あなたの番です。

そりゃ、僕だってもちろん、面白い話やハッピーな話は好きですがね、それよりもずっと、悲しい話のほうが好きなんです。
 
「なぜ?悲しい話なんて。」
 
なぜと聞かれても。じゃ、ハッピーな話が好きな理由を説明できますか?それと同じように悲しい話が好きなんです。
 
「でも、やっぱり分からないわ。ハッピーな話が好きだと言われても、何の疑問もわかないけれど、わざわざ悲しい話が好きだなんて。特別な理由がなくっちゃ。きっと、あなたは悲しい人なのよね。だから悲しい話が好きなんだわ。」
 
たしかに、僕は悲しい人かもしれません。なにごとにも悲観的で、楽しさの中にも悲しさを探してしまうような人間ですからね。悲しい人間が悲しい話を好むというのは、あなたにとって納得のいくことなんですね。なるほどそういうこともあるかもしれない。
 
「あなたは悲しみたいの?」
 
みんなそう聞いてくるんです。でもそういうわけじゃない。
 
「じゃあなぜわざわざ悲しい話なんか。」
 
悲しい話はね、僕を安心させるんです。悲しい話は、世界に悲しいことがあるってことを、僕に認識させてくれるんです。僕は悲しい気持ちになりたいわけじゃない、僕はほっとしたいんです。それにはどんなハッピーな話よりも、心温まる話よりも、悲しい話のほうが合っているんです。この世界には悲しいことがあるって事実から、目をそらさずにいていいんだって思わせてくれるんです。
 
「悲しいことを避けたいと思うのは人として普通のことじゃない?あなたはそういう自分に酔っているんじゃないの?」
 
繰り返しになりますけどね、僕は悲しくなりたいわけでも、悲しいことを経験したいわけでもないんですよ。第一、悲しいことなんて、こちらがどんなに避けようとしたって、向こうから勝手にぶつかってくるじゃあないですか。避けようがないんです。避けようがないものを、無理に避けたくないと、僕は思ってるんです。どっしりと構えて、悲痛にあえぎながらでも、それを引き受ける姿勢をとりたいんです。あくまで姿勢ですがね。実際、悲しみを前にした僕はひぃひぃと情けなくあえいで、打ちのめされていますから。でもそういうときに、悲しい話は、僕を慰めたり元気づけたりしてくれるんです。悲しい話はね、そこに存在するだけで、この世界に悲しい話があるということを訴えていると思うんです。「この世界には悲しい話が存在している」、読んで字の如くです。そのことが、悲しいことを避けたり、無視したりしないようにしようと思う僕の気持ちを後押ししてくれるんです。実際、酔っているのかもしれません。でも、楽しい話だって、その楽しんでいる状況に酔わなければ、楽しめませんよ。心温まる感動的なストーリーだって、感動する自分に酔うことがあるでしょう。僕もそうやって、悲しい話を味わっているんです。楽しさに目を向けるにしても、悲しさに目を向けるにしても、自分の在り方、自分のスタイルという目的に合わせて、ストーリーを消費しているといえるかもしれませんね。
 
「なんか、変な人。悲しいことを避けたくなる人ばかりじゃないのね。あなたがいるし。」
 
聞いてくれてありがとう。僕もできることなら避けたいですよ。避けたいけど避けられないと思っていて、それで諦めているだけなのかも。でも、僕はあくまでそういう姿勢を持っていたいんです。能動的に、悲しみを引き受けていこうという気持ちで。
 
「そう、それなら、今度はわたしの、うんと悲しい話をしましょうよ。聞いてくれるわよね?」

...。

#日記  #Koba82メモ #創作大賞2022  #ノンフィクション

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?