まことのお姿 平野啓一郎の『三島由紀夫論』を読む49
恐ろしい核
紙の本を出版する。図書館に収められる。その本には勘違いが書かれている。こんな悲惨なことは他にあるまい。書くということは恐ろしいことだ。自分が新潮社の編集者で、平野啓一郎の『三島由紀夫論』に関わっていて、私の記事を読んだとしたら死にたくなるだろう。では何故私はこんな残酷なことをしているのであろうか。.
それは例えば夏目漱石作品が徹底的に誤読されているからだ。
おそらく平野啓一郎の『三島由紀夫論』によってふたたび、三島由紀夫は天皇崇拝者だと決めつけられてしまうだろう。繰り返すがそんな簡単な話ではないのだ。そんな分かりやすい話なら、「愚行」という言葉は出なかったはずだ。
細かいところを一つ一つ丁寧に見て行かねば、三島由紀夫作品を読だということにはならない。
例えば「恐ろしい核」とは何だろう?
それは「信念」としての剣であり、間もなく失われてしまうもの、決して寸分も緩められないもの、つまり外に出ていくこと、行動のための荒魂のことであろう。
勲が最も恐れているのは行動しないことだ。神風連における「宇気比」の神慮がただの言い訳に過ぎないことは誰の目にも明らかであろう。しかし「宇気比」の神慮を徹底的に信じることによって、神風連の行動は為された。そこに嘘だのインチキだのと言ってもしょうがない。『奔馬』で繰り返される「純粋」は極めて若さや単純さに似ている。その純粋さは父親から差し入れされた井上哲次郎の『日本陽明派の哲学』こんな言葉で念押しされる。
ここで「心」は精神と読み換えてよいであろう。何と単純で何と若いことか。無垢と正直、と本多は言ってみるこれが三島の中では醜く老いていく本多への皮肉としても効いていると思えば、やはりこの純粋さを美しいとも言わざるを得ない。
天皇の官吏といへども憎む純粋さの核は天皇への忠義ではない。
勲の純粋性は、「計画は中止する予定だった」という鬼頭槙子の偽証によって汚された、計画を練り直しいずれ時期を見て空爆や暗殺ではない別のやり方で……そうして寸分緩めることで純粋さは失われてしまうものだからである。この偽証を敢えてさせた本多は、「他人」と出会わせたと満足気である。勲は嘘を言わねばならなくなった。本多は「大人の知恵を学んだのだ」と喜ぶ。しかし勲は本多に出会った時点ですでに変わっていたのだ。
天皇への批判
苛烈な批判はない。しかしこう書いてしまうのはやはり「宇気比」の意味に届いていない証拠とは言えるだろう。
これは勲が父から受けていた教育のままの考え方であろう。しかし勲は天皇陛下がいながら、何故民が飢えに泣いているのかと言い出す。
この変化が見えていないと『奔馬』を読んだことにはならない。勲の変化は決して天皇に対して不忠になることではない。もっと分かりにくい謎理論に支えられる変化なのだ。勲は『神風連史話』を読んで変わったのだという。
変わったのは忠義のありようである。そして天皇である。
あまりにも謎理論なので、注釈も翻訳も難しい。しかし、
①今の天皇陛下はまことのお姿をしていない
②まことの天皇を拝すべきである
一応こう言われていることは認めても良かろう。そう捉えてみると宮城で天皇陛下にけつをむける理屈が見えてくる。宮城に空爆しても問題ないという理屈が見えてくる。しかし「太陽こそ、陛下のまことのお姿」はまだよいとして光を浴びれば万々歳という理屈は解らない。日当たりが問題ならシャムのほうがよりたくさんの日光を浴びて皇国となりそうなものだ。
確かに日の丸は日本の国旗だが、今上天皇に尻を向けて太陽を拝む三島由紀夫の、いや勲の宗教は謎過ぎる。しかしここにいささかも批判がないとはみなせない。今上天皇が役に立たないものとして切り捨てられ、贋物だと言われているようなものだからである。天皇の真贋に関して勲ははっきり「太陽こそ、陛下のまことのお姿」と言ってしまっている。
これが天皇だと言われれば誰でも勘違いかと思うはずである。三島がどこまで天皇の顔を意識して勲にこんなことを言わせたのかは定かではない。しかし天皇を贋物呼ばわりすることは苛烈ではないが、ずいぶんな皮肉であることは確かだ。
こんな勲の発言を検事は「空想的観念的要素が強く」と批評しているが、天皇の人間宣言で「架空なる観念」と呼ばれたものが、今日も儀式として継承されていることを思えば、目くそ鼻くそである。
結論として私は、勲に天皇に対する批判はねじれた形ではっきりとあったと読む。あなた自身はどうか?
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