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夏目漱石の『坑夫』をどう読むか⑥ シキでも飯場でもジャンボーでも

時計がないんで何時だか分らない

 自分は雲に埋まっている。残る三人も埋まっている。天下が雲になったんだから、世の中は自分共にたった四人である。そうしてその三人が三人ながら、宿無しである。顔も洗わず朝飯も食わずに、雲の中を迷って歩く連中である。この連中と道伴れになって登り一里、降り二里を足の続く限り雲に吹かれて来たら、雨になった。時計がないんで何時だか分らない。空模様で判断すると、朝とも云われるし、午過ぎとも云われるし、また夕方と云っても差支えない。

(夏目漱石『坑夫』)

 ここはぎりぎり読みすぎてはいけないところ。この「時計がないんで」というのは、

 実を云うと自分は相当の地位を有ったものの子である。込み入った事情があって、耐え切れずに生家を飛び出したようなものの、あながち親に対する不平や面当ばかりの無分別じゃない。

(夏目漱石『坑夫』)

 という辺りと考え合わせると、

「足りないところは、私が足して上げるから、構わない。何しろ有るだけ御出し」
 と、思ったよりは平気である。自分はこの際一銭銅や二銭銅を勘定するのは、いかにも体裁がわるいと考えた上に、有るものを無いと隠すように取られては厭だから、懐から例の蟇口を取り出して、蟇口ごと長蔵さんに渡した。この蟇口は鰐の皮で拵えたすこぶる上等なもので、親父から貰う時も、これは高価な品であると云う講釈をとくと聴かされた贅沢物である。長蔵さんは蟇口を受け取って、ちょっと眺めていたが、
「ふふん、安くないね」

(夏目漱石『坑夫』)

 こんな形で財布のようにどこかに消えてしまったのではなかろうか。無論ここは書かれていないところなので読みすぎはいけない。しかし「時計がないんで」と言われてみると改めて蟇口のゆくえが気になる。主人公は気にしていない。そこからも主人公が、何も知らない坊ちゃんであることが伝わってくるように思える。


自分は色盲じゃないか

 今までの雲で自分と世間を一筆に抹殺して、ここまでふらつきながら、手足だけを急がして来たばかりだから、この赤い山がふと眼に入るや否や、自分ははっと雲から醒めた気分になった。色彩の刺激が、自分にこう強く応えようとは思いがけなかった。――実を云うと自分は色盲じゃないかと思うくらい、色には無頓着な性質である。――そこでこの赤い山が、比較的烈しく自分の視神経を冒おかすと同時に、自分はいよいよ銅山に近づいたなと思った。

(夏目漱石『坑夫』)

 ここはこれまでの漱石作品とこれからの漱石作品を考えて行く上でかなり引っかかるところだ。

 まず苦沙弥先生は吾輩をなんともいえぬ色に描く。『虞美人草』では柘榴石を当初「緑りの珠」と書いてしまっている。『野分』では「竹藪の傍へ持って行くと非常にあざやかに見える」「透明な秋の日に照らして見ないと引き立たない」着物の色を何色か明言しない。『三四郎』でも徹底して色を隠す。さらには三四郎は青と赤と間違えて旗を振る。

 それでいて『それから』では妙に緑と赤の対比に拘る。

 少々拘り過ぎではなかろうか。

 少なくとも柘榴石を「緑りの珠」と書いてしまっては、色には無頓着な性質では済まない。案外ここには自己諧謔が隠れていないものだろうか。


こっちがシキだよ

「こっちがシキだよ、御前さん、好いかね」
と云う。自分はシキと云う言葉をこの時始めて聞いた。
 よっぽど聞き返そうかと思ったが、大方これがシキなんだろうと思って黙っていた。

(夏目漱石『坑夫』)

 ここは今更ながら書簡集を読んだ者なら痺れるところ。ここは岩波もシキの説明ではなく執筆工程に言及してほしいところ。

 小宮豊隆宛ての書簡で、

 尤もシキと云ふ字の出初めは銅山へ着したすぐ前からだから此間の原稿の仕舞の方になる。回數ぢや一寸分らないが、何でも長藏さんが坑夫に向つて「左りがシキだよ」と云ふ所がある。そこからさきを貰つてきてくれゝばいゝ。是は仕舞の方だから一寸持つて歸つても野田君の迷惑にはならない。それから、すぐ直して又持つて行つてもらひたい。

書簡

 と書いているのだ。つまり入稿したての原稿にミスがあることを控え無しに気がついて、そのミスをした箇所を直そうというのだ。そりゃ、ぼんやりと間違えたような気がすることはあるかもしれないが、日々嘘話を書き続けていて、書いたこととまだ書いていないことを全部記憶するのは並大抵のことではない。漱石の一次記憶、メモリー、脳内の作業台の大きさが分かるエピソードだ。
 そしてそういう前提で「よそよそしい頭文字」も理解しないといけないという教訓が生まれるところでもある。

家族のあるものに限って貸してくれる

 この小屋はどれも六畳と三畳二間で、みんな坑夫の住んでる所には違ないが、家族のあるものに限って貸してくれる規定であるから、自分のような一人ものは這入りたくたって這入れないんだった。

(夏目漱石『坑夫』)

 これは作品解釈上の要点ではないが、本来註釈が欲しいところ。宿なしの食い詰め者が集められていく様子から、ついシキには一人ものしかいないようなイメージでいたところ、当然のことかもしれないが坑夫にも家族があるのだ。
 そういえば、

 それも昔の宿とか里とか云う旧幕時代に縁のあるような町なら、まだしもだが、新しい銀行があったり、新しい郵便局があったり、新しい料理屋があったり、すべてが苔の生えない、新しずくめの上に、白粉をつけた新しい女までいるんだから、全く夢のような気持で、不審が顔に出る暇もないうちに通り越しちまった。

(夏目漱石『坑夫』)

 こうした新しい町までできているのだから、鉱山堀りという産業が人を集めていたことは確かなのだ。

市場の雜沓の中で坑夫の妻が俄かに產氣づいてすぐ側の汚い家に昇ぎ込まれ爰で生れた子がマルチン、ルーテルであつた。


英雄崇拝論 カーライル 著||中村古峡 訳編日月社 1914年

 何だかとんでもないところに連れていかれているようでありながら、そこはやはり人間が住む場所で、人でなしの国ではないということだ。

シキでも飯場でもジャンボーでも

 なぜ飯場と云うんだか分らない。焚き出しをするから、そう云う名をつけたものかも知れない。自分はその後飯場の意味をある坑夫に尋ねて、箆棒め、飯場たあ飯場でえ、何を云ってるんでえ、とひどく剣突を食くらった事がある。すべてこの社会に通用する術語は、シキでも飯場でもジャンボーでも、みんな偶然に成立して、偶然に通用しているんだから、滅多に意味なんか聞くと、すぐ怒られる。意味なんか聞く閑もなし、答える閑もなし、調べるのは大馬鹿となってるんだから至極簡単でかつ全く実際的なものである。

(夏目漱石『坑夫』)

 意味なんか聞く閑もなし、答える閑もなし、調べるのは大馬鹿と言われてみると、兎に角意味をこれでもかと調べているのが少しは馬鹿らしくなる。ただ少しだ。

 そう書きながら即座に「ジャンボー」を調べている。

 岩波はこれを、

じゃらんぼん(ぢゃらんぼん)。法会や葬儀で鳴らして用いる鐃鈸(にようばち)の俗称で、転じて葬式をさす。「じゃらんぼろん」「じゃんぼう」「じゃんぼん」ともいう。

(『定本漱石全集 第五巻』岩波書店 2017年)

 と説明している。しかしそもそも主要な国語辞典に「鐃鈸」の説明がない。


死生問題の解決 : 通俗講話 一名・仏教活論 松崎覚本 著光融館 1922年


葬列は先驅が旗燈籠で、是につゞいて卓、點茶點湯、花、野位牌、內位牌、鍬膳僧侶、棺前、棺、棺後等の行列を作り、道の曲り等で、僧が銅鑼や鐃鈸(にようはち)を鳴すから、其音に則つて、小供等は葬式の事をジンカン又はジンカンボンと云ふ。

角間新田に関する調査 : 附・藤原光蔵小伝 藤原光蔵 著藤原咲平 1929年

 音の聴き取りの問題なので様々な表記が生まれているようだ。


[余談]

 西洋にも鐃鈸はあり、吉事に用いられたようだ。それにしても「ジャンボー」式の葬式がいつまであり、いつ廃れたのか知りたいところ。



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