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生きることをやめるのは、難しくて簡単だ

誰にも共有できなくて、でもどうにも一人では消化できないことがある。

どうしようかなと思っていたのだけれど、noteがあったことを思い出したので書いてみる。着地する話ではないと思うけど、書いてみる。

「知っている人の死」と向き合う

「さわちゃんの同級生が亡くなったらしいよ」と、母から言われた。我が家でお茶をいれて、大好きなかるかん饅頭をいただいて、さあ帰ろうかと玄関まで見送ったときだった。


考えたらおもむろすぎるな、まあ、あらたまって言われても困るけど。


誰?なんで?と聞くと、小中学校の同級生で、家は近所だけどほぼかかわりのなかった男子。自死を選んだとのこと。


もちろん母もかかわりのない子だったので、何で知っているのかと聞くと、同じく同級生の親経由で聞いたのだそう。情報源である方の同級生も男子だけど、親同士の付き合いもあり30歳をこえた今でも付き合いがあり、時折犬の散歩などで母が不在の我が家にも立ちよってくれるような間柄だ。


そのおばちゃんは情報通。曖昧な情報も多いけど。


そのおばちゃん→母経由の話なので、全く定かではないけどおばちゃんの話を整理すると


・まあ、ほぼ刑務所に入ってたけどね~

・独身のままだったし

・親が悪い。離婚して新しい若い男ができたけど男に逃げられたら住んでいた家の家賃も払えなくなって~・・・云々(母もちゃんと聞いてないので全く定かではない)


ということらしい。全然わからん。


分かっているのは、もうその子は私がいるこの世界にいないということ。そして、その選択を自らしたということ。


特に2つめの事項が、とてもショックなんだな。書いていて気づいた、ありがとうnote


自分で死を選ぶのってどんな気持ちなんだろう

どれほどまでに、未来に絶望してしまったんだろう

彼の苦しみを聞いてあげる人もいなければ、もしかしたら伝える手段も持っていなかったのかもしれない。


全てが想像でしかないけれど、そういったことを考えると本当に胸が苦しくなる。


繰り返すが、彼は私とはほぼかかわりがなかった。向こうは覚えてもいないだろう。


私は平々凡々な学生で、むしろ地味なほう。彼は荒れていて、小学校の頃から問題児だった。座っていられない、というレベルではなく教室にいないことの方が多かった。1円玉くらいの大きさの穴が耳にあいていたし、制服をちゃんと着ているところは見たことがない。


というわけで、彼が怖かったのでほぼ喋ることはなかった。ついでにいうと、彼のお姉ちゃんが私の姉と同級生だったのだけど、彼女もめっちゃ怖かった。なんだか人を寄せ付けないような感じがあった。


大人になって子どもを持った今でこそ、そういう子どもと出会ったらどういう風に関わればいいのか…と考えたりもするが、当時はもちろんそんな余裕もなかった。怖い道に引きずり込まれそうなところもあって、とにかく怖い存在だった。おびえていたというよりは、避けていた・近寄らない方が良い人だっていう表現の方が近いけど。


でもいじめをするとかそういう人ではなかった…と思う。それすら知らない。いたずらっぽい笑顔は覚えている。


そんな彼はもう、いない。


お葬式とか、したのかな。分からないし、聞いてまわるつもりもないけど。

ただ、よく知らないから分かるわけもない、想像もできない彼の人生が、彼の手によって終了してしまったことが悲しい。


私だって引くほどお金ないけど、毎日楽しいよ。


たぶん、しんどいことの方が多いし、理不尽なことのほうが多いし、お金はちょっとずつしか入ってこないし、入ってきても貯まらないし、親は年をとるごとにめんどくさくなるし、旦那はいても喧嘩は多いし心から腹が立つし、子育てだって不安だらけで先は見えないし子どもを生かしておくだけで精一杯だけど


でも毎日楽しいよ。



無宗教だけど、輪廻転生というものがあればいいのに、と思う。


彼に次の人生が与えられるのであれば

きれいなもの、おいしいもの、楽しいこと、むかつくこと、嫌なこと、もっと全力で楽しめるような、人生であってほしいと願う。


安物でもおいしいと感じる特別なものを買ったり、いつもと違うコーヒーのいれかたをしてみたり、録画したお笑い番組をちょこちょこ見て笑ったり、あったかい湯船につかってほっとしたり、2年前の写真を振りかえってあっというまだねえって言ったり。


そんな、特別でもないなんでもないしょーもないことが楽しめる、普通の人生を。


ご冥福をお祈りします

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