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金持ちの気まぐれではできないこと 平野啓一郎の『三島由紀夫論』を読む30

 平野啓一郎は「53 透の「真贋」」においてこう述べる。 

しかし、何故、養子なのか?

(平野啓一郎『三島由紀夫論』新潮社 2023年)

 さすがである。

 この一言でこの本を買う価値があると言ってよい。これはなかなか気がつかないポイントだ。平野はこれが亡妻の梨枝から提示されていたことでありながら、動機の具体的な描写がないと指摘する。

 透はこれを、「育英の仮面をかぶった施しの申し出」と解し、金持ちの「退屈」凌ぎと見做す。

(平野啓一郎『三島由紀夫論』新潮社 2023年)

 この「誤解」そのものは大した問題ではない。物語は本多がただ透を観察することに留まらなかったことで悲劇的に展開してくことになるからだ。さらに平野はこうも指摘してみる。

 それにしても、本多が、自分の単なる勘違い、思い込みによる人違いとは考えずに、飽くまで、透を「贋物」という存在と考える発想は、奇妙であろう。

(平野啓一郎『三島由紀夫論』新潮社 2023年)

 あれだけ『金閣寺』において無意味に天皇に固執して見せたのは、ここで読者に天皇を思わせる仕掛けだったかと疑わせるところである。昭和天皇は人間になった後も明治神宮にお参りし、伊勢神宮にもお参りする。昭和天皇は人間である以上天照大神のコピーではない贋物の天皇だ。では本当の〈神的天皇〉というものが昭和天皇以外に地球上のどこかにいて、我々は本物の〈神的天皇〉と昭和天皇を取り違えていただけなのか?

 平野啓一郎はそうは問わない。 

 問題は何故「真贋」なのかというところだ。贋物があるということは本物があるはずだという理屈になる。しかしそう考えてみた時、これまでの本物というものがいかに頼りなない、さして意味のないものであったかということが再確認できるのではないか。

 自認だけで、宣言だけで人が神にもなり人間に戻ることが可能である筈もない。仮に昭和天皇が人間なら、明治天皇も人間である。では孝明天皇はどうか。仁孝天皇はどうか。おそらくいずれも人間であろう。〈神的天皇〉は神話の中にしか実在しない。

 平野啓一郎はそうは書かない。なんなら、

況してや天皇の存在は、『天人五衰』でも完全に黙殺されている。

(平野啓一郎『三島由紀夫論』新潮社 2023年)

 インターネットで調べ物をするのに手っ取り早い方法がある。教えてくださいとお願いしても誰も教えてくれないのに、知ったかぶりしてでたらめをSNSに書き込むと事細かく反論してくれることがある。

 そういう作戦なのか?

 平野は先ず絶対に天皇と同一視できない本多が「決して愛することを知らず、自ら手を下さずに大ぜいの人を殺し、すばらしい悼辞を書くことで他人の死を楽しみ、世界を滅亡へみちびきながら、自分だけは生き延びようとしてきた」などと言い出したことに引っかかりながら、決してそのことを天皇と結び付けようとしなかった。

 しかし「自分だけは生き延びようとしてきた」と三島由紀夫が責め立てている相手は昭和天皇しかいない。

 おそらく三島由紀夫は平野が言うように『天人五衰』の中から天皇を見つけ出すことを極めて困難にしている。しかし天才平野啓一郎は「指嗾という態度」までは取り出して見せた。そしてその先を言わない。
 一番そそのかしたのは誰かとは書かない。

 平野はまた『天人五衰』において生まれ変わりの価値が大げさに誇張され過ぎていることも指摘する。その誇張が本多と慶子の間でやすやすと共有される不自然も指摘している。しかしそもそも生まれ変わりであることが現実的にほとんど意味を持たなかったことには触れない。

 森鴎外は『かのように』や『空車』で天皇制の虚構性を指摘しながら『渋江抽斎』『伊沢蘭軒』で養子によって継続する家系の記録を書いた。そのほとんど無意味とも思われる淡々とした記録は、アンチストーリー、アンチクライマックスの極致と言ってもいい。そこから何か思想性を摘まみだせと言われたら「血脈なんてどうでもええ、養子でええやん」ということになる。森鴎外は天皇神話は否定しながら制度としての天皇制は否定しなかったのだ。しかしある意味では天皇制をその程度のものに押しとどめる理性というものを持っていた。

 三島由紀夫はやはり養子という制度により、少なくとも財産は移転されうるものだという当たり前のロジックを示したに過ぎないが、もしも三島由紀夫が森鴎外の正しい読者であるならば、おおよそ非科学的な「生れ変り」が何も継承しない事実、つまり生まれ変わりの無意味さにたいして、養子縁組というのは現実的な意味を持ちうることを確認していると言ってよいだろう。
 物語はまさにそこにかかってくる。養子縁組したために禁治産者として排除されようとする本多。これまで安全な覗き魔であった本多が養子縁組という制度に於いて犠牲を払うことを迫られる。

 制度というものはそういうものである。

皇室画報 大阪毎日新聞社 編荒木利一郎 1922年

 誰や君?


 私の寿命の関係で少し先走ってしまえば、本多は制度のために贋物に殴られるのだ。これは如何に神話を否定してしらばっくれようとも天皇制という制度に於いて、三島由紀夫という贋物に口をこじ開けられて熱い握り飯を無理やり食べさせられるようなものではあるまいか。

 このロジックを三島は絶対に見つけられないように隠している。それは何度も繰り返すようにイメージ的に本多と天皇が結びつかず、透と三島由紀夫が結びつかないからである。
 従って中曽根康弘はむしろ『奔馬』の飯沼勲と三島由紀夫を結び付けた。平野は飯沼勲と三島由紀夫の違いを明確に意識しながら、女の子にもなりたい三島由紀夫とジン・ジャンをも比較しなかった。
 ただし『豊饒の海』が『鏡子の家』の仕返しであるならば、松枝清顕も飯沼勲もジン・ジャンも安永透も杉本清一郎、深井俊吉、舟木収、山形夏雄同様三島由紀夫の分身の一人であると一旦は考えてみても良いだろう。

 では養子を持つということはどういうことか。

 制度の上に於いてかつて全ての国民は天皇の赤子であった。

 無論金持ちの気まぐれで赤子になったわけではない。制度としてそういうものに組み込まれたのである。

 本多は透の制度上の親になった。透は平野が指摘するように、「本質的な拒絶を以って物事を受け容れる」というひねくれたニヒリストである。三島由紀夫は既に英国式のロイヤルファミリー的なものに移行しようとしていた天皇に対して後ろから奥襟をつかむようにして今更のように赤子たらんとした。この二人の態度はまるであべこべのようでありながら、絶対者の意味づけをもう一度問うているように思える。

 国民全部を赤子とする絶対者の絶対性というものは、けして恣意的なものではありえない筈だ、とは言えまいか。個々人の「どちらでもいい」養子縁組はいざ知らず、赤子は捨て子にはできない。

 書かれている範囲で『天人五衰』には現れない天皇と三島由紀夫の行動は、書かれていることの反対側にうっすらと陰画を結んでいる。このことに平野啓一郎が気が付くのかどうなのか、まだ誰にも解らない。何故ならここまでしか読んでいないからだ。


 

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 これがみんな同じ人。

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