きくなりすぎて自然分娩できなくなるかもしれないと言われていたためです。

用意途中だった朝ご飯にご飯と味噌汁をしっかり食べてから「行ってくるね〜」という感じで病院行きました。
家族からは「あいつ本当に今日出産するのか…?」と思われていたようです。

その日、協会からミックスダブルスの連絡も来ていて、病院へ行く道中でチームメイトの豪くんにもそのメールを転送したり連絡をとっていました。
最後の連絡は「入院になりました!産んできまーす」でした。
たぶん豪くんにも家族と同様に思われていたと思います。

病院に着く前に少し陣痛の間隔が開いた時間があったため、陣痛スタートは10時頃ということになりました。

前駆陣痛が10日以上続いていたため、正直よく夜は寝れていませんでした。
出産は体力勝負です。このまま続いて体力が落ちる前に促進剤を使って出産しましょうというのが先生の見解でした。
そしてこの判断に、後にとても感謝することになります。

書類にサインをして、促進剤の錠剤を1時間に1回飲むことになりました。たしか最初が10時半だったと思います。
それから少しずつ痛みは強くなり出しましたが、まだ耐えられるレベルでした。12時に出てきたお昼ご飯を完食しました。(だって体力勝負っていうから)

これは入院中の違う日のお昼ご飯ですが、
めっちゃ美味しかったです。

促進剤が点滴に切り替わった14時半から様子がかわってきました。それまで余裕ぶっこきまくってた私でしたが、15時前から急に痛みが強くなりだしました。

午前中テレワークをしていた夫(初産だし、たぶん生まれるまでまだかかるし、午前中仕事してていいよ〜と言ったのは私)が、14時半頃病院に到着。ナイスタイミングでした。
新型コロナウイルス感染症の影響で、立ち会いや入院中に面会できるのは家族で1人だけ。病院に入る前に抗原検査が必要でした。

あとは皆さんご存知テニスボール。あれは本当に役に立ちました。テニスボールがないと、陣痛耐えられない痛みになってきました。テニスボールがぺっちゃんこになるくらい、押してもらって耐えていました。夫は出産翌日に胸筋が筋肉痛になったそうです。

この時たしか陣痛間隔が2分。このあたりから間隔測るのやめました。(余裕なかった)


あとはもう記憶がおぼろげですが、大人になってからこんなに「上手〜!」と褒められたことないってくらい、助産師さんが褒めながら進めてくれるので頑張れました。

子宮口が10cmにならないと、赤ちゃんの頭が出てこられません。子宮口1.5cm、2cm、4cmと刻んでいましたが、破水したら8cmになるまでが一瞬でした。

そこから何回かいきんで、赤ちゃんの頭が股に挟まるのを感じつつ、あっというまに分娩は進みました。


そして午後4:50、第1子の長女が生まれました。

「よくがんばったね」が子にかけた第一声だったと思います。

無事にこの世に送り出されたわが子。3360gでした。ちなみに出てきて最初に見て思ったのは、
「え、大きい。そして親父に似てる…!」
でした。


お産は本当に人それぞれです。今回私は本当に痛かったのは2時間くらい(たぶんかなり短い)でしたが、それでも最中はしんどかったですし、途中で休憩させてほしいと思いました。短かろうが、なんだろうが、痛いもんは痛いです。間違いなく人生で1番痛くて、形容しがたい程度でした。どんな分娩方法であっても、それぞれ、それなりの大変さがあります。
全世界のお母さん、みんなすごいと思います。あなたも私もよく頑張った。乾杯!

でも本当に不思議なんですが、痛みを忘れるんですよね。いや、痛かったことは覚えているんですが、その後も大変なので記憶が遠いというか。

出てくるまではこんな感じでした。これじゃ、完全に出産のエッセイですね。運動についても書いていこうと思います。

私の場合

体調

体調は、夜が眠りが浅かったので慢性的な寝不足ではありました。というのも、前駆陣痛が来る前から子宮に膀胱が圧迫されて頻尿になっていたためです。
幸い、私は夜にたくさん寝れなくても昼寝ができれば割と元気な人間でしたので、大きな不調にはつながりませんでした。
夜たっぷり寝たい人からすると、後期からはちょっとしんどい時期かもしれません。

運動のこと

胎児が大きい大きいと言われていたので、前駆陣痛が来てからは特によく歩いていました。
犬の散歩もかねて、近場をグルグル。いつでも病院に行けるように、3キロ圏内をグルグルしていました。実家近くはそれはもう歩きまくりました。最初は嬉しがっていた犬も、最後は疲れて早く帰りたさそうにしていました。

お腹の張りは多少ありましたが、もういつ出てきても良かったので、痛くならない限りは歩いていました。(主治医の指示に従ってください)

カーリングのこと

秋に小瀬スポーツ公園アイスアリーナでは、毎週カーリング教室をやっています。そのお手伝いをしに行ける時は行っていました。出産前日も教室で、氷上にいました。
周りの方々はドキドキしていたことでしょう。さすがにほとんどグリッパーを履いていたので、氷上をお散歩しているような感じでした。


おわりに

私はラッキーでした。家族のサポートも得られて、産前から母子共に健康で、何か1つでも欠けていたら、こうはいきませんでした。
すごい慎重派ではないですが、石橋を軽くノックするくらいの性格なので、心配事はそれなりにありました。その都度調べたり、聞いたり、試してみたりしながら進んでいましたが、やはり初めてというのはそれなりに不安になります。
「案ずるより産むが易し」とはよく言ったもので、結局最後は腹を括って分娩台に乗るしかなかったです。

日本の周産期医療は大変優秀です。自分と赤ちゃんと先生たちを信じて、GOODLUCK.

ただしあくまで1例に過ぎないので、参考程度に思っていただけたらと思います。

おまけ

出産の数日前に、私が生まれて10000日を迎えました。勘定してなかったから知らなんだよ(甲州弁)

みんな大好きシャトレーゼのケーキに
夫お手製チョコプレート



とっても長くなったので、出産直後のことはまた次回。
産褥期は産前産後期の中で、1番体験する前とのギャップが大きかった時期です。人によっては出産よりもしんどいかもしれません。(おそらく多くの母が頷いてると思います)

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