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土砂災害に備える巨大な砦―。六甲山系の「砂防ダム」

地質のもろい六甲山系が市街地に近接する神戸・阪神エリアは自然災害と常に背中合わせにあります。これまでの災害を教訓に建造が進められてきたのが「砂防ダム」です。いざというときに力を発揮する巨大な構造物を播州人3号が取り上げます。

場所によっては住宅地のすぐそばにあります。

六甲山の砂防ダム
土石流防ぐ
山の「守護神」

住宅地のすぐそばに設置されている「焼ケ原堰堤」=神戸市東灘区住吉山手9

 この夏、広島市北部で起き、多くの犠牲者を出した豪雨による土砂災害。地形や地質が似ており、過去にたびたび同様の災害が発生してきた六甲山系でも、再発を心配する声は強い。砂防の現場をカメラで追った。
 東西30キロ、南北10キロに広がる六甲山系には652基の砂防ダム(堰堤えんてい)が設置されている。その大半を管理する国土交通省六甲砂防事務所(神戸市東灘区)によると、8月初旬に兵庫県内を縦断した台風11号による大雨で、約270カ所の斜面が崩落。同事務所は、5基の砂防ダムが土石流を防いでいるのを確認した。
 その一つ「十八丁とはっちょう第3堰堤」(同市北区有馬町)は、北側にある芦有ドライブウェイからの土石流を受け止めた。周囲には、道路の一部や高さ2メートルほどもある花こう岩、巨木などが積もっていた。もしこれが下流に流れ落ちていたらと思うと、思わず背筋が凍った。
 同事務所はは「広島市や丹波市のような水害は六甲山でも起きる可能性が高い。崩壊した土砂をせきとめるだけでなく、新たな土地の浸食を防ぐ砂防ダムの役割は大きい」と話した。

(2014年10月23日付朝刊より)
六甲山を覆うのは風化した花こう岩。手で簡単に砕けてしまうほどもろい=神戸市須磨区

砂防ダム建造の背景には、大きな被害をもたらした災害の歴史があります。
80年の節目(2018年)に掲載された社説です。

阪神大水害80年 教訓を改めて胸に刻もう

 神戸や阪神間に甚大な被害をもたらした「阪神大水害」から今年で80年になる。
 1938(昭和13)年のこの時期、降り続いた豪雨が山崩れや河川の氾濫を引き起こし、土石流が家屋をなぎ倒した。
 死者約700人。被災家屋約12万戸。地質のもろい六甲山系に市街地が近接する地理的な事情が、未曽有の大災害につながった最大の要因とされる。
 それ以降、国は砂防ダム建設などの対策に力を入れてきた。それらは大規模災害の防止に一定の成果を挙げている。
 とはいえ、六甲山周辺は依然、危険と隣り合わせの状況にある。全国的に記録的な大雨の被害が相次ぐ中、教訓を改めて胸に刻み、備えたい。
 阪神大水害の体験者は80代以上の高齢になっている。生存者が少なくなるにつれ、記憶の風化が懸念されている。
 「個人の記憶を社会全体の記憶として共有する取り組みが要る」。そう考えた研究者らが行政などと実行委員会を立ち上げ、この春から阪神大水害の体験談や資料を募っている。
 災害を検証し、教訓を次代に引き継ぐためには、意義深い取り組みといえる。
 事務局の国土交通省六甲砂防事務所には、70件を超える情報や写真、手紙などが寄せられている。地元だけでなく岡山や東京などからも反響があった。
 今でも「自分の体験を聞いてほしい」という切実な声がある。災害がもたらす心の傷は深い。若い世代が80年前の体験と被災者の思いに触れれば、過去の災害を「わがこと」として捉え直す契機にもなるだろう。
 資料には映像や画像などのデータもある。誰もが研究や防災学習などに活用できるよう整理し、公開することが重要だ。
 昨年のこの時期には、九州北部豪雨で40人が亡くなり、土砂や流木が民家や農地を押し流した。気象庁の統計では、1時間当たりの雨量が50ミリを超える激しい雨は、この40年ほどで約1・4倍に増えている。どの地域も警戒を怠れない。
 台風7号が接近している。危険を感じたらどうするか、避難経路などを確認したい。行政は情報を迅速に伝え、住民を守る態勢を整えてほしい。

(2018年7月4日付朝刊より)

あの文豪も水害の様子を記していました。

阪神大水害から5日で80年
被害の記憶継承は…
防災 過去から学ぶ

芦屋川上流に設置された透過型の砂防ダム「鷹尾第二堰堤」。隙間をつくることで雨水を流れやすくし、土石流などが発生すれば岩や流木を食い止めることができる=芦屋市奥山

 〈蘆屋川や高座川の上流の方で山崩れがあったらしく、阪急線路の北側の橋のところに押し流されて来た家や、土砂や、岩石や、樹木が、後から後からと山のように積み重なってしまった〉

 芦屋市を舞台にした谷崎潤一郎の小説「細雪ささめゆき」には、1938(昭和13)年に起きた阪神大水害の様子がつづられる。
 38年7月5日。3日間続いた長雨により、六甲山系の河川が山津波となってまちを襲った。国土交通省六甲砂防事務所などによると、県内の死者・行方不明者は695人。阪神間でも芦屋市で27人、西宮市で6人が命を落とすなどした。
 それ以降、治水が本格化した。川幅や川床の工事が施され、橋を改修。現在は山々に砂防ダムが建設され、芦屋、西宮市で100基以上が置かれる。
 一方、自治体も被害防止のため、事前の情報収集を呼び掛ける。災害危険情報を知らせる芦屋市のメール「あしや防災ネット」の加入者は8千人ほど。同市防災安全課は「日ごろから気象に気を配って、災害時の行動をイメージしてほしい」と話す。
 あの水害から80年。同事務所は阪神大水害の情報を募り、インターネット上で記録する取り組みを始め、関係機関と啓発に力を入れる。過去から学び、備える機運が節目の年に高まっている。

(2018年7月2日付朝刊より)

戦後の1967年にも大量の土砂が神戸の街を襲いました。「昭和42年7月豪雨」です。

昭和42年7月豪雨で神戸では山から大量の土砂と倒木が流出した。宇治川の暗きょの入り口がふさがれると、濁流が商店街の道路にあふれ出て、流木や土砂とともに車も押し流した=1967年7月9日、神戸市生田区(現中央区)の宇治川商店街

六甲山系の街 土砂崩れ、鉄砲水襲う
「昭和42年豪雨」教訓次代へ
県内犠牲98人 被災6万戸

 約半世紀前に兵庫県内で死者・行方不明者98人を出した「昭和42(1967)年7月豪雨」について、インターネット上で当時の写真や体験者の声に触れられるデジタルアーカイブが完成した。昨年完成した阪神大水害(1938年に発生)のデジタル資料に追加する形で、7月から22点が公開されている。九州を中心とする記録的な豪雨など、各地で水害や土砂災害が相次ぐ中、制作した実行委員会は「六甲山系と共に生きる人々の備えの一助になれば」としている。
 国土交通省や兵庫県、神戸・阪神間の自治体、神戸新聞社などでつくる「阪神大水害80年行事実行委員会」が企画した。
 昭和42年7月豪雨は、九州から京阪神にかけての広い範囲に雷を伴う大雨をもたらした。神戸では7月9日、局地的な豪雨の原因となる「線状降水帯」が発生し、最大24時間雨量319・9ミリを観測。住宅街での土砂崩れや中小河川の氾濫が相次いだ。被災家屋は神戸・阪神間を中心に県内で約6万戸に上った。
 災害の記憶や教訓を次世代に継承しようと、実行委が当時の資料などを募ったところ、写真13枚と7人分の体験談、天気図などが寄せられた。
 神戸市中央区の宇治川商店街の写真には、河川の氾濫によって運ばれてきた流木の山が写る。商店街にあった鉄筋コンクリートのビルも倒壊したという。インタビュー動画(約11分)では、同市兵庫区の住宅街で裏山が崩れ、多くの住民が土砂に巻き込まれた状況などが証言されている。阪神大水害を教訓に進められた砂防ダム事業が被害軽減に役立ったことなども解説されている。
 デジタルアーカイブは、国交省近畿地方整備局六甲砂防事務所のホームページから見られる。

〈昭和42年7月豪雨〉 1967年7月8日、九州北部から京阪神の沿岸部を中心に集中豪雨が発生。同月9日にはさらに強い雨となり、2日間の降水量は神戸や長崎・佐世保、広島・呉で300ミリを超えた。背後に山地がある都市部で大雨が降ったため、土砂崩れや鉄砲水が多発した。死者351人、行方不明者18人。住宅被害は全壊約900棟、半壊約1370棟、床上浸水約5万1350棟などに上った。

(2020年7月20日夕刊より)

ふだんの砂防ダムにはほとんど水が流れておらず、高い壁のような堰堤があるだけです。その役割を知らなければ、何のために?と感じる人もいるでしょう。
ただ、ひとたび大雨がふればこんなふうになります。

石流の脅威 すぐそこまで
8月の台風で被害防止
神戸の砂防ダム公開

流れてきた大量の土砂や流木などを食い止めた砂防ダム=神戸市北区有馬町

 六甲山系の砂防ダムを管理する国土交通省六甲砂防事務所(神戸市東灘区)は9日、8月の台風11号による大雨で発生した土石流を食い止めた砂防ダム5カ所のうち、同市北区有馬町の「十八丁とはっちょう第3堰堤えんてい」を報道陣に公開した。
 同堰堤は高さ15メートル、長さ51メートル。同事務所によると、芦有ろゆうドライブウェイの一部崩落を引き起こした約1万7千立方メートルの土石流を食い止めたといい、土砂や流木などでほぼ満杯になっている。
 日本列島に近づきつつある台風19号の影響で再び大雨が懸念されるが、同事務所は「このダムから土砂がすぐに流れ出す危険性はない。たまった土砂で傾斜が緩やかになり、新たな崩落を抑える効果がある」と話した。

(2014年10月10日付朝刊より)

堰堤ぎりぎりまで土砂が流れついています。
災害に単純比較は禁物ですが、こうした対策が一定の効果を上げているとも言えます。

西日本豪雨 六甲山系 土砂崩れなぜ局所的
1時間雨量 分けた被害
阪神大水害47.6ミリ 今回26ミリ
総雨量は匹敵

西日本豪雨で土砂崩れが起きた六甲山系の斜面=神戸市須磨区西須磨

 西日本豪雨では、兵庫県内で初めて大雨特別警報が発令されたが、六甲山系で起きた土砂災害は局所的で犠牲者はいなかった。多数の死者・行方不明者を出した80年前の阪神大水害や51年前の「昭和42年7月豪雨」に匹敵する総雨量を観測したが、当時と何が異なったのか。専門家や関係者は「土砂崩れを引き起こす短時間雨量の少なさが背景にある」と指摘する。
 神戸・阪神間にまたがる六甲山系では今回、神戸市だけで約100件の土砂崩れを確認。同市灘区篠原台では土石流が起きて民家などに被害が出たが、人的被害はほとんどなかった。
 国土交通省六甲砂防事務所によると、今回の総雨量は同市中央区の観測所で438ミリを記録。死者・行方不明者が695人に上った阪神大水害の461・8ミリに匹敵し、県内で98人が犠牲になった昭和42年7月豪雨の371・2ミリよりも多い雨が降ったという。
 土石流や土砂崩れを食い止める砂防ダムと治山ダムは2千基以上あるが、管轄する国や県の担当者は「ダムに大量の土砂はたまっていないようだ」と指摘。その理由について「1時間雨量が少なかったのが被害を抑えた」と口をそろえる。
 土砂災害に詳しい沖村孝・神戸大名誉教授は「1時間雨量が50ミリを超えると土砂崩れの危険性が高まる」と話す。気象庁によると、1時間に50ミリの雨は「滝のように降る」状態。雨は土中に浸透した後、徐々に排出されるが、短時間に猛烈に降る雨では排水が追いつかず地盤が緩むという。
 阪神大水害は1時間雨量の最大値が47・6ミリで、昭和42年7月豪雨は69・4ミリに達していた。西日本豪雨による土石流で甚大な被害が出た広島県東広島市でも最大54・5ミリの猛烈な雨を記録したが、神戸の観測地点では26ミリにとどまった。
 「ダムや道路の排水設備の整備、植林などに長らく取り組んだことが効果を発揮したのではないか」と沖村名誉教授。ただ、六甲山の地質は広島の被災地と同じ風化した花こう岩でもろく、山上は雨が集まって流れていく川がないため崩れやすいという。「今後、猛烈な雨で山上の土砂が崩れ落ちる可能性は排除できず、避難指示や避難勧告があればすぐに動いてほしい」と警鐘を鳴らす。

(2018年7月22日付朝刊より)

<播州人3号>
1997年入社。自宅近くにもいくつかの砂防ダムがあります。形も大きさも様々で、堰堤やその近くに名称や完成時期などが記された板や碑が掲げられているようですが、フェンスや木々が邪魔してうまく読めません。ハイカーらで賑わう遊歩道沿いにある砂防ダムも多く、案内板や、大雨時の「守備力」を伝える写真などがあればと感じながら眺めています。

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