あなたがわるいのだ 本当の文学の話をしようじゃないか⑲
風巻景次郎という人は谷崎潤一郎の解釈を巡って、ふいに気になってきた人である。その人は、
伝統詩歌と漱石を経て、谷崎に至ったのだ。それは言い換えれば「萬葉集」から藤原俊成を経て、漱石にという話になる。しかし風巻は自身の文学の系譜を上田秋成、松尾芭蕉、井原西鶴、吉田兼好、鴨長明、清少納言、としてそれより上には遡れないと嘯く。
この欺瞞。万葉集をかじらないで古今集は読めず、そこから出ないと伝統詩歌には触れられない。
どれだけ背伸びをしてみても万葉学者以上に万葉集を読み切ることはできないし、万葉学者が万葉集を読み切れているわけではない。では日本文学に連なろうとすれば誰しもが万葉集を少しだけかじり、古今集を少しだけかじり、後は何やら適当にすましてハナモゲラの根無し草で、はったりをかますしかないものであろうか。
とてもやりきれない。この無力感を風巻は「みじめさ」と言ったのではないか。
これは何かを書くことを決意した人間にとってさらに切実な問題として立ちはだかる。
萬葉集さえ読み切れていないのに、何を語る資格があるのかと。実際何も書かないで万葉集の万葉仮名による精読と註解の何週目かを終えた万葉学者は、まだ何も書いていないにせよ、金融資産が一億円超えた平社員くらいの心の余裕があるのではなかろうか。少なくとも萬葉集はなんとなくつかめてきたぞという余裕。そんなものが風巻にはない。
しかしそんなものは本来どうでもいいことなのではないか。万葉歌を一つも知らずとも中世の詩歌を一つも知らずとも、ただ目の前の作品を丹念に読み、その意味が理解できるかできないか、それだけのことなのではなかろうか。たとえ『国歌大観』をそらんじていても、目の前の作品を読めなければしょうがない。
風巻はこう書き始めたのである。「文学の発生」とは文学史における最初の文学の発生のことではなく、若者の心の中に生じるもののことだ。
ある詩人はそこにさびしさをしか見つけられなかった。
萩原朔太郎である。圧倒的なものに打ちのめされること、例えば日本語の魔術師に激しい嫉妬を覚えなかったことは、彼の天才の不幸でもある。
風巻もこんなことを言ってみる。
個性という言葉を使う人はたいてい独りよがりのエゴイストである。「私がわるいのでは決してない」という理屈は、実は漱石と芥川に関して言えば当てはまらない。あなたが悪いのだ。
文学的な仕掛けが理解できないと感銘が受けられないようなものを、少なくとも漱石と芥川は書いてきたのだということを私はより具体的に繰り返し説明して来た。
重箱の動きが解らないと『行人』は解らないよとか、九星くらい計算しないと『道草』の面白さは解らないよとか。
あるいは位置関係や時代を掴まないと意味が解らないよと書いてきた。
解らないのは漱石や芥川の所為ではない。そのひらめきは突如発生してあなたの心をとらえる。
丸見えだったのかという驚きとともにその記憶は心に刻まれる。これが本当の文学の発生である。今にして思えば、風巻が中世の詩歌の研究に没し、漱石や芥川の価値に辿り着けなかったことは、残念なみくびりであつたというしかない。
現に芥川作品は百年後まだ読まれる可能性を秘めている。
こうも言って風巻は芥川や谷崎や菊池寛の過去の時代を材料にした作品の価値を認めない。つまり『芋粥』に現在の読者が参加させられていることに気がついていないのだ。それが平安前期の把握ではなく、千年変わらぬ人間の普遍的なものをめぐる小説であることに気が付いていないのだ。しかし読者の参加を見抜くのは、言ってみれば単なる国語力であり、それを見落とすのは国語力が足りないか、集中力が足りないかで、どちらが悪いのかと問われたら、あんたが悪いというほかない。
伝統詩歌の世界に深く沈みながら国語力がない?
実はこのことは風巻の個性などではないのかもしれない。
萩原朔太郎が川端康成の『雪国』に関して述べていることは間違いではない。「夜の底が白くなった」と言われれば、誰しもが詩を認めざるを得ない。しかし、その詩は芥川龍之介が二十年も前に使ってもいた詩なのである。
そして萩原朔太郎は夏目漱石を全く評価していない。まるで漱石には抒情性がないかの如く無視をする。
ここには注意深く読まないと見落としてしまう文学的な仕掛けなどない.ただ美しいとしか言いようのない詩がある。もろくはあるがもろさも詩である。
これが例のデマを産んだ所以ではないかと思うところ。月は美しい。
ここには少しだけ文学的仕掛けがあるが、それにしても抒情性が勝っている。何かギリギリのところでバランスを保つ人間関係の機微というものを捉えている。「私がわるいのでは決してない」という理屈は、漱石と芥川に関して言えば当てはまらない。あなたが悪いのだ。
[附記]
文学的仕掛けというのは、漱石が文字通り「送る」と言って「女の後に跟いて行った」という絵面。明治の男が女の尻を下駄の音もたてずに一丁もつけて行ったら、そりゃおかしい。
大体女の人は後ろからついてこられて尻を見られていると嫌がるものである。それを「光栄」と言わせているところが面白いれど、無理にそう茶化さないでもいいかもしれない。
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