もみもみ記  その1 「カミングアウト」

からだをほぐしていると思わぬカミングアウトをされたり、ふだんのその人からは出てこない感情がぽろっと出てきたりする。ふしぎだ。
もみもみ以前から、
スーパーの前にすわってたおばちゃんから戦争体験を聞いたり(高校の昼休みにアイスを食べていたら話しかけられて、そのまま授業をサボって話を聞き続けた気がする)、
「誰にもまだ言ったことがないのだけど」と、私の経験値からはおよそ想像がつかないような壮絶な体験を聞いたり、
さまざまなことがあったけど「その場でそれを聞き届けられたのは自分の実力!」とは思っていない。
受精卵ができるとき、大量の精子くんがおよいで、1匹(ときには複数)たどりつくわけだけど、「たどり着いた精子こそが最強で優秀な精子なのだ!」とは思わない。その日の親のふとした仕草、バナナを何回噛んで飲み込んだかとか、トイレに行くとき何歩あるいたとかアクビしたとか・・・という当日の行いのみならず、親がそれまで生きてきたすべての時間が、たどりついた精子の境遇を左右して、たまたまそうなっただけ。境遇がすこしでも揺れればいくらでも他の精子がたどり着き得た。そんな風に思う。
ひとり一人のカミングアウトに立ち会うたび、そういう、たまたまたどりついた精子くんみたいな気持ちになる。あるいは、たまたま訪れた精子くんを抱き込んだ卵子ちゃんでもいいのだけど。
カミングアウトする人は、悩みを抱えているのがつらかったり、さまざまなんだろうけど、じつはカミングアウトされているとき、私が救われている。
そんな具合で、カミングアウトの場にいられたのは本当〜にたまたまとしか言いようがないんだけど、それでも相手がわたしに話してくれる気になってくれたということが、たとえようもなくうれしい(以前カブトムシに腰振られたときと同様の気持ちです)。わたしがカミングアウトする側のときも、いろいろな巡り合わせで目の前の相手に話をするわけだけど、その人がそこに居てくれることがとってもうれしくって、ありがたくて、あ〜生きててよかったなあといつも思う。
そういう、カミングアウトを愛するきもちと、もみもみで見えてくる景色というか現象は、通底しているような気がする。べつにカミングアウトをねらってもみもみするわけじゃないんだけどね。
そのあたりにもあ〜んと得体の知れないおもしろさが漂っていてわくわくしてます。

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