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死んだのは誰? 平野啓一郎の『三島由紀夫論』を読む27

  平野啓一郎は、と、この名を書いた回数ではこの一週間ほどの間で私より多い人間はいまい。そしてここにはまるで悪意がなく、むしろ善意しかないことは驚くべきことではなかろうか。

 私は平野啓一郎に『三島由紀夫論』を正しく書き直してほしいという建前で、勿論三島作品を頓珍漢に誤解させられないという本音も含めて、今限りなく正直に平野啓一郎の『三島由紀夫論』と向き合っている。

 これが冗談でないことは日付だけ確認して貰えば解ることだ。

 さて平野啓一郎は『三島由紀夫論』の「Ⅳ『豊饒の海』論」の「48 自殺しなかった本多 」において再び富士山に触れる。

 最後の別荘でのパーティーの朝、本多は、テラスから富士山を見つめ、すぐに視線を青空に逸らすことでその白い残像が見えるという「小さな戯れ」を通じ、富士山を「現象」と「本質」との二重性の象徴と見做そうとする。

(平野啓一郎『三島由紀夫論』新潮社 2023年)

 三島由紀夫の二つ目の遺書を読んでいれば、一気に何か確信めいたことを言い出しかねないふりになっている。

 しかし平野はこう書いてしまう。

 そして、この「純白の本質」は、〈樹海体験〉のニヒリズムの対極的な至福の経験として捉えられているが、奇妙なことに、それは虚無でさえなく、夢に見られた「ジン・ジャンが裸で孔雀に乗って飛翔する世界」と直結するのである。

(平野啓一郎『三島由紀夫論』新潮社 2023年)


孔雀明王

 もしも平野啓一郎が『家畜人ヤプー』を読んでいれば、フジヤマ飼育所の上空を飛翔するUFO、天照大神に擬せられたアンナ・テラス、そして飲尿と様々な連想が浮かび上がるところでもあろうが、やはり平野はどういうわけか『家畜人ヤプー』を読んでいないふりを貫く。

 

金枝玉葉帖 : 御大典記念

三島は明らかに夏の富士と冬の富士というものの同時存在、つまり時間の欺瞞性を指摘し、富士山と直結する天照大神の姿をジン・ジャンに重ねているのだ。

 ここでもあちらが日本の象徴ではなく、富士山こそが日本の象徴たりうるというロジックがほのかに匂わされている。

 無論ひねくれものの三島に駆け引きがないわけではなく、日本的なものを掘り返していくとみんな仏教と繋がり後にはカスみたいなものしか残らないと言っていた三島が、タイの王女がまたがる孔雀明王と日本の唯一の誇りである富士山を直結させてしまうという、ニヒリズムというものがここにはある。

僕がやっていることが写真に出ます。あるいは、週刊誌で紹介されます。それはその段階においてみんなにわかるわけでしょう。ああ、あいつはこんなことをやっている、バカだねえ、と。でも、その「バカだねえ」ということを幾ら説明しても、僕をバカだと思った人はバカだと思い続けます。(中略)ですから、僕は、スタンダールじゃないけれども、happy few がわかってくれればいいんです。僕にとっては、僕の小説よりも僕の行動の方が分かりにくいんだ、という自信があるんです。(中略)
僕が死んでね、50年か100年たつとね、「ああ、わかった」という人がいるかもしれない。それでも構わない。生きているというのは、人間はみんな何らかの意味でピエロです。これは免れない。佐藤首相でもやっぱり一種のピエロですね。生きている人間がピエロでないということはあり得ないですね。
人間がピエロというのは、ある意味で芝居をやらなくちゃ生きていけない。(ジョン・ベスターの問い)
芝居をやらなきゃ生きていけないのは、きっと神様が我々を人形に扱っているわけでしょう。我々は人生で一つの役割を、puppet play(パペット・プレー)を強いられているんですね。

— 三島由紀夫「ジョン・ベスターとの対談」(1970年2月)

 確かに三島由紀夫は徹底的にひねくれていると仮定して読むと小説の方が少しは解りやすいかもしれない。富士山とジン・ジャンの直結は真面目に考えれば確かに「奇妙なこと」なのだ。

 ところで三島由紀夫は「48 自殺しなかった本多 」という平野の当然の指摘に反して『暁の寺』に自分自身では妙な総括を与えている。

輝く皇国 : 歴代天皇御尊影と御陵及二千六百年史錦絵輯

「暁の寺」は頽廃と死の巻であります。

(『師・清水文雄への手紙』/三島由紀夫/新潮社/2003年/p.169)

 これは半分解り、もう半分は全然理解できない総括なのではなかろうか。「頽廃」は言うまでもない。確かに「死」はある。しかし実質的な主人公である筈の本多は確かに死んではいないのである。

 そして三島由紀夫が「は」と言っていることが解らない。これまで一二巻は「死」で物語が閉じられてきた。だからこそ平野は「48 自殺しなかった本多 」と書いたのだ。では『暁の寺』にある決定的な死とはいったい誰の死のことなのか?

 平野の総括では本多はジン・ジャンの三つの黒子を再確認することにより、彼女が勲の生まれ変わりであることを確信すると、自分を不死かもしれないと信ずる理由を見つけた。つまり明らかに観察者としての本多は死んではいないのである。当然このことで『豊饒の海』は本多を観察者として『天人五衰』へと接続させる設定となるので、悪戯にも本多の精神的な死を探してみることには意味はなかろう。

 死はこれが「頽廃と死」と因縁づけられていることから贋物の二人、下手な歌詠みと贋物のドイツ文学者、こう呼んでみれば三島由紀夫の分身の戯画化になりかねない今西と椿原夫人の死ということになろう。『豊饒の海』において三島由紀夫は自分の分身を殺し続けてきた。美智子様と三島由紀夫の関係を無視する平野啓一郎には、この『暁の寺』における二つの死の意味も理解できてはいないだろう。

 それはつまりたわいもないことながら、三島由紀夫という人間の一つの属性ではあったわけだ。

 今西と椿原夫人の死はまるでそんなものには一文の価値もないと切り捨てるかのような死である。このふたりの死は、転生者もいないことで、そもそも転生者といいながら、松枝清顕から黒子以外何一つ引き継いでいないジン・ジャンの無意味さを突き付けてはいないだろう。

 ジン・ジャンはむしろ転生者となることで、転生という無意味を確認させている。こんなロジックが三島はたいそうお好きで、毎日召し上がっていたそうな。

[余談]

「自分は俳句でも作って生きてゆければよいのだが、と思ったりした。

(『暁の寺』/三島由紀夫/新潮社/昭和五十二年/p.284)」

 本多のこの「俳句でも」という文句が災いして、三島由紀夫は俳句を好まなかったとドナルド・キーンも言っている。しかしなかなかのセンスだ。どこかに書いておいたはずなので確認してほしい。

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