睾丸の面目如何十八間 夏目漱石の俳句をどう読むか84
夏目漱石の俳句、そう検索して一番上位に来るこのサイト、恐るべきことに一言の感想もない。何か適当なことを書いていたら文句をつけてやろうと覗いたわけではない。
本当にわが国では通称俳句保護法、「俳句の保護に関する法律」により俳句の感想を鑑賞として述べることが厳密に禁じられているのではなかろうか?
こんな法律がきっとどこかにあるに違いない。それでも私は私のやり方を通させてもらう。
本来の面目如何雪達磨
漱石はこの「父母未生以前本来の面目」という公案に対して、案外真面目に繰り返し考えてきたようなところがある。『吾輩は猫である』『趣味の遺伝』はともかくとして『門』にまで出て来ることから、何度も思い出す公案ということになろうか。「本来の面目」は『虞美人草』『それから』にも出てくる。
漱石は真面目な人だったので繰り返し「自分はどう生きるべきか」ということを考え続けてきたのであろうし、そこで「本来の面目」について考えざるを得なかったのであろう。
しかしここでは雪達磨に公案を持ちかけるという少しのふざけを見せている。どうだ手も足も出まいと揶揄っているのだ。
俳句の中には本当に手も足も出ない公案のようなものがある。それがある瞬間にハッと解けた時、脳に走る快感、これがいわゆる読書の愉悦、読書本来の面目なのではなかろうか。
これまでのところ一番の快感はこれかな。
仲山道夜汽車に上る寒さかな
仲山道の夜汽車というのがよく解らない。鉄道が整備された東海道と違い仲山道には線路は敷設されなかったように思う。今でも日本橋から板橋宿への移動は東京メトロ東西線を大手町で乗り換えて都営三田線で板橋区役所前に行く地下鉄を使うことになる。日本橋から板橋宿への移動は他にも経路としてはなくはないが、結構面倒なものである。京都側のどこかに夜汽車の路線と重なるところがあるのかもしれないが、そこはどうにも判然としない。
真面目に受け取ると昔乗った事のある八高線あたりの感覚かなと思う。それは夜汽車ではなかったが、その当時駅のホームに電車がついてもいちいちボタンを押さないとドアが開かない仕様で、いざドアが空いたら、乗っていた人がこちらを振り返って身をすくめる。そんな景色を思い出すと「夜汽車に上る寒さかな」という感覚が解るような気がする。
どこかの停車駅で吹き込んできた冷気にヒヤッとする。そんなことは仲山道でなくてもどこでもあったとは思うが、仲山道ねえ?
西行の白状したる寒さ哉
誰の説だったか山頭火と放哉の放浪は意味が違うという人がいた。山頭火は暖かいところで生まれたので、旅が死を伴う危険なもので寒さとの戦いであることを軽視していたという。放哉は雪国鳥取の生まれなので下手をすれば野宿は凍え死ぬものであることも知っていた。それにもかかわらず結婚をしてから韓国、満州を放浪するのだから物が違うと。韓国、満州だからね。
しかしまあ和歌山生まれと言われている西行だけでなく、多くの俳狂があほかと言うほど旅行しているのは間違いなくて、やはりそれは時代を遡るだけ苛刻なものであったに違いない。
そして旅の代名詞でもあるその西行に寒いと白状させるのだから、それはよほど寒かったに違いない。寒がりの子規には真似ができないのが放浪である。子規はこの句に笑い、「顰に傚って曰く」として「睾丸の見つけられたる寒さ哉」と返している。それはよほど寒かろう。
温泉をぬるみ出るに出られぬ寒さ哉
大破調の句である。温泉に入ったはいいが湯がぬるくて外が寒いので出ようにも出られないという句か。これでは睾丸は見つけられない。
本堂は十八間の寒さ哉
一間は1.82m。十八間は32.76m。宿坊で体育館くらいの広さの本堂に泊まったのか? 十八間は少し大げさにしても広いお堂に通されて寒々としたよと言う句であろうか。
なんにせよ中山道、西行、温泉、お堂とじっとしていない漱石がいる。
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