考え事のコツ

バス停のベンチで鳩に餌やりしている中年女性を見かけた。真っ先に感じたのは野生動物への餌付けのリスクを理解していない事への不快感だったがすぐに収まり、次に感じたのは呆れと好奇心。どうしてこんな事するんだろうと理解不能な未知に対して恐怖と同時に疑問を抱いた。その後は分かるわけもない理由をこじつけで妄想する。社会に上手く馴染めず人との関わりが無くなり、暖かさに飢えるもペットを飼う余裕もなく、特に趣味といった趣味もろくに無い人生。今は鳩に餌をやっている時間が生きがい…だったりするのかもしれないなどと勝手にバックボーンを組み上げて自分の中に湧いて出た生産性のない疑問を適当に飲み下す。

この一連の思考は誰しも日常的にやっているものだと思っていたが、どうやらそうでもないと最近気づいた。事象への感想はあれどそこからバックボーンまで繋げるような人はなかなかどうして稀らしい。さりとてそこに際立った優位性など無いし寧ろ頭の中が常に妄想で絡まっているから意味もなく疲れるし。その上思考時間分だけ感情の発露も遅れたり削れたりするためコミュニケーションが少々難しいのも難点。
もちろん優位性が全くないとは言わない。思考を回している時間が長い分言葉は巧みに操れるようになってくるし、何気ない不快感にすら興奮を感じたりできる。現実を基にして思考で作った空間に住んでいるような感覚故にある程度のショックなら緩和もできる。感情が大きく上がることが少なく代わりに下がる事も無くなる。現実は直視せずに一旦都合の良い解釈をでっちあげてから観測しているためにメンタルが安定する。

自戒としても書いておくが、情緒が壊れ始めたらまず現実の解釈を妄想する所から始めると良い。理解できない事象に出会い混乱したなら理解可能な解釈を妄想し意味など無いと飲み下す。するとあれほど気にかかっていた事に対して路傍の草ほどの興味も抱けなくなるはず。自分が自分であろうとしすぎる時に感情は大きく揺れ自分の心を破壊せんとする。意図せず強い負の感情を抱きそうになったならほんの少し引いた客席側から解釈の立場になるのも心を守るのに良いのではないだろうか。


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