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三島由紀夫・貴族文藝の正統な傳承者

 どういふ因縁か知らないが、ぼくは三島由紀夫の作品を、戰爭中から知つてゐる。『花ざかりの森』といふ本がある。彼のごく初期の作品をあつめたものだ。ぼくは偶然それを虎の門へんの小つちやな本屋で見かけて、燈火管制の黒幕のかげで讀んだ。空襲がはじまつて、黄色つぽい硝煙が東京の街路にただよひだしてゐた。終戰の前年の、たしかに暮れ近いころである。この本には短篇小説が五つ載つてゐる。短篇といつても、百ページ近いのもある。今でもおぼえてゐるが、『世々に殘さん』とか『苧莵と瑪耶』などといふ作品は、なかなかの力作であつた。ぼくは讀みだして、とたんに芥川龍之介の再來だと思つた。
 もつともこの印象は、すぐ訂正せざるを得なかつた。藍より出でて藍より青いといふだけではなく、明らかに異質のものがあつたからである。龍之介の王朝物は、どうかすると苦勞の跡ばかり目について、しつくりついて行けない場合が多い。擬古文といふものは難かしいものだ。江戸中期に出た一代の才女、荒木田麗女の才筆をもつてしても、その王朝に取材した歴史物語には、措辭上の狂ひが少なくないさうだ。もちろん『花ざかりの森』の諸篇は、擬古文で綴られてゐるわけではない。王朝の文體を現代に生かしたものである。しかしその和文脈はみごとに生きてゐたのみならず、詩情またそれに伴なつて香り高かつた。ぼくは舌をまいた。この早熟な少年のうちに、わが貴族文藝の正統な傳承者を見る思ひがしたからである。(神西清『ナルシシスムの運命』)

 擬古文は難しいものだ。擬古文の難しさは三島由紀夫の再来ともてはやされた平野啓一郎の『日蝕』にも滲み出ている。時代の鋳型をどう組み立て、現在の概念をどう翻訳し、当時はあり得なかった考え方をいかに自然に排除するのか、その設定と自分の設定が作り出した落とし穴の間の綱渡りに神経が配られなくてはならない。それは単に語彙力の問題ではないのだ。

 例えば自由という古語はない。似た概念に自在はあったが、さして古くない。自在鉤の自在であり、現代人の我々の持つ自由とはかなり距離がある。自由という概念がない世界で、果たして人々は無意識に自由に振舞うものだろうか。川上未映子の『そら頭はでかいです、世界がすこんと入ります』では神を信じる人も無神論者も「神は存在する」「神は存在しない」というそれぞれのイデオロギーの信者であるという点でイーブンではないかと書いていたが、神を巡る個々の思想家や派閥等々に関する区分けはあまりにも複雑で、なんと神学という学問まであるくらいである。今では上智大学の教授がウイキペディアに詳細な記事を書いてくれているので一般人でもやすやすと情報が手に入るが、『日蝕』が書かれた当時は神学の中に入っていくのはかなり無謀な試みであった。

 『日蝕』に癩者の行列が出てくる。鐸鈴を揺らす。この習慣は種村季弘の『パラケルススの世界』などでも確認ができるものだ。つまり知っていることを書けばよい。しかしリアルな空間を描こうとすると、知らないことに必ずぶつかる。中世ヨーロッパの蜘蛛や蛍の種類と分布はどうか、旅人は長靴を履いたか、乞食坊主は朝盥嗽(かんそう)をするのか、昔の人は指をどう折っていたのか、つまり親指から順に折ったのかどうか…。

 一般的には芥川龍之介にあこがれていたという文脈で語られる神西清が認める程度に三島由紀夫の初期作品は「異様」だった。川上未映子の『そら頭はでかいです、世界がすこんと入ります』では、それが詩のように思えると書かれていた。その通り、散文ながら確かに詩歌のように、謡のように独特のうねりがある。その文体は万葉歌から泉鏡花までの折衷であろうが、漢文のゴツゴツとした骨法が見られず、如何にも和である。講談と落語がない。俳句がない。芝居はある。三島由紀夫が夏目漱石を認めないのは、根本的な文学体験の違いからくるのだろう。それにしても神西清の貴族文藝の正統な傳承者というフレーズはペトロニウスを自認した三島由紀夫の性質を言い得て妙である。しかし神西清は初期作品に幻惑されたわけではない。

 それはこの告白者(それは三島由紀夫自身だと假にしてもいい)が、もともと否定者であり殺戮者だつたといふことである。ナルシシスムはナルシシスムでも、否定に呪はれたナルシシスムなのである。いはば自己陶醉を拒絶されたナルシシスムなのである。負數のナルシシスムと言つてもいいだらう。絶對主義のナルシシスムが日本流の私小説だとすれば、これは相對主義のナルシシスムだ。男色的といふ術語を使はないでも、近代的といふ一般語で間に合ふやうにぼくは思ふ。分裂はナルシシスムにとつても、近代の宿命なのである。 (神西清『ナルシシスムの運命』)

 三島は、告白の本質は「告白は不可能だといふことだ」とも書いている。それは太宰の『人間失格』を見るまでもなく明らかだ。太宰の私小説風告白はある。芥川龍之介の『藪の中』よりも解り難い相対主義を作り出す。太宰の自己戯画化の薄ら笑いを、三島由紀夫は大真面目で堪えたに過ぎない。最後の告白となった『豊饒の海』で、読者を何もないところに導いてしまった三島由紀夫は確かに貴族文藝の正統な傳承者たる華麗な日本語を『春の雪』で表し、さまざまな三島由紀夫を匂わせながら、虚構の現実化と現実の虚構化に達した。まさに現実と非現実の相克である。

 三島が取材のために京都・奈良の尼寺を歴訪し、ある尼寺で高齢の尼門跡に会ったときに、『春の雪』がどんな筋かと聞かれて、「宮様の許婚になった恋人を犯して妊娠させ、そのため恋人は剃髪遁世し、自分は病歿する青年の話」だと答えると、その尼僧が三島をじろじろと疑わしげに見つめて、「どこでそれをおききになりました?」と言い、逆に三島の方がびっくりし、自分の純然たる創作だと尼僧に言ったが信じてもらえなかったという。(ウイキペディア「豊饒の海」の項より)

 そして三島自身が美智子様と見合いをしたという噂を否定しなかった。これはとんだナルシシスム野郎である。






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