計算が合わない 牧野信一の『闘戦勝仏』をどう読むか⑩
牧野信一は侍女をして賽太歳を「王様」と呼ばせてみる。村上龍が『半島を出よ』で書いた通り、たとえ合理的な支配でなくとも、一旦支配されてみれば、人はその支配を受け容れるしかないのではなく、むしろその支配が不合理なものであればあるだけ、積極的に支配されようとするものであることを確認するように。しかし村上龍がしたお勉強を牧野信一はしていないだろう。牧野はさして深い考えもなしに、ただ自然に「王様」と書いてみただけかもしれない。
しかし悟空は佯狂の詩人ではない。ここでは賽太歳の残忍さがむしろ単純さとして捉えられ、醜さの自覚のないことが論われている。確かに少しは揺らぎながらも、悟空には醜さの自覚はあったのだ。「鈴を持つてゐる事くらゐで」と言ってみるのは筋斗雲や如意棒では女の心を捉えられないという自覚あっての指摘であろう。
ただし悟空は醜さに対して辛辣である。醜いものに女が靡くわけもないという理屈を持っている。それでいて何とか活躍して皇后に抱き着かれたいと望んでいる。少々おめでたい。
そしてやはり賽太歳の残忍さに怒るわけでもなく、漫画的な正義感というものを見せない。悟空はここまで決して正義ではなかった。美しいものにもてたいと働きかけてきたにすぎない。
人間を焼いてしまおうというアイデアがいつどのように始まったのかは定かではないが、火炎放射器のアイデアは古代インド神話『リグ・ヴェーダ』に登場する火の守護神アグニからきたものであろうか。
それがギリシャの火として実用化されて以来、人は人を焼くことに執着して来た。
ここであからさまな行為者である悟空は小林秀雄のように考えてみる。
こう言った小林秀雄に対して平野は、
このように批判したのだが、悟空は「これが自然の運命なのだ、と思ふと悟空はちよつとまた寂しい気がした」とさらに当事者意識を放棄する。平野啓一郎は悟空を批判しない。牧野信一の『闘戦勝仏』を読んでいないのだろう。
しかしこんなことをする必要が果たしてあったのであろうか。三つとも鈴を奪い、物理的に破壊してしまえば済んだことではあるまいか。「二つの鈴を持つた従者は、悟空が化けた従者だつた」という設定の影にはすでに二つの死体が転がっているのだろう。これは『西遊記』に描かれるよりもはるかに残酷で大げさな抹殺である。ここには大量虐殺という振る舞いに関する無自覚さ、あるいはやはりいい加減さとでも呼んでみたいものがある。
二つの鈴はもう用なしとなったらしい。となると「麒麟山百万の化物は一匹も残らず焼け死んでしまつた」という言葉の内には賽太歳も含まれていたのだろう。やけにあっさりと焼き殺されてしまったものだ。おそらくこの賽太歳こそがこの話での最大の悪役であり、賽太歳を倒すことが悟空最大の手柄である筈なのに、牧野信一は「王様」とも呼ばれた賽太歳をその他大勢と一緒に焼き殺してしまった。
この「金聖皇后は気絶して室の片隅に斃れてゐた」は牧野の凡ミスだろう。「斃れ」は死ぬことだ。いやしかし手書きで、つまりワードプロセッサーの変換ミスでないのに、わざわざここで「斃れ」と書き間違うとは、一体どんなうっかりなのであろうか。
牧野はここに「金襴の衣が薄紫に漂うてゐた」として例のドレスを持ってくる。
いやそんなこともあるまいが、
この時また悟空が王の前でしたように裸になって転げまわるのではないかと疑わせるように、牧野は「二人ぎりで牢の中に居るのだ」と書いてみる。いつ牢の鍵を壊したとも虱に化けて忍び込んだとも書かないで、悟空はもう牢の中にいる。もう一度虱に変身すれば、皇后の金襴の衣の中に潜り込み、走り回ることも可能であろうが、ここでは何か急に真面目になってしまって、本来の市民を喜ばせて歓迎されたいという無難な希望に立ち返る。何か本音で建て前を言っているようにも思えなくもないが、ここでは二つ目の冷やかすような、まぜっかえすような声は現れない。
え?
皇后は確かに「斃れ」ていて、それが烏金丸を呑ませることで、三十日後にも拘らず生き返ったというのか?
その間腐敗することもなく、鼠にかじられることもなく、
それにしても勘定が合わないではないか。
こうしてすぐに麒麟山に到着した悟空は翌日には賽太歳を焼き殺している筈である。五か月ばかり勘定が合わない。
その五か月間、悟空と皇后が何をしていたのか。それはまだ誰にも解らない。何故なら、そこまでしか読んでいないからだ。
[附記]
この一か月後の蘇生と半年の空白はやはり何かを意図した牧野の創意であろう。
五か月。それだけの時間があれば色々なことができる。玄奘三蔵法師は貞観十三年、朱紫国に「数十日の長きに渡り」留まりながらさらに半年、悟空らの帰りを待つことになる。
いい加減に書いているものを真面目に読んでもつまらないが、ここは「悟空のきわめて個人的な目的のために貴重な任務がかなり遅らされることとなった」と読むことは可能であろう。
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