日曜日の夜の「オリガミ」

先日、亡くなった女性のエッセイを読んで「東京」の街を想った。
そして、午後になってもそのことを考えている。
いろいろな想いや言葉が浮かんできては消えて、また浮かんでくるので、
その断片を集めて、瓶に入れるように、文章を書いておこうと思う。
2016年・11月 土曜日。真っ白な曇り空の夕方。

今、わたしが想い出すのは、
東京に住んでいた日曜日の夜のこと。

わたしは東京の街に住んでいたけれど、
決して地に足のついた暮らしはしていなかった。

仕事して、寝る場所としての東京。

ときどき誰かとごはんを食べたり、お酒を飲んだり、
歌を歌ったり、映画や美術館に行ったり、カフェで本を読んだり、
公園でぼけっとしたり、いろいろなことをしたけれど、
住んでいる地域のコミュニティに溶け込むことも、
家にいる時間を充実したものにしようともしなかった。

インテリアや住宅についての仕事をしていたし、
食器を集めたり、料理をつくることも大好きだけれど、
単にそれらの「物」たちを愛している感じで、
暮らしそのものに愛着があるわけではなかった。

それは今でもそうで、寝るためのふとんかベッド、
仕事と食事のできるテーブル、
それに音楽を聴ける環境さえあれば、十分だと思っている。
できればお風呂は欲しいけれど。
暮らしを豊かにする、そういうことにはまったく興味がない。

住んでいたのは東京のど真ん中。
皇居の近く。

仕事などで名刺を渡すと
「ここって、住める家があるんですか?」とよく聞かれた。
大使館がいくつかあり、オフィスが多い地域だけれど、
もともとお屋敷町で、古くから住んでいるひともいたし、
単身者が暮らすようなマンションもいくつかあった。
夜はとても静かで、落ち着いた大人の顔を持っていた。

当時、毎日がとてもハードで、
仕事している場所に近いという理由だけでマンションを選んだ。
日用品を買えるようなスーパーマーケットなどはないが、
仕事して寝るだけの場所としては、とても居心地のよい場所だった。

東京で暮らしていた20年近い日々の中で、
気まぐれと楽しみのために料理することはあっても、
お弁当を買って帰る以外で、
家で夕食を食べることは、ほとんどなかった。
仕事仲間と、仕事の途中にどこかに食べに行ったり、
仕事をしていた編集部で出前をとってもらったり、
帰りにどこかのお店で食べてきたり。

幸いなことに、住んでいたマンションから徒歩1分以内に
コーヒーショップが2軒、
そしておいしくて、アットホームな雰囲気の中華屋さんがあったので、
ここを自分の家の食堂のようによく利用していた。

ただ、オフィス街ということもあり、
土曜日、日曜日、そして祝日はお休みというお店が多かった。
土曜日はかろうじてやっているお店があったが、
日曜日は近所のお店は軒並み休みで、少し足を伸ばすしかなかった。

日曜日の夜は、せつなくさびしい。
理由もなく、「わぁ〜〜〜〜〜〜」と叫びたいような気持ちになり、
「ひとりでいたくない」けれど、
「誰かともいたくない」という、わからない感情に襲われる。
だからというわけでもないが、友人に会ったり、
隣のひとと会話して盛り上がるような店ではなく、
ただ、ひとを感じられる場所に行きたくなった。

服のポケットにおサイフとiPod、
そして手に読みかけの本だけを持って家を出る。

向かうのは神保町か市ヶ谷か赤坂見附。

神保町は仕事をしている街でもあるので、
実はあんまり休日には行きたくない。
本屋の多い街なので、買いたい本があれば別だけれど。
ただ、長い年月をこの街で過ごしているので、
やっぱり肌になじむというか落ち着く。
いつもは仕事関係の顔見知りに必ず会う
中華屋さんやエスニック系のお店も、
さすがに日曜日の夜に誰かに会うことはなく、
本を読みながら、ビールを飲み、なにかを食べて帰る。

市ヶ谷は神保町よりも近所なのだけれど、あまりお店がない。
大抵、駅前の本屋に併設したカフェや、
ファストフードのお店やファミレスで、
やっぱり本を読みながら食事をし、音楽を聴きながら散歩して帰った。

そして赤坂見附。行く場所は決まっていて、
東急プラザの地下にあった「オリガミ」。
「オリガミ」は、老舗ホテルのザ・キャピトルホテル東急に
昔からあるラウンジで、パイコー麺が有名だ。
わたしが、そこによく行っていた時期、
ちょうどホテルが改装となり、
その期間中だけ東急プラザの地下に場所を移し営業をしていた。

ホテルのラウンジというとハイセンスで、高級なイメージだけれど、
そこは古きよきレストランの趣きで、
メニューには、コース料理もあったけれど、ピラフ、スパゲッティ、カレーライス、そして名物のパーコー麺と、親しみやすいものが並んでいた。
内装も、その地下のお店は期間限定の仮住まいということもあり、
「高級感のあるファミレス」というような感じだった。

けれども、さすが老舗ホテルのラウンジだけあり、
サービスをするのは一流のホテルマンたち。
キレイに整えらえた髪と清潔な肌。
姿勢の良い黒のスーツ姿。
そして、彼らの距離感が絶妙なのだ。
慣れ慣れしいわけではないけれど、
親しみを感じさせる対応。
何度か通ううちに顔を覚えてくれて、好みを覚えてくれて、
「今日はプリン、召し上がりますか?」なんて声をかけてくれる。

自分が何者でどこに住んでいるかなどは一切話したことはない。
彼らも聞かない。
名前はクレジットカードで支払うときに、
確認していたかもしれないけれど。
「今日は暑かったですね」とか、
「ずいぶん銀杏も紅葉してきましたね」、
「髪を切られたのですね。お似合いですね」
そんな会話が、わたしにとってはとても心地良かった。

お客さんも古くから「オリガミ」を愛用しているひとたちがほとんど。
年齢層は高め。改装前から何十年も通っているであろう老夫婦や、
何かの記念日などには、
いつも家族や親戚で集まっているというようなひとたちも多かった。

そこに流れる空気は、とても温かで穏やかなものだった。
それはよいサービスをするひとと、
よい客層によって作られているものだったと思う。

もちろんお料理はおいしいけれど、
それは「うまっ! これなに」としびれるような、
官能的な美味しさとは違う。
正しいピラフやカレーライスの味という感じ。
場所は地下で窓もなく、内装は高級なファミレスだったし。

だけど、大げさに言ってしまえば、
そこは「愛」と「幸福」しかないような場所だった。

お互いをいたわり、信頼で結ばれた老夫婦、
きれいな服を着飾り、楽しそうにおしゃべりをする家族たち。
誰もがお金の心配はなく、幸福そうに見えた。
もしかしたら、内情は違ったかもしれないけれど、
表面上はそう見えたし、彼らはこの空間では、
「幸福でありたい」と過ごしていたように思う。

不安や怒り妬みなどの感情を、誰もがここには持ち込まない。
「幸せな時間を提供します」「幸せな時間を過ごしましょう」と、
サービスするひとと客の暗黙のルールが、
空間を作り上げていたように思う。

わたしもそう。
お金もそんなにたくさんあるわけではないし、
自分が幸福かどうかもわからないけれど、
日曜日の夜を、それがたとえ他人のものでも、温かな毛布にくるまれて、
心も体も弛緩させて、ゆっくり過ごしたかった。
いや、他人のものだからよかったのかもしれない。
自分のにおいが染みついたような毛布には、
そのときはくるまりたくはなかった。
自分勝手な言い分だけれど、
気持ちが下がっているときに、
不機嫌な店員、喧嘩している家族、口汚い悪口の会話などが、
あふれている店には行きたくない。
自分がもっと汚れて、みじめになっていくように感じてしまうから。
幸福に満ちた場所へ。
明るく、清潔で、やさしい笑顔と穏やかな会話のある場所へと足が向かう。

大きな穴が、美味しくて温かな料理、
距離感のある上質なサービス、
そして幸せそうなひとたちを眺めることで、埋まっていく。
完全に埋まるわけでなく、小さな穴は空いたままだけれど、
そこに吹き込む、冷たい風が気持ちよく感じる。
これがわたしにとっての幸せなのだと思える。

完璧なものなどは欲しくない。
少しいびつな幸せ。
甘いだけのお菓子ではなく、
そこに苦味やすっぱさのある複雑な味。
痛みをともなった快感。
いびつだと思うけれど、それが欲しい。
それを感じたい。

幸せはとても欲しいけれど、
どっぷりと浸かってしまうのは、
怖いようなつまらないような気がする。
少し距離をとって眺めて、さびしさも愛していきたい。
とても贅沢な感情だなと思う。

東京の街を思うとき、
日曜日の夜を想い出す。

せつなさ、さびしさを抱えながら、歩く青山通り。
でも、帰りは少しだけ温かな気持ちになっている。
せつなさ、さびしさが、どこにあるのかをわざわざ探し出して触り、
「あ、やっぱり痛いや」なんてへらっと笑ってしまう。

帰り道は日枝神社の裏から、国会のほうを抜ける。
誰もいない道を音楽を聴きながら、口ずさみながら歩く。
ゆるやかな坂道を隼町から麹町へ。

ときどき、警備中の警官に呼び止められ、職質されたりもする。
「どちらに行かれますか?」
「家に帰ります」と答えて、また歩く。
新宿通りを渡れば、もう家も近い。

数年はかかったけれど、
もうずいぶん前にザ・キャピトルホテル東急の改装も終わり、
「オリガミ」も、ホテルマンたちもその中に戻った。
新しい「オリガミ」はとても洗練された空間になり、
名物のパーコー麺はそのままだったけれど、
メニューもかなり変わってしまった。
ホテルマンたちは変わることなく、和やかに挨拶をしてくれたけれど、
その高すぎる天井、広すぎる空間に「なんか違うかな」と感じ、
2、3回行ったあとは、足が遠のいてしまった。
もう何年も行っていない。

東京の街にはいろいろな顔があり、
いろいろな場所がある。
求める場所はひとそれぞれ違うだろう。

でも、どんなときも、街に出さえすれば、
なんとかその時間をやり過ごして、
夜を越え、朝を迎えることができる。

何度もの日曜日の夜を、
あの街のあのお店で過ごせたことで、
自分は救われていたのだと思う。

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