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芥川龍之介の『長崎』をどう読むか① サント・モンタニ?

 芥川龍之介の『長崎』は短い詩のような作品だ。

 菱形の凧。サント・モンタニの空に揚つた凧。うらうらと幾つも漂つた凧。
 路ばたに商ふ夏蜜柑やバナナ。敷石の日ざしに火照けはひ。町一ぱいに飛ぶ燕。
 丸山の廓の見返り柳。
 運河には石の眼鏡橋。橋には往来の麦稈帽子。――忽ち泳いで来る家鴨の一むれ。白白と日に照つた家鴨の一むれ。
 南京寺の石段の蜥蜴。
 中華民国の旗。煙を揚げる英吉利の船。『港をよろふ山の若葉に光さし……』顱頂の禿げそめた斎藤茂吉。ロティ。沈南蘋。永井荷風。
 最後に『日本の聖母の寺』その内陣のおん母マリア。穂麦に交じつた矢車の花。光のない真昼の蝋燭の火。窓の外には遠いサント・モンタニ。
 山の空にはやはり菱形の凧。北原白秋の歌つた凧。うらうらと幾つも漂つた凧。

(芥川龍之介『長崎』)

 大正十一年の長崎旅行の後に書かれたこの『長崎』の中に二度現れる「サント・モンタニ」という言葉は、「さんた・もんたに」として『じゅりあの・吉助』において既に使われていた。

 この「さんた・もんたに」は聖なる山と言う程度の意味であろうと考えてきた。が、もし長崎という場所で限定して「サント・モンタニ」とは具体的何を指すのかと考えてみると、

日本西教史  下巻 ジアン・クラツセ 著||太政官翻訳係 訳時事彙存社 1914年

 ここにあるようにキリスト教伝来と迫害の歴史的には「サイント・モンタニ」という有名な刑場と言うことになる。

 木下杢太郎はわざわざ浦上村を訪ね、「サント・モンタニ」の位置を問うも、この時点でそこには可視的な物体としてのモニュメントのようなものは存在せず、位置の特定すら天理教会のあたりと的を得ない。

地下一尺集 木下杢太郎 著叢文閣 1921年

 そしてこれはどうも『長崎』にあらわれる「サント・モンタニ」とは違うものだ。『長崎』にあらわれる「サント・モンタニ」は何度読み返しても刑場ではなく、エトナのような象徴的な火山、モンターニャ、空に延びる風景としての長崎のお山なのではないかと思えてくる。

 では長崎においてお山とは何か。

 位置的なことを考え合わせると雲仙岳が最も「サント・モンタニ」に相応しいのではなかろうか。

 日本の聖母の寺が大浦天主堂だとしたら、やや距離があり過ぎる感じがしてしまうが、

 高低差からして不自然ではなく、「窓の外には遠いサント・モンタニ」という表現には見事に嵌る。

 どうも『長崎』の中に二度現れる「サント・モンタニ」という言葉は歴史上の刑場ではなく、空に高くそびえる具体的なもの、観念的なもの、抽象的なものではなく目に見えるものに与えられた渾名である。

 雲仙岳が『長崎』の「サント・モンタニ」であるという解釈は『じゅりあの・吉助』の「さんた・もんたに」の意味からは離れてしまう。ただし『長崎』を一つの詩的散文とみなせば、「サント・モンタニの空」「窓の外には遠いサント・モンタニ」という言葉の使われ方から判断して、私は『長崎』の「サント・モンタニ」は雲仙岳だと考える。

 暑いので馬鹿になったのではない。

 もともとこんな感じだ。

[余談]

中華民国の旗は青天白日旗である。

 誰?


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