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聖なる政治的精神では通用しない 平野啓一郎の『三島由紀夫論』を読む⑳

 話は「39 「武士道精神」と国防」で『暁の寺』に進む。悪い予感しかしない。『暁の寺』は「武士道精神」と国防の話ではないからだ。また前置きがたくさん積み上げられる気がしてならない。
 三島は……いや、平野は前置きとして執筆時期に触れ、急がねばならなかったという。そして『暁の寺』脱稿時は不快だったという。その説明を平野よりもう少し長めに引用しよう。

「世間で考える簡単な名人肌の芸術家像は、この作品内の現実にのめり込み、作品外の現実を離脱する芸術家の姿であり、前述のバルザックの逸話などはその美談になるのである。しかし、その二種の現実のいづれにも最終的に与せず、その二種の現実の対立・緊張にのみ創作衝動の泉を見出す、私のような作家にとっては、書くことは、非現実の霊感にとらわれつづけることではなく、逆に、一瞬一瞬自分の自由の根拠を確認する行為に他ならない。その自由とはいわゆる作家の自由ではない。私が二種の現実のいづれかを、いついかなる時点においても、決然と選択しうるという自由である。この自由の感覚なしには私は書きつづけることができない。選択とは、簡単に言えば、文学を捨てるか、現実を捨てるか、ということであり、その際どい選択の保留においてのみ私は書きつづけているのであり、ある瞬間における自由の確認によって、はじめて「保留」が決定され、その保留がすなわち「書くこと」になるのである。この自由抜き選択抜きの保留には、私は到底耐えられない。
「暁の寺」を脱稿したときの私のいいしれぬ不快は、すべてこの私の心理に基づくものであった。
何を大袈裟なと言われるだろうが、人は自分の感覚的現実を否定することはできない。すなわち、「暁の寺」の完成によって、それまで浮遊していた二種の現実は確定され、一つの作品世界が完結し閉じられると共に、それまでの作品外の現実はすべてこの瞬間に紙屑になったのである。私は本当のところ、それを紙屑にしたくなかった。それはわたしにとっての貴重な現実であり人生であった筈だ。しかしこの第三巻に携わっていた一年八カ月は、小休止と共に、二種の現実の対立・緊張の関係を失い、一方は作品に、一方は紙屑になったのだった。それは私の自由でもなければ、私の選択でもない。しかしまだ一巻が残っている。最終巻が残っている。「この小説がすんだら」という言葉は、今の私にとって最大のタブーだ。この小説が終ったあとの世界を、私は考えることができないからであり、その世界を想像することがイヤでもあり怖ろしいのである。それでこそ決定的に、この浮遊する二種の現実が袂を分ち、一方が廃棄され、一方が作品の中へ閉じ込められるとしたら、私の自由はどうなるのであろうか。

私の不快はこの怖ろしい予感から生まれたものであった。作品外の現実が拉致してくれない限り、(そのための準備は十分にしてあるのに)、私はいつかは深い絶望に陥ることであろう。

吉田松陰は高杉晋作に宛てたその獄中書簡で、「身亡びて魂存する者あり、心死すれば生くるも益なし、魂存すれば亡ぶるも損なきなり」と書いている。

作家の人生は、生きていても死んでいても、吉田松陰のように透明な行動家の人生とは比較にならないのである。生きながら魂の死を、その死の経過を、存分に味わうことが作家の宿命であるとすれば、これほど呪われた人生もあるまい」(三島由紀夫『文学とは何か』)

村雨春陽『三島由紀夫はなぜ死んだのか』

 このくだりは『暁の寺』を論じようとしたとき、誰もが繰り返し読みなおしさせられるところである。

 いや間違えた。平野が引用したのはこの部分である。

「それまで浮遊していた二種の現実は確定せられ、ひとつの作品世界が完結し閉じられると共に、それまでの作品外の現実はすべてこの瞬間に紙屑になったのである。私は本当のところ、それを紙屑にしたくなかった。それは私にとっての貴重な現実であり人生であった筈だ。」

(平野啓一郎『三島由紀夫論』新潮社 2023年)

著書執筆に際し捏造(ねつぞう)や盗用があったとして東洋英和女学院の院長職などを懲戒解雇された深井智朗氏(54)を巡り、岩波書店は13日、不正が認定された深井氏の著書「ヴァイマールの聖なる政治的精神」を絶版とし、回収すると発表した。
岩波書店は、大学調査委の判断を「重く受けとめ、絶版とすることとした」と説明した。
同社のPR誌「図書」15年8月号掲載の深井氏の論考にも資料の捏造があったと大学の調査委が認定しており、「図書」6月号にも謝罪文を掲載する。

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO44740160T10C19A5CR8000/

 このニュースは当時、かなり話題となった。実に見事な捏造だと評価されてのことだ。勿論任意に資料が作成できればどんな大発見でもできてしまうので、アカデミックな場では捏造は固く禁じられていて、意図的なものだと判断されればその学者の生命は終わる。
 引用間違いはよくあることだ。
 書き洩らしは仕方ない。

 ではこの場合はどうか。

 少なくとも私はこう記憶している。

 それまで浮遊していた二種の現実(作品内の現実と作品外の現実―すなわち『憂国』の主張などと現実生活の乖離ならびに楯の会という現実)は確定せられ、ひとつの作品世界が完結し閉じられると共に、それまでの作品外の現実はすべてこの瞬間に紙屑になった。

 それまで浮遊していた二種の現実(作品内の現実と作品外の現実―すなわち『憂国』の主張などと現実生活の乖離ならびに楯の会という現実)は確定せられ、ひとつの作品世界が完結し閉じられると共に、それまでの作品外の現実はすべてこの瞬間に紙屑になった」(中略)「しかしまだ一巻が残っている。最終刊が残っている。『この小説が済んだら』といふ言葉は、今の私にとって最大のタブーだ。この小説が終わった跡の世界を、私は考える事が出来ないからであり、その世界を想像することがイヤでもあり恐ろしいのである。

井上隆史著 『豊饒なる仮面 三島由紀夫』

 この括弧の中はどうやら井上隆史の解釈だったらしい。

 良く読み返すと「『憂国』の主張」などという表現が三島由紀夫本人のものとして考えると少しおかしい。しかし比較してみるまではそう気が付かないものだ。引用の中に解釈を紛れ込ませることが厳密に禁止されているわけではないが、ここはなにか少しずるをしている感じがないではない。

 井上の「(作品内の現実と作品外の現実―すなわち『憂国』の主張などと現実生活の乖離ならびに楯の会という現実)」という解釈に対して平野はこう見立てる。

 これを三島の文武両道の具体化と見るならば、「紙屑」となったのは、蹶起計画を練りつつ、その機を逸してしまった、という意味であり、実際、この言葉はそのように理解されてきた

(平野啓一郎『三島由紀夫論』新潮社 2023年)

 注によればこの「そのように理解されてきた」という見立ては猪瀬直樹の『ペルソナ』によって確認されたことらしい。

 なるほど。

 作品に触れられる前に、作品が書き終えられた時点での蹶起計画の頓挫という行動の失敗が確認されている。

 なんという書き方だ。
 平野はそこから三島の行動について説明し始める。これが作品論に挟み込まれる伝記的記述だとは知りつつ、三島が敢えて別のものと見做してほしがっていた文学と行動を単に時期的な附合で無理やり重ね合わせようというやり方に改めて違和感を覚える所である。「40「一〇・二一国際反戦デー」以後の急進化」においてまず『暁の寺』に言及されるのはこの個所である。

 何よりも、『豊饒の海』は、『暁の寺』の途中で未完のまま残されることになっていた。山本は、「三島は最後まで治安出動からクーデターに持っていく計画をあきらめなかった」が「そのとき三島と行動をともにした会員のほとんどが、どのような形にせよこれから自分たちがクーデターを起こすことになるという実感を得られなかった」という、元楯の会会員の証言を紹介している。

(平野啓一郎『三島由紀夫論』新潮社 2023年)

 これではまるで兼業作家がもう一つの仕事が上手くいっていなかったので、小説の方も頓挫していたかのような話になっている。

 二度目に『暁の寺』に言及されるのはこの個所である。

 改めて問おう。三島はなぜ、『暁の寺』脱稿時に、「実に実に実に不快だった」のか?
 彼は確かに、行動を考え、自らの死を覚悟していたのであろう。その場合、『豊饒の海』は、未完の遺作となったであろうし、「文学を捨てるか、現実を捨てるか」の二者択一の結果、文学さえ犠牲にして行動を取った、という事実は、本作を完成させた後の行動よりも、迫力を帯びたかもしれない。それは捨てるもののなかった勲の蹶起とは大きく意味を異にしている。

(平野啓一郎『三島由紀夫論』新潮社 2023年)

 ここで答えは出ていない。答えが出てから書き、その答えを説明すべきなのに。

 答えは最後にこう書かれていた。

 三島は、単に、クーデター計画が頓挫したが故に、「実に実に実に不快だった」と書いたのではあるまい。こうした状況下で奔走し、結局、半ば見放されたような恰好で行動に移ることが出来ず、その事実を、"小説執筆のための主体的選択"と自らに言い聞かせ続けていた状況に終わりが来たことを、そう表現したのではなかったか。

(平野啓一郎『三島由紀夫論』新潮社 2023年)

 書かれているが、間違いである。

>三島は、単に、クーデター計画が頓挫したが故に、「実に実に実に不快だった」と書いたのではあるまい

「行動に移ることが出来ず」≒頓挫では?

>その事実を、"小説執筆のための主体的選択"と自らに言い聞かせ続けていた

それは私の自由でもなければ、私の選択でもない。

 三島は『暁の寺』を書き終えた時点で「二種の現実のいづれかを、いついかなる時点においても、決然と選択しうるという自由」を失い、「貴重な現実であり人生であった筈」の現実が「私の自由でもなければ、私の選択でもない」ところで紙屑になった≒頓挫したから不快なのだ。

 よく読むとそのように書いてある。

 自由抜き選択抜きの保留の中でさらに書き続けることが耐えられないので、自由選択したい、つまり三島由紀夫のクーデター計画にみんなが大賛成してくれないとイヤなのだ。
 そして『豊饒の海』の完成と同時にクーデターが成功し、次回作も大ヒットしなければイヤなのだ。

 そもそも計画と言い行動と言い、集団であればそこに自分の自由な選択などありえないということくらい、民間のサラリーマン経験が三年もあれば誰でも解るはずだが、三島にはそんな常識は通用しない。カーネギーの『人を動かす』なんか読んでいるようないい加減な経営者でもそのくらいのことは理解できるはずだ。人が二人いれば必ず意見は分かれる。そこが本当の意味で理解できていない者の組織論やクーデター計画にどれほどの傾聴が必要なものだろうか。

 わがままな人は作家には向いていてもクーデターには向いていない。そもそも身を挺することまで自由選択したいのが三島なのである。

 人を不快でコントロールすることもできない。実ら実に実に不快だ、とまるで誰かを責めるようなことが書かれているけれどここは完全に自分勝手な三島が悪い。従って、さっさと次にいこう。小説は待ってくれない。

[余談]

 しかし平野啓一郎のなぞった三島の行動を再確認してみると、オウム真理教の起こした一連のテロ事件というものが現実化したことに改めて「感心」させられてしまう。
 あそこまで組織化されたテロ集団というのは、近年ではほかに例を見ない。三島にはそこまでのカリスマ性がなかったということになろうか。


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