まだ兄弟がいるかもしれない 牧野信一の『凸面鏡』をどう読むか④
昨日は、凸面鏡で親友の姿が歪み「鼻でか」が現れたと書いた。それにしても日本アイスクリーム協会の野郎、いい加減なことをしやがって……。
それにしても牧野信一の描く人物の情緒不安定さには呆れてしまう。松枝侯爵は、遺族手当がほしいからと父親から息子を戦死させてもらいたいという手紙が届いたという話を聞いて泣いてしまう。貰い泣きだった。
例えば前頭前野の働きが鈍ると自分の感情がコントロールできなくなる。このことによる老害というものは確かにある。しかしそれはふつうネガティブな方向に向かうのに対して、牧野の描く人物や猿は急にポジティブにも変化するのである。その意味、理由をいちいち捉えていくことがかなりややこしいということをこれまで具体的に示してきた。それは殆ど無料配布のアイスクリームを貰うくらい困難なことだ。
感情の起伏だけではない。やはり意識の捉え方が独特なのだ。「道子が云はなければ自分は買はないだろう、と思ひながら、」のくだりは普通は「道子が云はなければ自分は買はないつもりだった」と書かれる。「ないだろう、と思ひながら、」と一つクッションが挟まれて、自分の判断を推測していて、自分の意志を捉えていない。書き方としては三島由紀夫とは全く違うのだが、三島由紀夫レベルで人間の心のありようを突き放してみているとはいえようか。
意識の捉え方だけではない。「道子は金を払つて」とはどういう了見だろう。そもそも道子の嫁入り道具を買いそろえるために銀座に来ていて、資生堂へも道子のものを買うために入ったのではなかったか。こういう場合「純ちゃん」がおごるものではなかろうか。それを平然とやり過ごして話は進んでいく。冒頭で友人の誘いを断る場面の断り方、そしてあっさり帰っていく友人、ここにはあるべき感情がむしろなく、何か説明が抜けている。まるで読者に「道子は金を払つて」というところに引っかかってほしいというようなわざとらしさもなく、ただいい加減に放り出されている。この書きようはすごい。まるで宮城を空爆目標に収めながら、陛下のご命令で死ぬことが出来れば仕合わせだと言わせるくらい凄い。
設定の単なる分からなさと言う問題でもはない。「兄さんはね」ということは「純ちゃん」は道子の兄ではないのかと、解りかけた設定を壊しに来る。こうなるとまた妹への愛というものが怪しくなり、そもそもの「純ちゃん」と道子の関係性を考えなくてはならなくなり、「道子は金を払つて」がもう一度わからなくなる。これは私の前頭前野の働きが弱っているからなのであろうか。
解りかけた設定を壊すだけではない。「純ちやんの事を大変に心配してゐるらしいのよ」が「純は居ないか/\ツて……」につながることは解る。しかしそもそも「大変に酔つて帰つた晩」に「純ちゃん」はおうちにいなかった? どこかに泊まり? 何故心配しているの?
で「いつものやうに乱暴してね、阿母さんは髪の毛をむしられたし」って禿げるよ。それからお父さんはいないの? アメリカ?
しかも妹に対して「殺すぞ。」って……。
ここは「純が若し気でも触れたらどうしやう」で「も」じゃないんだなあ。「何しろ病気が病気なんだからね」というくらいだから病気であることは解る。どうも精神の病気のようだ。三人兄弟で純が次男、やはり道子は妹なのか。
この「俺はそれが心配で狂ひさうだ」と「彼奴は気狂ひぢやないのかしら」という台詞のアンバランスは、これが道子の創意でなければやはり「兄さん」の狂気性を証明している。ところが純はあくまでも「兄さんはそんなに僕の事を心配してゐるのかね」と言ってみる。確かに純はあまり勉強熱心ではないのかもしれないが、弟の心学の心配だけで球がおかしくなる兄もいないだろう。この真面目に受け取る態度もどこかおかしい。
しかし、ということはだよ、道子だけは真面なんてことがありうるものかね?
つまりどこかおかしいかもしれない道子が誰だかわからない恋人と別れて、別の誰かのところへ嫁ごうとしている、という話なのか。道子の結婚相手は、道子に頭のおかしい兄が二人もいることを知っているのか?
え?
いまはそういう差別はいけない?
そりゃそうだ。どうもすんずれいしますた。
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