佐藤春夫に脱ぎたての猿股を貸すのだから芥川は人間的な作家である。
しかし萩原朔太郎がわざわざ「芥川君は何人にも理解されず」と書き、人間的作家だと書かねばならないのは、本人が余りに芸術的な作家を装ったためであり、実際にただ生きることよりも芸術の完成の為に命を絶ったようにさえ見えなくもないからである。
傑作一つ書ければ死んでもいい、あとのことはどうでもいい、というのが芸術的作家なら、三越の十円切手か何かを、各作家の許にもれなく贈るのは人間的作家である。菊池寛はこれを潔癖というが、単なる潔癖で自分の脱ぎたての猿股を佐藤春夫に貸せるものではない。なぜならいったん貸した猿股は又自分のところへ戻ってくるわけである。この芥川の猿股を人間的と呼ばないで何と呼ぶべきであろうか。
菊地寛と萩原朔太郎の意見は芥川の死後のもの、南部修太郎のこの文章は大正十年四月のもの。ただしここで南部は「秋」や「秋山図」までを読んでいるので、「秋山図」が緻密な設定と知的な技巧に遊ばれているのに対して「秋」という作品が、多くのものに「転機か」と認められていることを理解しつつも、このようにいささか乱暴に突き放したことになる。
私は「秋」が完成された新しい境地だとは思わない。ただもし時系列で読んでいけば、「おや?」と思わせるような作品であるとは思っている。話は現代、主人公は女、しかもこれから作家になろうかという女、そしてその女が結婚して妻になる。大事件は起きない。ただそういうこともあろうかという家庭の描かれる作品である。逆説も「あべこべ」も見当たらず、これまで個別に論じてこなかった作品ではあるが、言ってみればこういうものが人間的な作品なのではなかろうか。
言われなくてはこれが芥川の作品だとは解らないのではないか、というのが『秋』である。これを「あれもこれもと当つてみてゐるやうな試みの域を脱しない」というのは少し違うのではないかと思うのだ。
その後芥川は吉田精一が「身辺雑記的私小説」と呼ぶ現代ものとして「保吉もの」と呼ばれる一群の作品をものしていく。失われたものを回顧の形式で描くというやり方で、明らかに「切支丹もの」「開化もの」「時代もの」では描かれなかった細やかな人間の感情が捉えられていく。
言ってみれば佐藤春夫に脱ぎたての猿股を渡すくらい温かく、三越の十円切手か何かを、各作家の許にもれなく贈るくらい繊細なのだ。さらにその構図は大胆にして芸術的、知的な技巧に溢れ、『芋粥』の利仁の支配が持っていた芥川独特のアニミズム的世界観が引き継がれている。
津波をあえて書かないことで日常に留まりながら、その奥に大きなドラマを仕込んでいる。
こんな傑作が一つ書けたら死んでもいい。ほかのことはどうでもいい。
【余談】
本来これは余談で書くようなことではないが、どうにも纏まらないので仮置きする。
この「自らの教養の欠如に気付いた」という指摘がどこぞの馬の骨なら放っておいても良さそうなものだが、相手は凡そ出鱈目に見えるが怖ろしく出鱈目な安吾である。
少なくともフランス語、フランス文学に関しては芥川が及ばない教養を持っいたことは確かであろう。その安吾から「すくなくとも晩年に於てはじめてボードレエルの伝統を知りまたコクトオの伝統を知つたやうです」と言われてみれば、一面においては確かにそうか、となる。ボードレエルを知らなきゃなんなんだとはならない。
ただそれを死と直接結びつけるのは性急だなとは思う。
伝統ねえ、と思う。
伝統、ねえ。
この伝統の話は繰り返されており、ちょっとした思い付きではない。芥川の死の後に発表された作品群に対する安吾の直感であり、それによって芥川を発見したようなところがある。
この余談はまだ書き足されるかもしれない。