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ぴーちゃんの思い出

 これを読んでくれた方、ぴーちゃんって何?小鳥?って思ったかな?実は宮城県北部では曽祖父をおっぴいさん、曽祖母をおっぴいばぁさんと呼ぶのです。それが一段階くだけた表現になるとぴーちゃんになる。さらにくだけるとピッピ、もはやポケモンです。

 私にはぴーちゃんと呼べる人が二人いました。ひとりは母方の曽祖母、もうひとりは元旦那の祖母、今回のお話はこちらのぴーちゃんが主役です。

 あちらの家族は知らないと思いますが、実はぴーちゃんがいなかったら私は結婚していなかったというほどの重要人物でした。

 専業農家の長男である元旦那との結婚を私の両親は猛反対していました。両親とも農家の出で、農業の大変さ、田舎の濃いご近所付き合いや親族とのしがらみを嫌というほど知っていましたから反対するのも当然のことでした。当時の私は全然わかっていませんでしたが。

 この結婚話が進み出したのは母親の友人の存在が大きかった。仮にAさんとしておきましょうか。Aさんは仕事でたまたまぴーちゃんと知り合いで、あのおばあちゃんはものすごくいい人だよ、あの家に嫁ぐなら安心と言ってくれたのです。

 そんなこんなで嫁いだ私。元旦那がお前とぴーちゃんは似てるというだけあってすんなりと仲良くなったのでした。

 好奇心旺盛で新しいものが好き、手芸や工作が好きなぴーちゃん。「でっかいナメクジがいる」と私を呼びに来て、塩をかけるとどうなるか二人で眺めていたこともありました。このナメクジ10センチはありましたっけ。子供たちもぴーちゃんが大好きで、叱られるとたいていぴーちゃんの部屋に逃げ込んでいました。

 そんな元気だったぴーちゃんも震災当時はすっかり寝たきりになっていました。我が家は2メートルの津波に襲われ、義父が亡くなりました。みんなが諦めていたぴーちゃんは床ずれ防止のマットが浮いたおかげで奇跡的に命拾いしたのでした。

 ぴーちゃんは義母が手配してくれたおかげですぐに施設に移りましたが、結局それ以降私と会うことはありませんでした。震災後、私と嫁ぎ先との縁が途切れてしまったからです。この出来事はまた別の機会に書ければ書こうかなと思います。かなりヘビーな話なのでね。

 そんなある日、私は夢を見ました。夢の中でぴーちゃんはニコニコ笑いながら「けいこちゃん、こんなに自由に歩けるようになったよ」と言いました。目が覚めたとき、あぁ、ぴーちゃん亡くなったんだなと思いました。うちの母親が新聞にぴーちゃんの死亡広告を見つけたのはその直後のことでした。

 結局嫁ぎ先からぴーちゃんの訃報の知らせはありませんでした。うちの息子たち一応曽孫なんですけどねえ。震災後、一度は私の実家に引っ越しましたが、結局元の町に戻ってくることになりました。まるで義父やぴーちゃんに呼び戻されたように。私たち3人はこれからもお墓に会いに行こうと思う。ここには息子たちを愛してくれた、義父、義曽祖父、そしてぴーちゃんが眠っているのだから。



 




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