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冬木立果敢なき葛の寒さかな 夏目漱石の俳句をどう読むか92

冬木立寺に蛇骨を伝へけり

 これは実際に言い伝えにちなんで蛇の骨を保存していた寺のことを詠んだ句のようだ。


皇太子殿下行啓記念写真帖

 高浜虚子の『伊予の湯』にもこの寺のことが出てくる。ただし蛇の骨のことは書かれていない。

 子規の評点は「◎」である。しかし他県の人には解らない句ではないか。

 解説も石手寺のことには一切触れていない。これでは何のことかわからないだろう。私も最初是は漱石がどこかから蛇の骨を拾ってきて寺持って行ったのかと勘違いした。

 漱石はあと百年は残る。

 岩波書店さん、もう少し丁寧にやろう。

碧潭に木の葉の沈む寒哉

 漱石も漱石で丁寧に詠もう。「寒哉」じゃなくて「寒さ哉」でいいんじゃないかなここは。

 この句はこの葉が浮くんじゃなくて沈むところが味噌で、水の温度による膨張率と体積の変化、木の葉の浮力の計算に於いて寒さというものを科学的に表現しようと……していないか。

 石が浮かんで木の葉の沈む、石が流れて木の葉の沈む價値の転倒が企てられて……いないか。いや、こちらは少しはあるかもしれない。

 これ今今木の葉が沈んだという句ではなくて、沈んでいたと読むと寒々しいね。伝へけりという感じがする。

岩にたゞ果敢なき蠣の思ひ哉

 この「果敢なき」はどういう意味だろう。

蛸つぼや果敢なき夢を夏の月     露伴

 はかない、でいいのか。とすればこれは岩に張り付いていた牡蠣があっさりと剥がされるという句か。真牡蠣の旬は冬、岩ガキの旬は夏。これはニンゲンに喰われる真牡蠣の無念さ、哀れさが詠まれた句だ。

 これは今まさに目の前で牡蠣が岩から剥がされるのを見ているような句になっているので漱石eyesは松山の海中に没して海女の褌姿を凝視しているということになる。いやさすがに海女さんも冬の海には潜らないか。

炭竈に這ひ上がる枯れながら

 ここに現れる葛の死は虚無だ。この句は不合理なものを信じて幻滅する三島由紀夫の定石のように、裏から梯子をかけ絶対者に迫らんとして、わが命を投げ打った葛に対する鎮魂歌のような句である。

 というかまあ、そりゃ枯れるだろうに枯れながらも何かにサバりつかずにはいられないつる科の植物の性が現れたような凄惨な句だ。

 え、「クズ」はマメ科で、「カズラ」がつる科?

 まあマメ科でもつる性の多年草だから枯れたっていいじゃない。食べるのは根だし。つる枯れてはかなきこともなかりけりだ。

 人間もこんなふうに生きるしかないんだな。枯れると知りながら伸びるだけ伸びようとして。それが結局全部無駄なことだとしても、やり続けるしかない。人間もマメ科でつる性の多年草だから。


島津久光公イケメン

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