見出し画像

電源ボタンと音声の小 牧野信一の『ランプの明滅』をどう読むか②

 そんなことをしても無駄だ。

 どうにもならない。

 そうわかってはいるけれど兎に角昨日は、こんな記事を書いた。

① え? 何でここに照子が?

② 「何故か……涙ながるる」は早すぎない?

 とわざとらしく私は二つに分裂して驚いていたが、本当は、

③「試験だつてえのに困るわね」って照子も道子同様江戸弁?

 とも書こうとして忘れていたのである。忘れていたのはいろんなことを考えているからだ。爪を切るということは爪が伸びていたんだなとか、大正時代にコンドームはなかったんだろうかとか、養老孟子は本当に平野啓一郎の『三島由紀夫論』を読んだんだろうかとか、いろいろと。

「勉強出来て?」
 ――彼はむらむらツとした。
「煩いよ。」と、彼は照子の顔さへ見ず本の上へ視線を落した。
「しつかりやつてね。御褒美を上げるわ。」
 ――どんな褒美なんだい――と普段の調子で問ひ返さう(この瞬間には彼の悲しみは氷のやうに溶けてしまつて喜びだけが踊り上つた)と思つた時、問ひ返さるゝ程の真実性を持つて照子が云つたのではなかつたのだ、と気が附いて、又悲しみが出て、もう少しの処で馬鹿! と怒鳴るところだつた。もうその時は照子はトン/\と梯子段を降りてゐた。

(牧野信一『ランプの明滅』)

 まるで照子は道子のようではないか。そう気がついた時にはもう遅い。「彼」つまり「秀ちゃん」が『爪』の「彼」に似てきてしまった。情緒不安定である。そして問題はこの「同居?」という当たり前の読者の当たり前の疑問に対して、何の回答も示す気配のないまま、このまま話が進んでいく気配がありありだということだ。

 これはいけない。

 そしてランプとは電灯のことではなく、停電になったのであり、ランプを持ってくることでますます照子が照子らしく思えてきたのに、道子の道子らしさはいまだに明らかではなく、この部屋に火鉢があるのかないのか、障子の部屋なのかどうなのか、さっぱりわからないから困るのだ。

 スマホのスクショのやり方でさえ教えられないとわからないものだ。

 彼は凝とランプの灯を瞶めた。シンがジーツと音をたててゐた。それが気になつたので、彼はネジを持つてシンを引込めたり出したり、何遍も繰り返した。ジーツといふ音は止んでしまつても所在のない彼は指先をネジから離さなかつた。室は明るくなつたり暗くなつたりした。
 ――明るくなつた瞬間には、試験と失恋の怖ろしさを想つた。暗くなつた瞬間には照子の美しさだけを安心して想つた。その中に彼は指先の速度をそれに伴れて心の変る暇のない程だんだんに速めて居た。彼の心は目茶苦茶になつた。彼は子供になつたやうな心地で――面白がつてランプのシンを弄んだ。
 ――しまつた! と彼が思つた時、シンを油壺の中へ落してしまつた。――暗闇だけが残つた。――彼は困つたことなのか、困らないことなのだか、といふ区別を自身の心につけることは出来なかつた。――彼は、又深い溜息をした。
 虚無、安心、悦び、涙――それだけのものが白い絹に包まれたまま胸の中へ一時に流れこんでくるやうな感じがした。

 彼は落第した。

(牧野信一『ランプの明滅』)

 案の定だ。牧野は明らかにその問題を棚上げして、今度は「シン」と書いてみる。芯とは書かない。まあそれはいいが、何か「秀ちゃん」が牧野信一と重ねられそうな感じがしてくる。そうなると道子がややこしいが仕方がない。牧野も大正四年に落第している。そして照子は……。


 照子はその翌年結婚した。彼は照子の結婚が少しも自分の心に反感のないのを感じた。
「恋ぢやなかつた。」と彼は思つた時、仇を取つたやうな気がした。然しその気持は「強ひて云つてるらしい。」といふ感じもされた。――悲しき勇士といふ言葉が稍々自分の気持に合つてるものゝやうに思はれたが、結婚を聞いた時は少しも驚かず、
「フン。」と答へたばかりだつた。

(牧野信一『ランプの明滅』)

 これはどういう状況なのかが良くわからないが、兎に角照子は「秀ちゃん」ではない別の誰かと結婚したらしい。目出度いことだ。しかし相変わらず「同居?」という当たり前の読者の当たり前の疑問には答えがない。

 その答えは、

 三年程経つて彼も結婚した。
「貴方は磯と結婚する前に恋をしたことがあるでせう。」妻はよくこんな事を云つては彼を困らせた。
「ないよ。ほんとだ、決して。」彼は心から妻を愛してゐたから、むきになつて答へるばかりだつた。
「嘘だ/\。」と云つて妻は泣いた。こんな事もきいた、あんな事もきいた、と妻は古い手紙などを持出して、又泣いた。
 彼がある女と家を逃げ出したこと、雛妓に惚れて――親父から勘当されたこと……を妻は知つてゐた
 が、彼は実際妻程愛した者は一人もなかつたから、「嘘ぢやない。」と懸命に云へば云ふ程、妻は反対に焦れた。さうなると彼は癪に障つて、妻以上に深く愛した恋人を持たなかつた過去を寂しく思ひ、非常に後悔した。
「明るくつてねられねえ。灯りを消せ。」結婚して初めて彼が怒気を含んだ音声を発したので、妻は吃驚して、(どうして彼が急にそんなに怒つたか不可解だつたが)おとなしく灯を消した。
 その様が可愛かつたので、彼は妻の手を握つた。妻は又泣いた。
 ふと彼は全然忘れてゐた照子のことを思ひ出した。「嘘ぢやない。」と妻に弁解しながら、嘘でないその言葉から過去を淋しく思つてゐる矢先に、ふと照子の顔を思ひ出したら、
「やつぱり俺は嘘をついてゐるのかな。」といふ気がして、軽い会心の笑が浮んだ。同時に堪らない寂しさが湧き上つた。
「何故俺はそれ(?)以上の愛を持つことが出来ないのだらう。」と思ふと、彼は涙が出さうになつて、
「やつぱり眠られない。もう一度灯りをつけておくれ。」と云つたが、妻と一緒に、暗い室で涙を味ひながら泣き度くなつて、堅く妻の手をおさへた儘灯りをつけさせなかつた。

(牧野信一『ランプの明滅』)

 このようにして示された。照子は家を飛び出して同棲していた雛妓だったのだ。勿論これはそのまま牧野信一の事実ではない。芸妓に惚れたことはあったようだが、そもそも親父に勘当されようにも、牧野の親父は牧野が一歳にならないうちに家を出て単身アメリカに渡るという変わり者で、日本に戻っても別居していた。

 いずれにせよこれを書いている大正九年二月二十五日の時点では牧野は結婚をしていないので、ここには少しは牧野信一の記憶というものが紛れこんでいるのかもしれないけれど、あった事実そのものというわけでもない。

 なるほどお転婆な照子とは同棲していて、それから別れたのかという話になる。妻帯者が昔惚れていた女、学生時代の同棲相手を思い出して感傷的になると云う話を独身者が書いていると考えてみて、まだ存在しない「妻」はさぞかし大変だろうと思えてくる。「妻以上に深く愛した恋人を持たなかつた過去を寂しく思ひ、非常に後悔した」とはどういう感情なのかと。

 割とシンプルに捉えると、美しい照子に対して妻は闇子とでもいうべき醜さ、あるいは美しくなさというものを持っていたので、この作品のタイトルが『ランプの明滅』なのであり、妻には夫の昔の恋人に嫉妬する理由があったのであろう。妻の名前は闇子ではなく「磯」、石や岩の多い波打ちぎわのことで、顔がごつごつしている気がする。

 そうであれば「妻以上に深く愛した恋人を持たなかつた過去を寂しく思ひ、非常に後悔した」という気持ちにでもなるのだろうか。もし落第してゐなければどうなった??

 茶目な秀ちゃんは美しい照子と結婚出来ればそれで幸せになれたのか?

 それは解らないが寧ろ夫の過去の恋を疑って泣くほどメンヘラな妻を見つけてしまう茶目な秀ちゃんを笑ってあげるべきか。「やつぱり眠られない。もう一度灯りをつけておくれ。」と言う秀ちゃんと磯はお似合いと見てあげるべきか。

 あえて言えば雛妓とは十一歳から十六歳の未成年なので「秀ちゃん」はかなり若い女に入れ込み、恐らく手は出せずにいただろうということになる。一方磯にしてみればそんな若い、と言うより幼い女と同棲していたことが気になるという気持ちも解らないでもない。ポイントは照子の若さなのだ。

 作品の主題は「彼は困つたことなのか、困らないことなのだか、といふ区別を自身の心につけることは出来なかつた」と言うあたりに現れる自分の気持ちの捉え難さとランプのシンの上げ下げに見られる自身の行動の制御不能さ、つまり自分というものの意志とか感情の曖昧さに振り回される青年の、

 青年のなんだ?

 悲哀?

 違うな。

 青年だけでもないんだ。

 照子も磯も変なんだ。

 いずれにせよ最後は「涙こぼるる」なので、これは恋である。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?