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妥当だろうか 平野啓一郎の『三島由紀夫論』を読む23

  平野啓一郎は「44 『柘榴の国』」において不意に『家畜人ヤプー』を読んていることを仄めかす。それはそうだろうという話ながら、よくここまで黙っていたものだと感心する。その上平野は『家畜人ヤプー』を掘らない。

 今西は、『柘榴の国』と命名したサド的な、また『家畜人ヤプー』的な「性の千年王国」の物語で人々を煙に巻く。

(平野啓一郎『三島由紀夫論』新潮社 2023年)

 この「44 『柘榴の国』」では『家畜人ヤプー』そのものの内容には触れられない。それが日本民族そのものを本質的な家畜とみなす究極のマゾヒスト・ユートピア小説であり、三島の檄の真逆の世界の話だというのに、その思想性を摘ままない。なんならそれが三島由紀夫のお気に入り作品であったことにも触れない。

 平野の註によれば「創作ノート」に「ヤプー的「千年王国」の到来に…」という文言があったことからの記述のようではあるが、三島が「ヤプー的」と書いているのに対して『家畜人ヤプー』的なと言い直しているので、平野啓一郎自身が『家畜人ヤプー』を全く読んでいないとは思えない。しかし主要参考文献にはリストアップされていない。これはどういうことか?

 角川文庫版の『家畜人ヤプー』でさえ、その筋の人に頼めば簡単に手に入るはずであるし

 なんと388円で売られている。

 この本を読まないことの方がむしろ困難なのではないか。

 しかし一たび角川文庫版の『家畜人ヤプー』を読んでしまうと、沼正三の思想性と三島由紀夫の思想性をたたかわせざるを得ない。
 一言で言えば『家畜人ヤプー』こそは一見反三島小説なのだ。ところが三島由紀夫はこの作品を酷く気に入った。日本人男性が全裸にされ、白人女性に去勢され、人間便器にされる話なのに大喜びした。

 この事実と三島と天皇との整合性を見つけ出す自信がないから、「日本人男性が全裸にされ、白人女性に去勢され、人間便器にされる話」には触れたくなかったというのが平野啓一郎が『家畜人ヤプー』を掘り下げない理由なのではなかろうか。

 これまで何度もそういうことが繰り返されてきたような気がするのは何故なのだろうか。

 意識無意識にかかわらず、やはり日本民族そのものを本質的な家畜とみなす究極のマゾヒスト・ユートピア小説を三島由紀夫が絶賛していたという事実は無視できない。

 それは三島由紀夫を語るうえで避けられないことなのだ。

 極めてシンプルに言ってしまえば三島の言う天皇とは、比喩であり存在しないものという比較的冷静な分析から、その時代時代に民衆が必死に創り上げるものといういささか神話的なものへと移行した。最終的には形式としては天照大神のコピーであり、忠義の対象ということにはなるが、ここで少し注意が必要だ。三島の忠義は幻の南朝に捧げられているので、三島が熱い握り飯を差し上げ、口をこじ開けてでも無理やり食べさせようとした相手は本来幻の南朝の天皇ではあるべきなのだ。しかし今上天皇は何時でも今上天皇だというロジックに於いて、南北朝問題は関係なくなる。なくなるがそれはロジックの上でなくなっているのであって、幻の南朝と言ってしまった三島が本来意味のないはずの血統を意識するという矛盾を示している。

 三島の天皇論というのはそういう解きほぐしがたい矛盾を本質的に持っているのだ。

 三島は最後まで天皇という玩具を手放さなかった。この点は『家畜人ヤプー』も同じなのである。しかも『家畜人ヤプー』には日本民族を徹底的に貶めるマゾヒズムの精神しかない。

 既に子供のころから私の心は、美人の足に接吻を許され、その足に踏まれたり、蹴とばされたりすることを、私の女主人である方から奴隷として扱われ、犬のように仕込まれることをこいねがいました。
 サーカスの女猛獣使いを見たとき私は、この上なく喜ばしく思いました。この女調教師が、踵の高い優美な半長靴を穿いた足で獅子や虎の上を歩いた時、私は有頂天を感じました。

(『ある夢想家の手帖から』/沼正三/都市出版社/昭和四十五年十二月二十日/p.87)

 この程度の感覚は誰にでもあるかもしれない。しかしここから始まり沼は人間便器にまでたどり着くのだ。その沼が『風流夢譚』についてはこんなことを書いているので妙に面白い。

ところが、女の記者が「これから皇居へ行って、ミッチーが殺(や)られるのをグラビアに撮るのよ」と嬉しがったり、「美智子妃殿下の首がスッテンコロコロカラカラと金属製の音がして転がっていった」りする場面では、敬愛尊崇の対象の破壊が、自虐のM的快感に化し、これが一方での嫌悪感を超克するほどの強さに近づいているのを感じた。作者自身がどういう主観的意図を持っていたかをここで忖度(そんたく)しようとは思わないが、少なくとも皇室の人々に対する無意識裡の大きな関心からの作物であることは間違いないであろう。私自身について言えば、美智子妃への敬愛が右の快感の源泉であることは疑えない。

(『ある夢想家の手帖から3』/沼正三/都市出版社/昭和四十六年六月二十五日/p.14~15)

 この徹底したM感覚を認め得るもの、そんなものが三島由紀夫のセクシュアリティの根本にあると見なければ、三島由紀夫が『家畜人ヤプー』を嫌悪しなかった理由には辿り着けまい。そもそも三島にM感覚がなければ『奇譚クラブ』にも『家畜人ヤプー』にもたどり着いてはいない筈なのだ。
 
 天皇が本質ではなくマゾヒズムが本質なのだ。そこを見逃してはいけない。

彼にはわかっていた。清顕が彼の「御文庫」崇拝を知っていて、ことさらここを逢引の場所にしつらえたこと。……そうだ。さっきこの親切な計らいを述べ立てた清顕の口調には、すぐそれと知られる冷たい酔いがあった。飯沼がわれとわが手で神聖な場所を瀆すことになる成行を清顕は望んだのだ。思えば、美しい少年時代から清顕がつねに無言で飯沼を脅かしてきたのはこの力だった。冒瀆の快楽。一等飯沼が大切にしているものを飯沼自身が瀆さねばならぬときの、白い幣に生肉の一片をまとわりつかせるようなその快楽。むかし素戔嗚尊が好んで犯したような快楽。

(『春の雪』/三島由紀夫/新潮社/昭和五十二年/p.134)

 平野啓一郎はこれまで一度も素戔嗚尊がマゾヒストであったとは考えなかっただろうか。

まず小さな純粋な悪、小さな瀆神に手を染めねばならぬ。

(『奔馬』/三島由紀夫/新潮社/昭和五十二年/p.294)

 瀆神の快感。それはマゾヒストにしかない感覚なのではなかろうか。そこに踏み込まなければ、三島由紀夫の肛門をしっかりと確定しなければ、三島由紀夫論は不可能なのではないか。

 平野啓一郎はこれまでに三島由紀夫のいくつかの要素を排除して来た。

①戦前の作品群
②当時の文学界にはない平安以前の語彙を駆使した流麗な文体
③三島が日本の戦後体制を「成功」として肯定的に評価していたという事実
④三島の俳句

アキノヨニスゞムシナクヨリンリンリ

アキノカゼ木ノハガチルヨ山ノウヘ 

日ノマルノハタヒラヒラトオムカヘス 

おとうとがお手手ひろげてもみぢかな 

うららかな平和な時の春はくる 

秋の山幾色あるかうつくしや 

枯草の土手もいつしか青くなる 

猿とかに想い出すかな渋い柿 

六星霜見る間(ま)に過ぎて御卒業 

スチームに黒や紫のお弁当 

菊の花秋は花屋を一人占め 

我忘れ見とれる程のつゝじかな

秋晴れや紅葉(もみぢ)の庭に落葉たく 

笹舟のみどりに憩ふ小蟻かな 

枯笹や芥(あくた)の溝に頭(かうべ)たれ

月夜哉鱚(きぎす)跳ねたり波低し

待ちしとて鵜鳥来(きた)らぬ鵜原哉

秋逝きて鼠の空と白き霜 

しもふめば こがらしふきて すそみだる 

あさじもや まつちうりせうぢよ おもあをし 

おもひでは はろかにめぐる こぞのしも 

霜に落つ南天の実や我寂し

はつゆきぞ くさのねのむし とくにげよ

炬燵(こたつ)には陽光(ひかり)落ちたり雪の朝 

雪晴れて光あまねき朝(あした)哉

遠雷の音あかるしや日照り雨

蚊遣火(かやりび)の煙れる顔の夕闇(やみ)に居る 

秋風や病める子夕陽指さして 

茱萸(ぐみ)の実や草にふたがる山路にて

古き家の柱の色や秋の風 

百日紅(さるすべり)夕陽散り来る空屋哉

秋風に窓に立つ人みじろがず 

葉桜の葉末の空の光りかな

秋風や三弦(いと)の音絶えて長者門

曼珠沙華(まんじゆしやげ)読経の声す寺の庭 

秋風して荻さかりなりし空屋かな

蜻蛉(とんぼう)交る雨後の光りの物憂さよ 

栗の小道の開けて秋を薊(あざみ)哉 

荻の虫近寄るを見る涼亭(ちん)侘びて

雁(かり)渡るや神社(やしろ)境内月夜にて 

こゝにゐて露かゝる背の侘しさや 

灯を連ね列車灯の町を過ぎてけり

影踏みの声にまぎれて呼ぶ女

書庫のすみ埃(ほこり)うずもれ陽の吐息 

松風は海の光りの青さかな 

松風や海の青さの匂ひして 

木々の影黒きレエスなり秋月夜(つくよ) 

蜜柑むく微音(おと)や独居(ひとり)の冬の窓 

月冷ゆる鴨の尾羽根の光り水 

凍(い)てつきて言葉通はぬ冬の月影(つき) 

裏庭(うら)の畑(はた)霜夜の月に葱(ねぎ)白き 

浜に来る外套冬の海になびき 

月は褪(あ)せ春の夜著(しる)きパセリかな

ふとレコード止みつ彫像の鋭き冷え 

遠雷の音明るかり邸跡(やしきあと)

散花や仏間の午後の青畳

斑雲(まだらぐも)蝦夷松(えぞまつ)高く悲しめる 

雨もよひ屋根の線憂き空を切り

ワイシャツは白くサイダー溢るゝ卓 

五月闇(さつきやみ)自転車のベル長く引き

新らしき電柱なりし夏の雲 

夏草にトロッコ線路あてどなき

立つ人の影定まりて秋の石 

謡本火屋(ほや)と立てたる秋灯

射的屋のとざしし雨戸秋の日に 

敗荷(やれはす)に秋の陽粉のごとくなり 

梅擬(うめもどき)配達夫入る寺の門 

先ぶれに枯れ乾び葉のちちろむし

チューリップその赤その黄みな勁(つよ)し 

チューリップ風はなやぎて吹き行けり 

チューリップかなしきまでに晴れし日を 

チューリップ阿蘭陀(オランダ)皿に描きある 

洋装の祖母の写真や庭躑躅(にはつつじ) 

香水のしみあり古き舞蹈服 

虫干や舞蹈服のみ花やかに

遠雷や舞蹈会場馬車集ふ 

舞蹈会露西亜(ロシア)みあげの扇かな 

蛍あまた庭に放ちて舞蹈会 

ナプキンの角するどしや冬薔薇(ふゆさうび) 

みそなわせ義恭(よしやす)大人(うし)が露の筆 

道芝の露のゆくへと知らざりし 

秋灯よのつねならぬ枕辺に 

菊水を儒門の庭に汲む日かな

秋暑しホテルに過客慌しく

帽褪(あ)せしガイドを先に残暑かな

秋暑し七堂伽藍(がらん)人罕(まれ)に

弥陀仏(みだぶつ)の残暑にひそといます処

鉾杉(ほこすぎ)に残る暑さや二月堂

春衣やゝくつろげて師も酔ひませる

澪(みを)ごとに載せゆく花のわかれ哉

さはさはと袂(たもと)ふれ合ひ歌留多会(カルタくわい)

かるた巧き一家そろひて来たりけり

歌留多取り手も足も出ぬ鏡餅

奥の間の歌留多会へと案内(あない)かな

老執事かるた上手と知られけり

乳母車二三公園春の泥

春泥の伊豆の旅よりかへりけり

春の泥むかしがたりの二長町

おん袖のほころびいます雛(ひひな)かな

この家を姉の名残の雛祭(ひなまつり)

老博士萩しげき家(や)に住みたまふ 

何もかも言ひ尽くしてや暮の酒 

竜灯の影ちりぢり水尾かな

⑤天皇制がないという発言
⑥天皇制が交換可能なものだという発言
⑦伊勢神宮
⑧『金閣寺』が金閣寺再建後に書き始められたこと
⑨三島の戦後再デビュー作が『英霊の声』ではなかったこと
⑩『仮面の告白』の主人公が一日三回自涜しないこと
⑪十代の三島が天皇を「天ちゃん」と呼んでいたこと
⑫三島由紀夫が宮内庁ではなく大蔵省に入ったこと
⑬『風流夢譚』
⑭最中と菓子パン
⑮溝口のコムプレックスが金閣寺を焼く前に解消されていること
⑯三島が徴兵検査に合格していたこと
⑰〈最も死の近くにゐた〉時期に書かれた『盗賊』
⑱『午後の曳航』の書き直された結末。解剖
⑲三島憲法
⑳檄と檄文の違い

 ……まだまだある。しかしこれで「決定版」ということはあり得ないという指摘にはこれだけの要素でも十分だろう。
 そしてやはり根本の問題はある部分ではロジカルなのに、突然ロジックを放棄してしまうところだ。金閣寺が天皇なのに、天皇を乳房にはしない。そのねじれがこんなところにも繰り返される。

 神—神々——は従って、性欲によって所有され、その絶頂に於いて抹殺されるものの、記憶として永遠に伝えられる存在である。『柘榴の国』の住人は、斯様にして、「記憶に留められる者」(=神)と「記憶を留める者」(=人間)とに二分されるのである。
 今西が、椿原夫人と対の登場人物である以上、「記憶に留められる者」を戦死者、「記憶を留める者」を戦後社会に生き残った者たちとする解釈は妥当だろう。

(平野啓一郎『三島由紀夫論』新潮社 2023年)

 無理に整理しようとするとこんなことになる。平野は戦後社会に生き残った者たちが戦死者を性欲によって所有するという発想を妥当だとしている。これでは三島由紀夫に「君、靖国でマスかくやつをどう思う?」と質問されかねない。

 まともな人が読めば『暁の寺』は『家畜人ヤプー』のどぎつさはないものの、精神性においてはかなり変態的である。

"英霊"の母である椿原夫人に対しては、これ以上なく瀆聖的であり、彼女は、「暁雄……暁雄……ゆるしておくれ」と、戦死した息子の名を呼び、「欷歔」する。慎子は、「歌を詠むおつもりで、身を以て、あわれを体現してごらんなさい。」と彼女に命ずるのである。

(平野啓一郎『三島由紀夫論』新潮社 2023年)

 全裸監督みたいなことになっている。オカリナがあればオカリナを吹かせかねない。

 このくらいの変態性があれば靖国でマスがかけるかもしれないし、自らが生首となり、「記憶に留められる者」(=神)となり、「記憶を留める者」(=人間)の性欲によって所有されるという妄想でもマスがかけるかもしれない。

 しかしその手段は通常にあらず、いたく奇妙なポーズで始まるかもしれない。

[余談]

首がころげ落ちる、その時三島由紀夫は彼が絶賛し≪中央公論≫に推薦した深沢七郎の『風流夢譚』の中の皇族たちの首が転がる情況を思い起こしたに違いない。三島は事前にNHKと≪サンデー毎日≫の記者に手紙をわたす手配をし、今回の事件の一部始終を報道させるようにし、転がった自分の生首まで撮影させ、それが大新聞に掲載されるように意図したのだ。確かに大江健三郎が、『新しい人よ眼ざめよ』で指摘しているように、三島由紀夫の意図は、多くの人々がとらわれている檄文にはなく、生命をかけた肉体(パフォー)演技(マンス)にあるのだ。古式に則った切腹、出血、最愛の同志による介錯、生首が転がる、それを血まみれのまま床に立てて、首尾よく新聞に掲載されるということを願っていたのであろう。その生首は写真で見る限り、実におだやかで端正な顔立ちをしていて、思わず脱帽させられる思いであった。その奥に三島由紀夫の単純で真の目的がある。この芝居がかった装置の中で皆にみつめられながら〈至上の肉体的苦痛〉を味わい、〈至福の到来を招く〉体験を意識し、その極限で死という無意識の世界に転化することであった。

(『三島由紀夫伝説(みしまゆきおでんせつ)』/奥野健男/新潮社/1993年/p.468~469)

 この本は平野啓一郎の『三島由紀夫論』巻末で主要参考文献に挙げられている。私がただやみくもに欺瞞、欺瞞と言っているわけではないことが、この一例でも明らかである。現時点で平野啓一郎の『三島由紀夫論』はかなりの要素を排除することで成立しているように見えるだけの三島論であり、必ず平野啓一郎が生きている間に書き直されるべき本なのである。

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