花粉症とかいう公害

社会現象になるレベルで苦しんでいる人間が多く、その分社会システム全体のパフォーマンスが下がっているのは確実だろうにも関わらず、肝心の症状そのものへの理解が進んでいない気がするのは何故なのか。

気象病・天気痛もそうだ。苦しんでいる人間の割に社会全体でのカバーができていないように思う。「雨の日だからつらい」という人がかなりの数いることは事実としてあるのに、その事実はまるで都市伝説か何かのような空気で蔓延している。

「発症してる側でカバーしろ」というのは前提の話で、「自らカバーしてる」という事実そのものが無いことのようにされている気がしているのだ。
「発症者自らカバーしている」中苦しんでいる者にさらに「自分でカバーしろ」はただの追い打ちでしかない。薬を飲んでもつらいものはつらいし、飲み過ぎれば眠くなったりと副作用がある。自分一人じゃ限度がある。

全体がもっと柔らかくあるべきだ。カバーしてメリットがあるならする、なさそうなら捨てるか拾うかの判断をする。きっとここの判断が鈍くなってしまっているために苦しむフェーズが長引いているような気がする。憶測でしかないが。
花粉気圧は「メリットあるだろうけどダルそう」辺りに思われてるのだろうか。メリットの部分をきちんと研究して公表すればあるいは…という雰囲気に見える。

何をするにしても全てのステータスは人によって全く違うし、人々は大抵何かしらの状態異常を抱えながら日々を生きている。当たり前なんてのはエゴの押し付けで誰にでもできる事なんてない。分かりがいい世の中では無いけれどこれだけはきちんと主張しておきたかった。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?