私が海岸を歩くまでの物語・その1

 日付が2月24日に変わった頃、私は一通のツイートを前に考え込んでいた。それは田中泰延さんが2月25日から27日にかけて、岩手県を訪ねるというものだった。

 今まで首都圏や大阪で開催されたイベントを指をくわえて眺める事しかできなかった私に訪れた、貴重なチャンスだと思った。でも即決はできなかった。

 実は私事で恐縮なのだが、21日にすでに有給を使って休んだばかりだったのだ。それもよりによってポケモンGOのコミュニティデイの為に。あぁ、サイドンなんかのために休むんじゃなかったと激しく後悔したが後の祭り。

 しかし、このチャンスを逃したら次はいつになるのか分からない。そもそも次なんてないのかも。幸運の女神の前髪をギュッと掴むチャンスは恐らく今なのだ。私は前髪しかないと言われている女神の姿を想像してみたが、お皿に描かれている中国の童しか思いつかなかった。

 ではいつ突撃するのか?さすがに仕事が始まる25日に休みを取るのは気が引けた。それなら26日はどうだろう。25日の朝一に有休の申請を出せばなんとかなる。給料は安いが、その辺りの融通が利くのがうちの会社の数少ない利点なのだ。

 そこまで考えて、それでもまだ迷っていた。田中さんは26日は宮古から久慈へ向かうと言っている。実は私が岩手県の沿岸で出掛けたことがある北限が宮古なのだ。そこから先は未知の領域だ。ここから宮古まで片道約200km、タイミングが合わずゴール地点の久慈まで行くことになれば、300kmを走ることになる。かなりのハードスケジュールだ。次の日、仕事できるかしら?一抹の不安がよぎった。

 実はこう見えて、私はあまり丈夫な方ではない。生まれつき弱かったせいか、とにかく体力がない。宮古まで往復した次の日にまともに仕事ができる自信がなかった。なにせ一日中立ちっぱなしの動きっぱなしなのだ。それならいっそのこと、2日まとめて休みを取ればいいのでは?たとえくたびれてしまっても1日休めば回復するはず。私は2日休みを取って岩手に行きますとツイートした。

 



 

 

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