松枝の記憶はないんだ 平野啓一郎の『三島由紀夫論』を読む21
昨日は『奔馬』の結びについて書かれていない静かな失血死というものがあることを書いた。それはまさに書かれていないことながら、ロジックとして浮かび上がるもので、切腹の作法についてきちんと調べていた三島由紀夫が、意識して書かなかったことだ。その静かな死が意識されてこそ三島由紀夫の騒がしい死とのシンメトリーが見えてくる。
シンメトリーとは究極的には書かれていることで書かれていないものを浮かび上がらせるレトリックでもある。
珍しく『暁の寺』の本筋がなぞられている「41 勲の転生」では、ジン・ジャンが女性手ある点について、
・勲自身の希望
・日本人男性については書ききったという三島自身の思い
・「男らしさ」の疲労
・単調さを感じていたから
などの理由が挙げられており、外国への転生に関しては『浜松中納言物語』に基づく発想であるとして片づけられている。
いやここは普通に「相対化のため」だろうと思う。(☜頭に結論!)
一人の読者として『春の雪』『奔馬』『暁の寺』と読み進めて、勲の生まれ変わりらしき月光姫が現れた際に感じることは、そういう言語化がされるかは別として、相対化されているな、ということである。
三島由紀夫自身によれば相対化は最後になる筈なのだが、『豊饒の海』を素直に読めばシャムの王子、ジャオ・ピーがエメラルドの指輪紛失事件でただの人として扱われるあたりで、「反対に日本の皇太子もロンドンでこんな扱いなんやろな。三島も随分相対化やってきよんな」と既に感じていた筈である。
実は三島は「皇太子」などというものに関して格別な意味を見出してはおらず、ただ天皇陛下、今上天皇のみが天照大神のコピー故に意味があると考えていたのである、などということはあり得ない。シャムの王子がぞんざいに扱われているのはたまたまではないのだ。
深沢七郎が『風流夢譚』で描いた労働者階級の蹶起、それは天皇皇后のみならず若き皇太子、皇太子妃までをも斬首するという制度としての天皇に対する激しい攻撃性を持った妄想であった。しかしこのアイデアそのものは深沢一人の特殊な狂気だけに由来するものではなく、この国のどこかに根強く潜伏していたものでもあった。
林房雄が記憶に留める関東大震災直後の地方新聞の見出しは、その狂気的な民衆の願望と恐怖をそのままデマゴーグという形で反映させてしまっている。
ここで例えば「革命軍の一部は軍隊と警察の抵抗を排除して、皇居の中まで侵入したのであろう。皇太子の行方不明はその結果に違いない。」と書かれているのは、民衆の中にそういう願望と恐怖が併存していたことを意味し、皇太子が弑されたら天皇制はどうなるのだ、という現実の疑問があったことを意味する。そしてある意味『風流夢譚』が決して荒唐無稽だから非難されたのではなく、生々しく危険な小説だから非難されたことも理解出来よう。
王子、皇太子とは、民衆にとって天皇制のかなめという意味を持っている。
三島由紀夫自身も皇太子ご成婚パレードに現れた暴漢と皇太子が人と人として顔を見合わせる場面をうきうきとして書いている。三島由紀夫が皇太子に無関心だったわけではない。むしろ三島由紀夫は暴漢が皇太子を驚かせたことに喜んでいる。
そして三島は宮様の許嫁を孕ませるという話を書いた。私はこの宮様を皇太子のことだと勝手に思い込んでいた。正確には宮様の一人という設定になっているのだが、この誤解そのものはさして的外れなものではなかったかもしれない。松枝清顕は天子様が許した嫁、つまり天子様の許嫁を孕ませたのであり、それが皇太子の嫁さん候補かどうかということは、さしあたり皇位継承まではある意味どうでもいいことなのだ。
勿論美智子様と三島由紀夫の因縁が三島自身が漏らした通りのものならば、皇太子の許嫁を孕ませた方が良かったのかもしれないが、皇位継承順位こそ定められているけれども世子の決まりのない天皇制においては、三島の意識下では皇太子というものはまさに宮様の一人として既に相対化されていたと見做すこともできよう。
そういう意味ではジャオ・ピーがただの留学生の一人として取り扱われたことは重要な相対化である。
松枝清顕は天子様の許嫁を孕ませることで屁理屈上宮様と相対化された。飯沼勲は本多繁邦から勝手に「あらぶる神」に任命され屁理屈上のスサノオと相対化された。
そしてジン・ジャンは話の都合上双子の姉によって相対化される。三島由紀夫はどうも『暁の寺』で話を壊しにかかっている。つまりこれまでの物語を相対化しようとしている。そのために選ばれたのが外国の姫様であり、勲の記憶という設定なのだ。
飯沼勲には前世の記憶はない。しかしジン・ジャンには飯沼勲の記憶がある。
これは一体何を意味するか?
それはジン・ジャンが松枝清顕のコピーではないということだ。
そもそもこのもっともらしく構想された輪廻転生の円環的物語のロジックは、三島由紀夫の天皇論とシンメトリーになっている。
三島由紀夫の天皇論は、今上天皇はいつでも今上天皇であり、天照大神のコピーだという点に特色がある。天皇は降臨した天孫の子孫ですらないのだ。(しかし今上天皇には天照大神の記憶はあるまい。)
この『豊饒の海』は何者でもない人間のコピーが根拠なく転生され、受け継がれていくという物語になっている。しかし今のところ何かが受け継がれたという形跡はなく、少なくとも松枝清顕と飯沼勲の間で引き継がれたものは脇腹の三つの黒子という曖昧なものだけだ。この時点でもう「七生報国」などありえないのだ、と言っているようでもあるが、ジン・ジャンには飯沼勲の記憶がある、と設定したことでむしろジン・ジャンが松枝清顕のコピーではないことが明確になり、松枝清顕からは何も引き継がれるものがないのだと楠木正成をがっかりさせている。
果たしてジン・ジャンにも三つの黒子はあった。しかしそれが何かの役に立つわけでもないし、生まれ変わりの証拠がそれだけとはいかにも頼りない。
脇腹の三つの黒子、それはあるはずもない三種の神器をあるとして神話を継承する天皇制に対する痛烈なアイロニーであろう。
三島由紀夫も馬鹿ではない。日本は神国で、日本には天皇という特別な存在がいるが世界中どこを見回してもそんな存在は日本にしかない、とは考えてはいなかっただろう。
世界中に王様はいる。
その念押しのためにずっとシャム、タイにご協力いただいているわけだ。
ジン・ジャンが相対化したのは天皇制の皇位継承システム、および天皇、或いは日本である。
[余談]
私の見聞きした範囲では石原慎太郎は最後まで「三島は憂国の義士だったねえ」とは言っていないと思う。むしろ右翼のふりなどという芝居に三島由紀夫の才能が奪われてしまったことに不満たらたらで、三島の「行動」などには最後まで無関心に保守の立場を貫いたように見える。
石原は1955年デビュー。翌年には三島由紀夫と写真を撮っている。つまり深沢七郎より先に三島に会っており、『風流夢譚』以前の三島由紀夫を直に知っている。
その地点から眺めるとやはり天皇など余計なお荷物に過ぎない、と見えるのではないか。
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