比喩と来たか 牧野信一の『闘戦勝仏』をどう読むか⑪
悟空は十分自覚的である。「俺は俺の為のみに快楽のみを求めて、君達よりも余程面白い思ひをして来たのだよ」と、客観的ですらある。そして小気味良い総括でもある。
しかしいきなりの「蝶」!
なんという些細な八つ当たり、気まぐれの殺生。ここであの「麒麟山百万の化物は一匹も残らず焼け死んでしまつた」という出来事が、たまたまではないことが、……いや逆に、たまたまであったことが解る。
悟空はたまたま、大した意味もなく、そんなことができる猿なのだ。
八戒や悟浄に半年待たされたといういら立ちのようなものは見えない。すべて御伽噺的に処理されている。御伽噺的とは細かいところはまあ大体で済まされるという意味である。例えば如意棒。同じ質量なら伸びた時にはスカスカで、風に吹き飛ばされてしまうだろうし、同じ強度を保つことは難しい。ここで八戒や悟浄に半年待たされたといういら立ちのようなものは見えないのは、八戒や悟浄側は舞台の裏の楽屋でスマホを見たり、スポーツ新聞を読んで休憩していたからで、そこには半年という舞台上の時間は存在しないからだ。八戒や悟浄にカメラがついて密着取材すると色々と面倒なことになるかも知れない。だからここではそういう時間というものが存在しない体で話が進められているのだ。
この後の一行の空白で玄奘が悟空のむやみな殺生を咎めたとも読めない。
書いていないからだ。
もう皇后と書くのも面倒臭くなったのか、牧野は「王と后」と二回も書いてみる。確かに面倒臭かったのであろう。八戒や悟浄に苦情を言わせるのも面倒。話を続けるのも面倒。もう台詞を言わせるのも面倒なのではあろうが、例の五か月の空白を遊んでくる。
この人のワーキングメモリーもなかなかだ。
ここで「春の川を音もなく降る陽炎のやうに」とあくまで比喩として使われた季節は、悟空が旅立つ前、やはり「悟空が打ち眺めた王の手のあたりには、密香竜涎の香りが、晩春の紫の霞の如くふわりと包んで」とやはり比喩として使われていて、実際の季節がいつなのかは曖昧なのだ。
夏冬秋の文字はない。
ただ春の感じというものを「窓下の花にヒラヒラと踊つてゐる蝶」と書くことでぼんやりと示している。悟空らが朱紫に入った貞観の十三年は『西遊記』ではそもそも太宗皇帝が三蔵法師を西大に送り出した年、月は九月。九月はもう秋である。なんだかややこしいが、牧野が時間で遊んでいることは確かだ。
まあ、戒名ではないな。
西天の如来から賜った位のようなものだ。
しかしこれでは三蔵法師はおろかお釈迦さまも「俺は俺の為のみに快楽のみを求めて、君達よりも余程面白い思ひをして来たのだよ」という本当のところは見抜けないようなお話になっていて、あれだけの殺生(焼き殺された魔物たちに混じって、中にはいやいやながら付き従っていた人や囚われていた奴隷なんかもいたのではなかろうか?)がむしろ褒められていることになる。そして仏教なんて大したことはないよ、悟りだの仏だのと言っても、猿の考えることなんか何も分かっていないよという大変罰当たりなロジックが出てしまっている。
そんなものは解るわけがないという自信が溢れているかのようだ。
この一作で牧野信一の仏教に対する考え方や「意識」の捉え方などを総括してしまうことはできない。然しながら、嚇かしてやるぞという妙な気どりもなく、格好つけもなく、かつて誰もやったことがないような、妙なことをやっていることは間違いない。
そしてこんな人がかなりぞんざいに扱われていて、あまり真剣に読まれていないことも解った。
なんとも興味深い作家の、なんとも興味深い処女作であることよ。
と、私だけが呟いておこう。
[余談]
生きるって、難しいね。
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