これに気がついていた人はまあいないだろう 芥川龍之介の『誘惑』をどう読むか⑦
昨日はもやしがいくらなのか解らないという話を書いた。いや、芥川がとにかくもう考えうる限り最大の宇宙空間を捉えたというところまで読んだ。これは漱石の想像よりはるかにスケールが大きい。
しかし師匠ほどのダイナミズムには欠ける。まあ、普通の焼きそばとカップ焼きそばのような根本のところの違いがある。
芥川は複雑な構成の長篇小説が書けないというコンプレックスを隠ぺいしていたのだろうか。インフレーションを起こすのかと見えた物語は、まるでアンチクライマックスを目指すかのようにやさしくなだめられ、また素朴で大人しい小さな画にもどる。なんなら何の役目も果たさなかった誰かの姿はもうない?
ここには「さん・せばすちあん」の二つの影があるのであり、円光と星明りの二つの光源が一人の「さん・せばすちあん」に二つの影を拵えて居るのか。
よくよく読むとこれは確かに「さん・せばすちあん」のほかに誰かがいるわけではなく、「さん・せばすちあん」には二つの影があり、右の影は「さん・せばすちあん」とは異なる装いをしているという意味ではないか。
賺しの連続。
寸断された画からは物語さえ生まれない。
アンチクライマックス、アンチストーリー。
すべての物語は始まりのシーンがある以上それ以前の来歴の喪失から始まるとして、素朴な因果律を否定し、アンチクライマックス、アンチストーリーを宣言して書かれた小説があった。それはありきたりにカフカ的と評された。確かにカフカの小説にもそんなところがある。
しかしそもそも『鼻』こそは『今昔物語集』が持っていたストーリー性を排除し、因果律も排除し、せっかく短くなった鼻が何故か元通り長くなってしまうという、クライマックスに欠いた小説ではなかったか。
くしゃみの速度は時速160~320km。『芋粥』は予定調和の穏やかな話を破裂させた。
芥川という作家はよくできたお話にあらがい続けた。
空撮。寄り。
石ころというおおよそ比喩的な意味でもつまらないものの象徴であるものは、寓意を持ちかけて、すぐにやめてしまう。石ころは石ころに留まるべきだと通りすがりの人に諭すのでもない。
最も原始的な武器である石は、石斧から短剣に、短剣からピストルにとより複雑な武器へと進化して攻撃性を高めるが、何かちょっとしたきっかけで突然やる気を失ってしまう令和の新入社員のように石ころに戻ってしまう。
それでも幽かに意味を漂わせるが、むしろその意味は消えてしまったと言ってよいかもしれない。水兵を刺したナイフともつながらない。せめて短剣と書かずナイフと書かれていたら、馬鹿な大学生はそれが図書館の本なのにお構いなしで線を引いてしまうかもしれない。しかし短剣はナイフではない。ピストルはこの章にしか出てこないだろう。(多分。)
それは足元を見つめる「さん・せばすちあん」にとって何かの誘惑になりえただろうか。「さん・せばすちあん」は誰かに対する激しい殺意を隠ぺいしているのだろうか。隠ぺいはQRコード決済に対応しているのだろうか。
それは石ころで十分な殺意だろうか。
いやまてよ。
足元を見つめる「さん・せばすちあん」からの「斜めに上から見おろした山みち」ってカメラはやはりドローンのように舞い上がっているじゃないか。クレーン撮影?
そこからの石ころへの寄り。
石ころの変化はモーフィング。
やはり芥川には私の書いている文字が読めるのだろうか。また敢えて静かな平凡な絵に戻る。いや、平凡ではないな。そこにはあり得ない二つの影があるのだ。そしてずっと勿体らしく置かれていた樟の木の幹が眺められる。この幹というのがすごいところだ。
これもよくよく読めばという話になる。
これまで「樟の木の枝」と書かれていて「枝」の文字は五回現れた。しかし「幹」の文字が出てきたのはこの章が初めてなのだ。芥川はここで読者の記憶を試し、樟の木の無標性を指し示しているのだ。それは尻尾の長い猿が座っていた「樟の木の枝」ではなく、この物語の中には初めて出てくる特に意味を持ちえないただの「樟の木の幹」だと我々を賺しているのだ。
それは帰宅ラッシュの満員電車で慎重に賺された未婚で間もなく親の介護を始めるOLのすかしっ屁のように百年間無視されてきたものではないか。
いや百年前には帰宅ラッシュの満員電車で屁を賺す未婚で間もなく親の介護を始めるOLはいない。
つまり外に比較するものがないほどの絶対的な賺しがここにあるのだ。
この賺しは凄い。
実に文学的で、なおかつちょっと他に類似の例が思い浮かばない。殆ど初めて見るレトリックだ。
枝
枝
枝
枝
幹
これは凄い。
今何か応用例を作ろうかと思ったがぱっと真似できるものでもない。
これは凄い。しかしこの凄さも誰にも伝わらないんだろうな。
[余談]
増えてきたなと思う。
明らかに増えてきた。
これは減らないだろう。
このままでいいのかな。
結構おかしいのもいる。
何故か自転車で爆音で音楽かけて疾走しているのとか。
完全に信号無視とか。
なんとかならんのか。
いや言い回し。
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