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くさめして忌日と知るや雪の原 夏目漱石の俳句をどう読むか81

あら鷹の鶴蹴落すや雪の原

 まさに猛禽類、という感じのすさまじい句である。鶴もとんだ災難だ。昔話という感じのない、生々しい景色だが、この自然界の厳しさがいかにも冬という感じもする。ウサギがいればウサギを、蛇がいれば蛇を食べなくてはならないのが冬の鷹の宿命なのであろう。
 南国のフルーツ蝙蝠のようにマンゴーなどをかじっている余裕はないのだ。

竹藪に雉子鳴き立つる鷹野哉

 雉子も鳴かずばは長野県の民話だそうだ。

 雉子は雉子で狩ってくださいと鳴いているわけではなくて、きっと交尾の相手を求めているのだろう。「ケーン、ケーン」と鳴くそうだ。鳴いたはいいがこれからいざ雌を見つけて一戦挑もうかとした瞬間に鷹に狩られてしまうとなると、これが本当のセクシャルハラスメントだ。

 この「あー鳴いちゃって」という感じが漱石の意匠だろう。しかし雉子は用心として竹藪で鳴いているので、不意の一撃は避けられるかもしれない。いずれにせよ先ほどの句同様大自然の厳しさ、緊張感が出ている句だ。

なき母の忌日と知るや網代守

 夏目漱石の実母は明治14年1月9日に没。これはそのこととは関係なく、ただどこかの名もなき網代守が何かのきっかけで今日は自分の母親の忌日だったなあと知ったという意味か。

 この「あっ、………」とどこへも繋がらない感情が停止した状態、素朴な悲しみでも懐かしみでもない、なんとも言えない感じが詠まれた句と言えようか。

 ここで漱石は何のきっかけでというところを詠んでいないが、『永日小品』の『声』のような場面をつい想像してしまう。

静なる殺生なるらし網代守

くさめして風引きつらん網代守

焚火して居眠りけりな網代守

 と思えば、しみじみから淡々、そして滑稽に転じてくる。こうなると「あっ、………」と思い出したのがなき母の忌日なのかどうかはなはだ怪しくなる。

 何にしてもそこに鷹がいなくてよかった。鷹がいたら取った川魚ごと

あら鷹の殺生なるべし網代守

 とされてしまいかねない。


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