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好きすぎる『砂の上にも花は咲く』

好きすぎて書かずにはいられなかった感想です。
長いです。ネタバレもしています。
それでも興味あれば読んでください。
そしてドラマを見てくだされば、とてもうれしいです。

『砂の上にも花は咲く』(韓国・ENA NETFLIX配信)
2023年12月から全12話で放送。
主演:チャン・ドンユン、イ・ジュミョン

何気なく見始めたら完全にハマってしまったドラマ。
毎週配信を楽しみに待ち、最終回を迎えても余韻は続いていて、
好きなシーンをくり返し見返している。
舞台は、シルム(韓国相撲)が盛んな海の沿いの小さな町。
物語では釜山を代表とする慶尚南道の方言が使われている。

主人公のキム・ベクトゥは父、兄2人がシルムの壮士(チャンピオン)という一家の末っ子で、かつては神童と呼ばれながらも、大人になってからは優勝とは遠ざかり、郡のシルム団に所属しながらも冴えない毎日を送っている。素朴でお人よしな性格で誰からも愛されるキャラだが、幼い頃の幼馴染との悲しい別れによる傷を心に秘めている。

いわゆるスター級の俳優は出ておらず、都会や富裕層のきらびやかなシーンや、派手なアクションもない。
田舎の町を舞台にしたドラマには『海街チャチャチャ』『私たちのブルース』『椿の花咲く頃』『サムダルリへようこそ』『田舎街ダイアリーズ』等、結構ある。それらの物語は、都会との対比があったり、小さなコミュニティでの温かな交流や人情を取り上げることが多いが、このドラマはそのどちらともちょっと違う。

町の人々はベクトゥを自分の息子や弟のように可愛がり応援しているが、同時に無責任な噂も流す。そんな町を舞台に、過去の八百長と殺人事件、家族、恋、友情、ライバル、スポーツの要素が詰め込まれ、最終的には主人公の成長物語となっている。
こう書くとかなりおなかいっぱいになりそうなのだけれど、これらの要素ひとつひとつがくどくなく、バランスよくちりばめられ、ストーリーのなかに流れていく。スター級の俳優は出ていないぶん、しっかりと実力派の俳優が脇を固めてることと、セリフで説明しすぎていないことでスッと物語の世界に入っていくことができる。
ベクトゥはちょっとおバカで自分の心情を言語化するのが苦手だ。結論もすぐに出ない。だからこそ、最初に心や皮膚感覚で生じた“気持ち”について、単純ながら考えた末に出てきた言葉が響く。

そんなベクトゥが大きく感情を爆発させるシーンがep.9にある。市場での噂話に対し「否定してもみんなは信じない。好きなように信じる。理不尽に責められた人は心に傷を負う。やめてください」と訴える。
過去、人々の噂によって幼馴染の一家が町を去らねばならなかったこと、そして、幼い自分は何もできなかったという後悔の叫びだ。

無責任な噂話は人を傷つける。
これは田舎町だけの話ではないだろう。
彼の言葉に町のひとたちは反省しただろうか? ラストで示される犯人の家族の不在は、ひとつの答えだと思う。
ただ、ベクトゥの両親やビリヤード場のピルトゥおじさんを通し「そのときはそれが正しいと思ったけれど、違ったかもしれない」「子どもの傷に向き合えなかったこと」「忘れてしまう自分の薄情さ」など、大人の後悔も描かれている。
冒頭で死んでしまった八百長の元締めである人物も後悔を背負っていた。

主人公以外の人物も魅力的で、とくに惹かれたのはベクトゥの幼馴染のひとり、クァク・ジンス。
彼もシルムの競技者で、幼い頃にベクトゥに勝てなかったことから他の町の団体に移り、何度も壮士になり引退したばかりの人物。かつてのライバルのふがいなさに苛立ちを感じている。無関心を装いながらも、こっそり試合を見に行ったり、コーチになってアドバイスもするときも強い口調であったり、言いかけてはやめたりと、彼もまた言葉足らずだ。

主演のチャン・ドンユンは、ベクトゥを演じるにあたり14㎏増量したらしいが、ジンスを演じるイ・ジェジュンも15~17㎏も増量したそう。
がっしりした横幅に加え身長も高い。少し長い髪に眉間に力が入ったしかめっ面。外見も魅力的で、すっかり“ジンス”にはまってしまった。
撮影が終了し、イ・ジェジュンは体重をもとに戻すのに苦労しているらしいが、できればそのままで…と少し思っている。

恋愛にも不器用だけれどまっすぐなジンス。ぶっきらぼうでいつも怒ったような顔をしているからこそ、ときどき見せる笑顔の破壊力がすごい。物語後半のミランを見つめるやさしいまなざしにはキュンキュンしてしまった。
ジンスとミランのふたりのエピソードでもうひとつ好きなのが、ミランが「COFFEE」の綴りを直していると、ジンスが「Eはひとつだろ?」と言うシーン。そのときはジンスもベクトゥに負けず勉強はダメなのかしら? としか思わなかったが、彼女と父親のエピソードから、ふたりの未来を淡く予感させるものであったと、あとから気がついた。

ep.5では、ジンス母がベクトゥに「昔みたいにジンスと仲良くしてほしい」と言うシーンがある。はっきりと語られているわけではないが、彼女はシングルマザーで食堂を切り盛りしながらひとりでジンスを育ててきたのではないかと想像する。そして、大人になるにつれ世間からの目や言葉を受け、強さを願い壮士となったジンスの歩んできた道程も想像する。
父親がいないことでの、ジンスへの後ろめたさ、不憫さがにじんだような、ジンス母の言葉に対し、ベクトゥは「ジンスとはずっと仲がよい。昔から親友だ」と言い安心させる。
ジンスが町を出て疎遠になり、とげのある口調でしか会話をしていなくても、その言葉はベクトゥの本当の気持ちだろう。好きなシーンのひとつだ。

ベクトゥの家族もまた愛さずにはいられない人たちだ。
シルム界の伝説と呼ばれる無口な父。口調はきつくはっきりとした性格の母。おおらかでどこかとぼけた味のあるふたりの兄。
共通しているのは、あきれ、ふがいなさを感じながらもにじみ出てしまう、末っ子ベクトゥへの愛情だ。
ep.8でベクトゥが入賞した賞金で兄ふたりにアイスをおごり、店のベンチに3人で座っているのも好きなシーン。大きな体の3人がアイスを持ち座っているだけで、なんとも言えない可愛らしさがある。

しかし、この兄たちは現実的に考えると「何で生計を立てているのかわからない」人たちだ。ベクトゥが32歳という設定なので、どう考えても30代後半か40代であろうが、ふたりとも実家暮らし。かつて壮士になった立派な経歴がありながら、家業の漢方薬のお店を手伝っている様子くらいしか働いているシーンが出てこない。
次兄はユーチューバーらしいが儲けが出ているようには見えない。富にしろ、学歴にしろ、日本よりも厳しい韓国の格差社会は、ドラマでよく描かれるが、この町の人たちは、豊かでないにしても、そういうことをまったく気にしていない感じがある。ミランのカフェも然り。ほとんどいつも客がいない。
ちなみに長兄は人間の心理について鋭く、次兄に動画配信の極意や恋愛についてレクチャーするのがおもしろい。

父、母にもそれぞれ名シーンがあり、最終回の試合のシーンで息子の雄姿を見つめる父の姿はとても印象的だ。言葉に感情を乗せてこそ役者の醍醐味だとも思うが、演じるチェ・ムソンはそのしょぼしょぼした目と佇まいだけで、父の子への想いを伝える。母が子を想うシーンはいくつもあるのだが、ベクトゥの警察での取り調べ騒動や市場での噂話騒動のあと、閉店後の薄暗いジンス食堂でジンス母と飲むシーンはどちらも心に残る。

こうやって好きなシーンを挙げていくと本当にキリがない。
大きくエモーションの波を起こすのではなく、ぽとんと一滴落ちた雫がつくる波紋のようなエピソードの数々。静かに広がり、そして心をうるおしていく。

このドラマにはサスペンスや恋愛などいろいろな要素があるが、大きくは主人公ベクトゥの成長の物語だ。
昔に失ってしまった幼馴染が戻ってくることで動き出すベクトゥの時間。
彼女の存在がモチベーションとなり、自分がシルムを好きなことを自覚し才能を取り戻していくが、最終的には自分ひとりの力で目指していた場所に立つ。タイトルのように、土俵の砂の上に遅咲きの大きな花を咲かせる。

同じ場所にいなくてもそれぞれの夢を応援するという形を選ぶことも、2024年らしい結び方だと思う。

各エピソードは子ども時代の情景から始まる(この子役たちもみなすばらしい)のだが、子ども時代と今が鮮やかにつながっていくのがep.10だ。
全12話でいちばん好きだ。
幼馴染のひとりで警官になったソッキの軽率な言葉がバラバラだった幼馴染5人をつなぐ。去っていった者たちの帰還。そこには、やっと本来の自分に、自分の居場所に戻れた者の安堵もあるだろう。
遠くから5人+1名を映す、ラストシーンのわちゃわちゃはなんともいえない幸福感のある構図だ。
最終回の始まりと終わりも同様だ。大好き友だちといる幼い幸福な時間が、今へつながり、未来へと走っていく。
いろいろなシーンの主人公の背中を映していき、紙吹雪のなかで勝利をかみしめるたくましい背中で終わるエンディングは、主人公の成長の軌跡そのもので、とても美しい。

近年の韓国ドラマの進化には本当に目を見張り、セットにかなりお金をかけていたり、細部へのこだわりを感じるが、このドラマは色と光の設計がとてもすばらしい。
海辺の町が舞台ということもあるが、全体にはブルーが基調になっている。
空と海がつながり、ブルーの屋根が並ぶ。ミランのカフェの色も明るいブルーで、シルムの練習場や運動場のネットの青緑の色が加わる。
悲しみやせつなさ、弱さ、未熟さ、そして青春の心もとなさ、甘酸っぱさなど、ブルーという色の持つイメージが、登場人物に重なる。
明け方や夕から夜に変わる前の青っぽい光も同様の効果となっている。
ビリヤード場のピルトゥおじさんとベクトゥ父とお酒を酌み交わすシーンは、暮れゆく青い光の中に後悔を抱えたふたりの心情が溶け込んでいるように感じる。

さらに細かい部分では「イカ」。海辺に町らしく、ところどころに干したイカが出てくるのだが、青っぽい色彩のなかにほんのりピンクのイカが美しいアクセントになっているのも見逃せない。
●CAR,THE GARDENのOST『Peaces of Clouds』のビジュアルも夜に変わっていくブルーの色彩とイカです。


また、衣装もとてもよい。
韓国ドラマにありがちなタイアップ優先の衣装ではなく、ちゃんと人物の性格に合った服になっていると思う。
だいたいTシャツかジャージ、短パンのベクトゥ。2人の兄もずっとTシャツに短パンだ。もうひとりの主人公オ・ドゥシクのニットにコットンパンツといったシンプルなファッションも彼女の性格と職業に合っている。ミランのフェミニンなスタイルや、ジンスのシャツやポロシャツ姿(いつも少しシワっぽい)、ジンス母の柄のトップスに柄のエプロンも、キャラクターの輪郭を際立たせている。

ポスター等のデザインワークは『pygmalion』というデザインチームが担当しており、Lee Seungheeという女性フォトグラファーが撮影している。
シルムのサッパという布を巻いた主人公のポスターはとってもかっこいい。彼女は他にもいろいろな韓国ドラマのポスターの撮影を手掛けており、ずっとインスタをフォローして注目していたので、自分が好きなこの作品も彼女の手によるものだと知ってとてもうれしい。
韓国ドラマやK-POPがグローバルに展開することで韓国のデザインもどんどん進化し、よい相乗効果が生まれているのだと想像できる。
ちなみに『pygmalion』以外にもセンスあるデザインチームはいくつかあって、『Sputnik』というデザインチームのつくるものもかっこよくて注目している。

最後にこの地味な作品を世に出してくれた放送局「ENA」と「Netflix」に心より感謝したい。

ENAは最近だと『ウ・ヨンウ弁護士は天才肌』や、2023年のわたしのベストドラマである『誘拐の日』を手掛けており、今後の作品もとても楽しみだ。そしてNetflix。常にヒットを求められるであろうに、この一見地味(しつこい)な作品を配信したことはとてもすばらしいし、感謝しかない。
放映中のSNSのTLでは一部の人しか話題になっていなかったように思うし、視聴率も3%にもいかなかったらしい。

でも、配信でしばらくは残るので、今からでもひとりでも多くの人に見てほしいと願う。
そして、この物語の世界を愛するひとが増えてほしい。

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