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映画「赦し」

予告の松浦りょうさんが気になって行って、やっぱり松浦さんがすごかったです。

まず「許す」と「赦す」の違いがわからんので調べたら、両方「ある行動をゆるすこと」なのだけど許すは未来、赦すは過去への行動をゆるすことなのだそう。時間のベクトルが真逆でござんした。しらんかった。

日常的にふれる「ゆるす」という価値観だけども、じぶんもまあ使いはする。
だけど、そこを一旦わきにおいてこの頃つくづく思うのは「ゆるす」の側にも立ちたくないし、「ゆるされる」の側にも立ちたくないってこと。
ちゅーか、「ゆるす/ゆるさない」の磁場がつよいところには極力近づきたくない。
そこにかっこいい理由なぞなく、「すげえ疲れるしつまんない」ということに尽きます。

法律のみならず、「ゆるす/ゆるさない」のガイドラインが社会に、あるいは個々人にあるわけだけど、そのガイドラインをガッチリ信じ切っている人に「いや・・・あんたそう言うけどさ、このガイドラインってそもそもどうなん?今のわたしたちにそれ、ホントに要る?」とか言ってみてもたいていは、さらに頭おかしいヤツだと思われドツボにはまるだけで、「ああ、たしかに要らんなあ!」みたいな話にはならないっちゅーのを死ぬほど経験しているので、そういうときはグッと感情をゼロにして、一瞬気を失うようにしながらその場を逃れるぐらいが関の山です。ひじょうにかなしい。

まあ、とはいえ私もそんなふうにだれかの気を失わせながら日々生きているのだろうなと思うと、「あたしらはゆるすとかゆるさんとかいうことに振り回されながら、振り回しながら・・・で、それを必死にやりとげたところで一体それがなんだっちゅーのよ・・・?」な気持ちになります。

まあ、そういう映画でした。

〜 おまけ 〜
せんじつ娘(4さい)が、トイレのくらやみを怖がり「悪者がいるかも」と言い出したのでちょっとした好奇心から「そうねえ、悪者かあ・・・じゃあさ、娘ちゃんは悪者?」と聞くと「ううん」。
私「じゃ、いいもの?」
娘「ううん。・・・にんげん」
という答えがかえってきて、お母ちゃんシビれましたわ。

https://yurushi-movie.com/?fbclid=IwAR3kDCWHjevNpfGhGeaQFt_Cmw2GCRkF-iccTMhNYMqb037di7WM3y-_mRk

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