見出し画像

芥川龍之介 「来るものをして来らしめよ」

「鼻」の曲折がnaturalでないと云う非難は当たっている。それは渡抜瓢一郎も指摘してくれた。重々尤もに思っている。
それから夏目先生が大へん鼻をほめて、わざわざ長い手紙をくれた。大へん恐縮した。成瀬は「夏目さんがあれをそんなにほめるかなあ」と云って不思議がっている。あれをほめて以来成瀬の眼には夏目先生が前よりえらくなく見えるらしい。成瀬は自分の「骨ざらし」が第一の作で、松岡の「鴦崛摩」がそれに次ぐ名作だと確信している。

[大正五年三月二十四日 恒藤恭宛書簡]



 

①あなたのものは大変面白い
②落ち着きがあって
③ふざけていなくって
④自然そのままのおかしみがおっとりと出ているところに上品な趣があり
⑤材料が非常に新しいのが目に付く
⑥文章が要領を得てよく整っている

 と夏目漱石は『鼻』を褒めている。

 鼻の曲折に関してはまさにそこに肝があると既に書いた通り。

 成瀬は『水滸伝』、松岡は仏教に題材をとり、いささか時代がかった作品を書いたように推測されるが実物は見ていない。

釈尊研究叢書 第5編 教団の人々 4


ふみ子を貰う事については猶多少の曲折があるかもしれない。そうして事によると、君に相談しなければならないような事が起るかもしれない。僕はつよくなっている。それだけ余計に曲折をつくる周囲の人間を憫んでいる。僕が折れる事はないのだから。
まだはっきりした事はわからない。

[大正五年三月二十四日 恒藤恭宛書簡]

 この時期は論文を書いたりとなにかと忙しそうだ。

逗子葉山の海には海雀が多い。銀のように日に光る胸をもったかわいい鳥だ。かいつぶりに似た声で啼く。鴨、鷗、あいさも多い。
東京へかえったら又切迫した心もちになった。
来るものをして来らしめよと云う気がする。
                              龍

[大正五年三月二十四日 恒藤恭宛書簡]

 僕はさびしい、からの変化には少なからず夏目漱石の手紙の影響があっただろうことは容易に推察できる。本当に人生とは一期一会で、その時々のちょっとしたことが決定的なのだなと感心する。仮に『鼻』の「鼻」の曲折がnaturalであれば、全く違ったことになっていたかもしれないのだが、逆にそこは運命だったんではないかとも思う。

 今、成瀬の「骨ざらし」、松岡の「鴦崛摩」は見つからない。

 ただ芥川龍之介の作品は読み誤られて読み捨てられている。

 何故草いちごにと問う者がいない。

あいさ


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?