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単純には還元されない 平野啓一郎の『三島由紀夫論』を読む37


百物叢談

 さて平野啓一郎は「兵庫髷」をご存じであろうか。『春の雪』第二十九章に出てくる女性被告人の髪形について「兵庫に結つて」と書かれていて、おやっと目に留まるところだ。


歴世服飾図説 下


稀書複製会刊行稀書解説 第10篇


人体美論


近世女風俗考

 一言で言えば江戸時代の遊女の髪形の一つで、大正時代にはとても珍しい髪形である。何やら意味ありげだが意味は掘り下げられない。

「あれですよ。坊ちゃん、あれが人を殺した女とも思へませんね。人は見かけによらぬものといふが、全くですな」

(三島由紀夫『春の雪』『決定版 三島由紀夫全集』新潮社2001年)

 被告人の女は小太りの三十一歳。日本橋区浜町の平民、増田とみ。ちなみにこの「平民」という区分は「貴族」との分け方という意味合いもあるがまだ「士族」という身分があったことの意味合いが込められているのであろう。三島のこの女の殺人が「一連の情熱のオートマティックな動きに乗ぜられて、しゃにむに悲劇の結末へ到達した」と書いてみる。

 そう書かれて、すぐに思い浮かぶのは清顕の行動よりもむしろ、市ヶ谷のバルコニーでの三島の芝居であろうか。オートマティックな動き、堂々たる振る舞い。素人には真似のできないまるで右翼のような乱れのない演説。

 増田とみは料理屋の仲居だった。板前と所帯を持ち、浮気され、浮気相手の女中ひでを殺した。

 繁邦は、と急に呼び方が改められたような二十九章で、繁邦は、

 人間の情熱は、一旦その法則に従って動き出したら、誰もそれを止めることはできない、と。

(三島由紀夫『春の雪』『決定版 三島由紀夫全集』新潮社2001年)

 こんなふうに考えてみる。これは少し単純すぎる上に間違った考えではないかと思うがとにかく繁邦はそう考える。この「情熱」という言葉はすぐに「情念」に置き換えられる。それでもまだ違うと思う。

 ただこの考えは本多をして清顕を押しとどめさせることを差し控えることになる。この緩い情熱理論もまた平野啓一郎の目には止まらなかったものと思われ、次章の指輪紛失、次々章の鎌倉旅行と共に無視される。

 シャムの王子たちは鎌倉の大仏に跪いて拝む。こうした信仰は清顕と本多にはなかった。つまり清顕と本多には跪いて拝むべき対象などないのだ。崇拝するもののない二人とシャムの王子たちが対になる。

 しかし読者はこの間、二十七章から三十二章まで清顕と聡子がセックスをしていないことを見るべきであろうか。いや勿論鎌倉の海水浴で本多が清顕の左の脇腹に三つの黒子を認めることを記憶すべきではあるのだろう。三十二章の終わりで鎌倉旅行はアリバイ作りのためであることがわかる。、

 この情熱なり感情なり情念なり、はたまたオートマティックであるべき清顕の恋、つまり行動が狡猾なアリバイ工作を含んでもいることは何を示唆しているのであろうか。この意味において私は決行の朝の村田英雄への電話なり「唐獅子牡丹」なりというものを少しは問題としたのである。

 どの一冊でもよいのだが少なくとも『金閣寺』一冊でも読んでみれば、三島由紀夫という作家がいかにややこしい人なのかということだけは誰でもが理解できるはずだ。あれを解りやすい話として読める人は頭がおかしい。

 つまりここには情熱なり感情なり情念なり、はたまたオートマティックというものが単純さというものとは合致しないというロジックが示されているとみていいだろう。この単純さという言葉は純粋さと読み換えてもいい。このことは『奔馬』における飯沼勲の行動が読者以外には少々無軌道な純粋さに見えかねないという仕掛けに込められたロジックにも似ている。
 三島由紀夫は溝口に最中と菓子パンを与える男なのだ。
 勿論見え透いたアリバイ工作だ、いかにも若者らしい純粋さだと言ってみることはできる。しかし実際清顕から告白されるまで、読者は鎌倉旅行がシャムの王子たちの慰安のためだと信じ切っていたのではあるまいか。それを騙されたからと意地を張って知ったかぶりをしてみるのはつまらない見栄だ。
 
 ではエメラルドの指輪は?

 全てのものに寓意を見出し解釋できてしまうことは決して国語能力ではない。紛失か盗難か曖昧なまま消えてしまったエメラルドの指輪は、確かにその存在が曖昧な三種の神器のようでさえある。しかしその意味はまだ『春の雪』の中では解かれはしない。ただ極めて表層的に眺めてみればどこぞの王子様が日本ではとんだ災難にあっているなという話である。このことは新河男爵の宮様に対する軽視と合わせて大正二年の素朴な時代感覚と捉えても構わないのではなかろうか。
 

金枝玉葉帖 : 御大典記念

 宮様の軽視と言えば清顕と聡子の逢引のだしにシャムの王子らが利用されているという設定そのものの中にもそういう要素はある。

 三十三章でやや唐突に生まれ変わりの話を始めるシャムの王子たち、正確にはクリッサダは、既に仏教というものが葬式や墓というものを介してしか意味を持たなくなった大正の聖代において、輪廻転生の講義をするために招かれたものであることが解る。この話題は既にそうした世界認識に感心がある本多の一人語りでしか成立しえないところ、シャム独自というものをうものを提示することで議論が深まる仕掛けだ。

 ここで釈迦は過去世に於いて菩薩として金の白鳥、鶉、猿、鹿の王などに何度も転生しているという話が出てくる。

 セブンイレブンの金のカレーは美味しい。金の白鳥はタイの伝説のようなものであろう。

 しかしこのことは清顕もまた誰かの生まれ変わりであるのかもしれないのだという繰り返しの仄めかしの一つであるように思えるし、決してそうは見えない観察者本多でさえ無自覚の転生者でないことがシャム仏教的には許されないのだというカルマのおきてが示されているとみられるところでもある。

 要するに生まれ変わりというシステムの中にすべての生き物が囚われているのであれば、大量に水揚げされたイワシ一匹一匹が一定の手続きを経て何かに生まれ変わらないではいられない仕組みなのである。イワシや鶉にどのような善行が可能であろうかと問うてはいけない。宗教とは本質的にそうした出鱈目を積み上げることで成り立つものだからである。

 清顕の「感情の戦争」の意味はとんと解らぬ。エメラルドの指輪の意味も解らぬ。鶉の善行も解らぬ。これが解らない型アトラクションであると先に述べた。「感情の戦争」はアトラクションとしては出来のいい方ではないが、例えば始終鋭い警句ばかりを発していると馬鹿みたいに見えるもので濃淡が求められたということなのだろう。

 ちょっと余談を書きたいので今日はここまで。


君ら喧嘩売っとるんか?

[余談]

 平野啓一郎の初期作品がそうであるように、三島由紀夫作品の魅力の八割方は豊かな語彙を含めたその華麗な文体にある。しかし平野啓一郎は文体論を書かなかった。
 私は先ずそれを平野啓一郎の文体作家としての賺しだと見做した。つまりこれくらい作家なら書けて当然、いちいち論うことでもないと賺したのではないかと考えた。実際平野は私が「観念の空中戦」と呼んでいるところの二段構えの屁理屈を理屈として読み解いてしまい、なんなら禅の公案の答えまで説明してしまうくらい明晰であることを示して、三島由紀夫が書いていることをさも当たり前のことのように見せかけてしまう。しかしそこにはずるがあり、平野は三島の理屈にすべて付き合っているわけではなく、ロジックが破綻しそうなところは知らん顔で通り過ぎているのだ。

 平野は三島由紀夫が文体の人であることには気が付いていた筈である。それはまた文体の人である森鴎外に感服してそれを真似ようとしたという確認があったことからも明らかである。

 しかしそもそも文体論というものはどのようにして可能となるものであろうか。ここが出来そうで出来ないので平野も手を出さなかったのではなかろうか。

 ざっくりとしたイメージとしては文体論は技術論になりそうである。パターン分析が必要になりそうで、例えばこれが三島由紀夫の文体における特徴であるということを示すためには古今東西の様々な作家たちとのパターンの比較が必要となり、膨大なデータの解析が必要になる筈である。
 これはまだ文体論ではないが、シェイクスピアなどに関しては語彙の出現度合いなどが解析されていた筈である。そのようなやり方で三島由紀夫の文体が統計的に分析されうるとしたら、まず全てのテキストデータを取得しなくてはならない。
 そこがまず厄介になる。
 その次にテキストデータの分析では意味がないということに気が付く。
 例えば「兵庫」。これは普通兵庫県を意味するが、『春の雪』では「兵庫髷」を意味した。漱石の『坑人』で「茨城県」があだ名として用いられたようなケースを含め、一つの作品の中で次第に意味を変化させていく言葉なども考え合わせるとメタテキスト分析というものを考えざるを得ず、その手法を含めてかなりややこしいものになってしまうのではないかと考えた。
 そして一昨日ふと牧野信一の『爪』を読んでいて、やけに現代風の文体だな、このリズムの起源は誰だろうと考えてみた時、鴎外の『舞姫』までは辿り着いたものの案外それ以前にはなくそれ以後も使われていないような感じだけがあり、様々な人が書いてきた『文章読本』というものが技術論ではなく、文体論というものは殆ど歌論、俳句論に留められていたような感じがしてきたのだった。

 あくまで感じである。

 本多勝一の『日本語の作文技術』ほか、文体に関する技術書のように見えるものがないではない。しかしそんなものからは擬宝珠の蕾云々の表現が生まれるわけもない。

 少し前に文体模写というものが流行った。様々な文豪にカップ焼きそばの作り方を説明させたらどうなるかというものだった。

 これは真似ることで文体の特徴を抽出するという試みで、構造として説明することは難しいけれど雰囲気として再現することは可能という意味でさらに文体論の本質的な困難さを示す事例とは言えまいか。要するに一例をあげれば三島由紀夫はこんな表現をしていますよ、と言って引用を繰り返すことはできる。そしてそれをいかにも三島らしいなと眺めることもできる。少しは真似もできる。しかし総体として論じることは難しい。
 何故ならば三島の文体は古典がしっかり身に付いた最後の世代としての三島自身そのものであり、そこには理屈ではないものがあるからだ。理屈ではないところは理屈では説明できない。

 そして「焼きそば」や「茨城県」が文学なのだ。

 あくまで余談である。



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