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「も」じゃない 平野啓一郎の『三島由紀夫論』を読む47

飯沼勲にとっても、重要なのはただ死ぬことだけである。

(平野啓一郎『三島由紀夫論』新潮社 2023年)

 平野啓一郎は三島由紀夫の辞世の句の説明に続いてこう述べる。「28 自刃」においてのことである。普通に読めばこの「も」は三島由紀夫にかかる。三島由紀夫にとっても、重要なのはただ死ぬことだけである? ならば顔の分からない天皇など三島由紀夫にとってはミリンダ王や阿頼耶識のようなものであったと平野啓一郎は気がついていたのであろうか。

 この「28 自刃」に関しては既に指摘した通り平野の自刃の定義と三島由紀夫の自刃の定義が異なり、その点においては修正が必要ではあるものの、

 この時、自刃が、生殺与奪権を把握した絶対者からの恣意的な命令によるものではなく、超法規的で慣習的な倫理的規範だという点に注目したい。

(平野啓一郎『三島由紀夫論』新潮社 2023年)

 とこれまたさらに森鴎外の『阿部一族』を読み誤りつつも、仮に絶対者の命令がなくとも大義は得られるのだという三島由紀夫の屁理屈をかすめていることは評価してよいだろう。

 つまり絶対者というものが「あるてい」で天皇陛下万歳からの生首は成立するのだ。この屁理屈はそのまま平野啓一郎の『金閣寺』論の破綻も意味する。金閣寺はあり、天皇は「あるてい」に留まる。三島由紀夫は天皇制は比喩であると語っていた。

三島 今の日本は小規模ながら結局、なんのために命を捨てるかとか、何のために身を捨てるかという、個人的な契機というものが見つからない。それをただ昔をたずねて、天皇制だ、なんだといっていたら、すぐ反撃をくらうけれども、天皇制というのは一つのことば、あるいは比喩であって、そういうものがないことはたしかですよ。僕はそういうものの本質は、日本人の神の観念でもいいし、なんかどこかにあるだろうという考えが、だんだん強くなっているのですが。

(「対話・日本人論」『決定版三島由紀夫全集第三十九巻』新潮社2004年)

 この比喩の意味が「実在するていの天皇の虚構性」をどこまで指摘しているのかという点は曖昧である。


 しかし実際三島由紀夫ともあろうものが、なにも調べないで天皇天皇と言い出したわけではなかろうとは言えるのではなかろうか。『春の雪』においては本多に同意させられる形で松枝清顕も「乃木将軍へのきちがひじみた崇拝」を軽蔑していた。おそらく学習院初等科時代の三島由紀夫自身も松枝清顕と同じ様な意識でいたはずである。

左目が義眼か

 

乃木希典

 その三島由紀夫が深沢七郎の影響下で、天皇の面白さに気がついたのではないかというのが私の主張である。これもまた平野啓一郎の指摘しないところであるが、『奔馬』を読み返すうちに新河男爵夫人のこんなセリフに気がついた。

「日本といふ国にはつくづくいや気がさすわね」

(三島由紀夫『奔馬』『決定版 三島由紀夫全集』新潮社2001年)

「いやだよ、ニホンなんて国は」

(深沢七郎『風流夢譚』)

 どうも『奔馬』には勲以外の色んな人の色んな考えが現れている。しかし平野啓一郎はまるで飯沼勲であるかのようにわき目を振らない。例えば、飯沼茂之は塾頭として、景行天皇の東夷征伐の講義をする。勲は「亦山ニ邪神アリ、郊ニ姦鬼アリ。衢ヲ遮リ徑ヲ塞ギ、多ク人ヲ苦マシム。」と言った一節を諳んじている。

 飯沼茂之は天皇崇拝者である。

 そして皇室への敬愛、人がもしそれを疑りでもすれば忽ち斬つて捨てまじき彼の敬愛の念に、

(三島由紀夫『奔馬』『決定版 三島由紀夫全集』新潮社2001年)

  この自負は父の薫育に関わらず何故か勲にはそのまま受け継がれてはいないのである。教えは諳んじている。しかし勲は腐敗した宮城までを空爆する計画を練っていた。東京駅周辺、国会議事堂、丸の内、虎ノ門、霞が関を一挙に清めるつもりなのだ。その説明からは「あるてい」の天皇自身の安全確保への配慮がまるで感じられない。

 ここはなかなか面白いところではなかろうか。「宸襟を安んじ奉るには、それしか方法がありません」と言いながら空爆しようというのである。それではまるで宮城に天子はいないというロジックではないか。

 このロジックは「29 「握り飯」の忠義」のくだりで完全に無視されてしまう。しかしそれは解らない話ではない。確かに勲は「宮のすぐ背後の、この世のものならぬ光り」として天皇を捉えており、陛下の命令で死ねることは幸せだと言っているのだ。

 解らないのは空爆計画の方である。何故宮城に空爆することが可能なのか?

 平野は太陽と天皇を連結させるために、「27 「ニヒリズム」と「ミステイシズム」」において、

「見ろ。あの西の太陽のまんなかに天皇陛下のお顔が見えるぞ」

(三島由紀夫『奔馬』『決定版 三島由紀夫全集』新潮社2001年)

 という勲の言葉を引いて見せる。しかし一方で、

 「陛下のお顔は悩んでおられる」

(三島由紀夫『奔馬』『決定版 三島由紀夫全集』新潮社2001年)

 という謎のロジックを拾わない。

美化修正ならば何故黒子?

天照大神に直結する天皇という三島の思想から、この「日輪」を天皇の解釈と見做す解釈は当然ありうる。

(平野啓一郎『三島由紀夫論』新潮社 2023年)

 という前提から、「29 握り飯の忠義」の、

勲は神風連に同化願望を抱き、武士に憧れ、且つ、日輪=天皇を絶対視している。

(平野啓一郎『三島由紀夫論』新潮社 2023年)

 この「日輪=天皇」という等式を導くためである。

 三島は『奔馬』では飯沼勲に最も望むことをこんな風に言わせてみる。

「太陽の、……日の出の断崖の上で、昇る日輪を拝しながら、……かがやく海を見下ろしながら、けだかい松の樹の根方で、自刃することです」

(三島由紀夫『奔馬』『決定版 三島由紀夫全集』新潮社2001年)

 これは勿論神風連にならって天の柱、天の浮橋に従って高天原に至る手続きを意味していようか。拝すは拝むことで太陽は見ていない。

 理屈を言えば、太陽を見れば目がつぶれるし、その中にある顔は見えない。どうしても下敷きがいる。陛下のお顔は見えないのに、どうして悩んでいるように見えるのか。

萬葉集講義

 二十一章、勲はこうも考える。

 悲しめる日、白く冷え冷えとした日輪は、いささかの光の恵を与へることができず、それでも、朝毎に憂はしげに昇つて空をめぐつた。それこそは陛下の御姿だつた。誰が再び、太陽の喜色を仰がうと望まぬ筈があらうか?

(三島由紀夫『奔馬』『決定版 三島由紀夫全集』新潮社2001年)

 なるほど日輪は天皇陛下なのだとしよう。では宮城にいるのは誰なのだ?空から爆弾を落として誅さねばならないのは、邪神なのではないか。

 この問題は熊本バンドの話とも重ね合わせねばなるまい。二十二章で本多は、飯沼茂之によって仏教嫌いの爺さん、篤胤派の真杉海堂に引き合わされる。

「初対面匆々何だが、実にあの釈迦といふ男は喰はせ者で、日本人から本来の大和心、雄心を失はせた元凶はあの男だと私は睨んでゐる。大和魂といふ、その魂といふものを仏教は否定してをるではありませんか」

(三島由紀夫『奔馬』『決定版 三島由紀夫全集』新潮社2001年)

 誰かの神は誰かの邪神である。芥川のように「現人神のような摩利信乃法師」などと何でも折衷するわけにもいかない。

 確かに三島由紀夫は平田篤胤の国学と仏教の両方をお勉強していた。だから勲のように純粋ではない。つまり仏教的に見て天皇とは何なのかということも当然考えの内にあるのである。

千手觀音は阿彌陀佛と同じく本來太陽神である。千手即ち太陽の千の光線である。各光線の尖端に手を附けたのは光線の活動力と效力を表はすものである。

カトリック教と仏教
山口鹿三 著光の使徒姉妹会 1939年


 勲が日輪を持ち出すたびに、三島が意識しているのはむしろ素朴な単純さであろう。

飯沼勲にとっても、重要なのはただ死ぬことだけである。

(平野啓一郎『三島由紀夫論』新潮社 2023年)

 この「も」は正しいだろうか。私は「は」でもよかったのではないかと今は思う。二十三章、勲は雉を撃ち、父からこう言われる。

 お前は荒ぶる神だ。それにちがひない。

(三島由紀夫『奔馬』『決定版 三島由紀夫全集』新潮社2001年)

 清顕の夢日記を読んでいた本多は、それが清顕の夢の情景と一致するとして、清顕の勲への転生を確信する。仏教の理屈でスサノオが出来上がる。このひねくれ具合が如何にも三島らしいところだ。これは何と言うか、

 お前はスサノオ菩薩だ。それに違いない。

 と言っているようなものだからだ。そして夢日記は過去世と現世を繋げるものではなく、現世と未来を繋げるもの、転生は過去世を忘れ、未来の記憶をもたらすものというねじれたロジックが生まれている。これはもう既成の輪廻転生の概念には収まり切れない。もっともこの理屈も三巻で、勲の記憶を持つジン・ジャンの登場により覆されるのでややこしい。

 興味深いのは、ここから三島が、この「太虚」を「現代風に言えば能動的ニヒリズムの根元」と独自に解釈し、陽明学の行動とは、「太虚をテコにして認識から行動へ飛躍する」ことと再定義して、さらにこれを「仏教の空観」とも重ねることである。

(平野啓一郎『三島由紀夫論』新潮社 2023年)

 平野啓一郎は確かに「27 「ニヒリズム」と「ミステイシズム」」において、このように国学と仏教をやすやすと結び付けてしまう三島由紀夫を捉えていた。勲の行動はそもそもは正義であり、太虚をテコにしたものではない。そして「荒ぶる神」という性質が与えられることによって、目的も不要となる。

 平野は「35 何ものかに恥じた」において

 勲の行動は、共感からはほど遠いファナティックなものに見え、これが三島の「能動的ニヒリズム」であり、「ミスティシズム」だろうかと、首を傾げたくなる。 

(平野啓一郎『三島由紀夫論』新潮社 2023年)

 だからそもそも三島由紀夫と勲は違うんじゃないの?


 荒ぶる神が太陽神を拝んで腹を切ってそれが何?
 
 宮城に爆弾を落とせば荒ぶる神であろう。

 胡麻化されてはいけない。

 八つ当たりで適当な相手を殺すのは神ではない。ごろつきである。三島が『奔馬』において描いたのは、荒ぶる青年の焼けバチの死である。父親の買い被りに対して、本多は勲に神は見ていない。清顕が見た未来は、親の欲目である。

 荒ぶる神などいなかったのである。

 いたのは不機嫌な若者である。

[余談]

 まだこの本 ↑  読んでいない人いないよね。


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