話は「39 「武士道精神」と国防」で『暁の寺』に進む。悪い予感しかしない。『暁の寺』は「武士道精神」と国防の話ではないからだ。また前置きがたくさん積み上げられる気がしてならない。
三島は……いや、平野は前置きとして執筆時期に触れ、急がねばならなかったという。そして『暁の寺』脱稿時は不快だったという。その説明を平野よりもう少し長めに引用しよう。
このくだりは『暁の寺』を論じようとしたとき、誰もが繰り返し読みなおしさせられるところである。
いや間違えた。平野が引用したのはこの部分である。
このニュースは当時、かなり話題となった。実に見事な捏造だと評価されてのことだ。勿論任意に資料が作成できればどんな大発見でもできてしまうので、アカデミックな場では捏造は固く禁じられていて、意図的なものだと判断されればその学者の生命は終わる。
引用間違いはよくあることだ。
書き洩らしは仕方ない。
ではこの場合はどうか。
少なくとも私はこう記憶している。
それまで浮遊していた二種の現実(作品内の現実と作品外の現実―すなわち『憂国』の主張などと現実生活の乖離ならびに楯の会という現実)は確定せられ、ひとつの作品世界が完結し閉じられると共に、それまでの作品外の現実はすべてこの瞬間に紙屑になった。
この括弧の中はどうやら井上隆史の解釈だったらしい。
良く読み返すと「『憂国』の主張」などという表現が三島由紀夫本人のものとして考えると少しおかしい。しかし比較してみるまではそう気が付かないものだ。引用の中に解釈を紛れ込ませることが厳密に禁止されているわけではないが、ここはなにか少しずるをしている感じがないではない。
井上の「(作品内の現実と作品外の現実―すなわち『憂国』の主張などと現実生活の乖離ならびに楯の会という現実)」という解釈に対して平野はこう見立てる。
注によればこの「そのように理解されてきた」という見立ては猪瀬直樹の『ペルソナ』によって確認されたことらしい。
なるほど。
作品に触れられる前に、作品が書き終えられた時点での蹶起計画の頓挫という行動の失敗が確認されている。
なんという書き方だ。
平野はそこから三島の行動について説明し始める。これが作品論に挟み込まれる伝記的記述だとは知りつつ、三島が敢えて別のものと見做してほしがっていた文学と行動を単に時期的な附合で無理やり重ね合わせようというやり方に改めて違和感を覚える所である。「40「一〇・二一国際反戦デー」以後の急進化」においてまず『暁の寺』に言及されるのはこの個所である。
これではまるで兼業作家がもう一つの仕事が上手くいっていなかったので、小説の方も頓挫していたかのような話になっている。
二度目に『暁の寺』に言及されるのはこの個所である。
ここで答えは出ていない。答えが出てから書き、その答えを説明すべきなのに。
答えは最後にこう書かれていた。
書かれているが、間違いである。
>三島は、単に、クーデター計画が頓挫したが故に、「実に実に実に不快だった」と書いたのではあるまい
「行動に移ることが出来ず」≒頓挫では?
>その事実を、"小説執筆のための主体的選択"と自らに言い聞かせ続けていた
それは私の自由でもなければ、私の選択でもない。
三島は『暁の寺』を書き終えた時点で「二種の現実のいづれかを、いついかなる時点においても、決然と選択しうるという自由」を失い、「貴重な現実であり人生であった筈」の現実が「私の自由でもなければ、私の選択でもない」ところで紙屑になった≒頓挫したから不快なのだ。
よく読むとそのように書いてある。
自由抜き選択抜きの保留の中でさらに書き続けることが耐えられないので、自由選択したい、つまり三島由紀夫のクーデター計画にみんなが大賛成してくれないとイヤなのだ。
そして『豊饒の海』の完成と同時にクーデターが成功し、次回作も大ヒットしなければイヤなのだ。
そもそも計画と言い行動と言い、集団であればそこに自分の自由な選択などありえないということくらい、民間のサラリーマン経験が三年もあれば誰でも解るはずだが、三島にはそんな常識は通用しない。カーネギーの『人を動かす』なんか読んでいるようないい加減な経営者でもそのくらいのことは理解できるはずだ。人が二人いれば必ず意見は分かれる。そこが本当の意味で理解できていない者の組織論やクーデター計画にどれほどの傾聴が必要なものだろうか。
わがままな人は作家には向いていてもクーデターには向いていない。そもそも身を挺することまで自由選択したいのが三島なのである。
人を不快でコントロールすることもできない。実ら実に実に不快だ、とまるで誰かを責めるようなことが書かれているけれどここは完全に自分勝手な三島が悪い。従って、さっさと次にいこう。小説は待ってくれない。
[余談]
しかし平野啓一郎のなぞった三島の行動を再確認してみると、オウム真理教の起こした一連のテロ事件というものが現実化したことに改めて「感心」させられてしまう。
あそこまで組織化されたテロ集団というのは、近年ではほかに例を見ない。三島にはそこまでのカリスマ性がなかったということになろうか。