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雫と波紋とひととひと

どうも、車椅子の夫と暮らす主婦のこぶたです。

昨年末に2人目が生まれ、てんやわんやのわが家。
増える赤ちゃんの荷物をさて、どこに?

ということで家中の片付けを細々とやっているわけですが、
1箇所を片付けると必ず他に歪みが生じて
家中をやる羽目になるなと毎度感じています。

夫の部屋から出した棚をどこに使おう?
上の子の不要なおもちゃ、下の子がいずれ使えるけどどこに?
このお布団は押し入れに。押し入れのこれはここに…

だんだん規模が膨らむのは毎度のことで、気づけば大掃除。

1箇所だけというミクロな場の片付けが
自ずとマクロへと波紋のように広がる
のです。



ああこれ、これ知ってるなぁこの感じ。

そう、支援も同じよ!
同じこと。

一人の人の抱える問題にだけ焦点を当ててケアをしがちではあるけれど
そこだけケアしても、周囲の人にも問題の余波は広がっていて
そこもまるっと包括して考えなければ、問題解決には繋がらない。


私個人も同じこと。
主婦の私の抱える一日の仕事、一つ一つは大したことないけれど
まるっと私の一日のパワー配分を考えれば、引き受けたそのたったひとつが
地味にボディブロー決めてくるかもしれない。

このひとつが出来るかどうかではなく、
それを抱えた場合、一日を乗り切れる余力があるかどうかを鑑みないと倒れてしまう。

経験ありませんか?
ちょっと話しかけただけで怒鳴られたこと。

ミクロで見れば「ちょっと話しかけただけ」かもしれないけれど
マクロで見ればやらなきゃいけないことに忙殺され、
もう余裕がなかったのかもしれない。

経験ありませんか?
質問しただけでキレられたこと。

ミクロな視点では「質問しただけ」かもしれないけど
マクロな視点では、同じ質問をもう100人にされてうんざりしていたのかもしれない。

11滴は大したことなくても、たまりにたまるといつかは溢れてしまう。
容量は人それぞれ。材質も形も人それぞれ。
中には簡単に壊れてしまうコップもあればお猪口のような器もある。

ひとはひとつのミクロ視点で物事を見て判断しがちだけれど
同時に常にマクロな視点を忘れてはいけないなと思ったのでした。

全体として整っていなければ
必ずどこかに歪みはおこってしまう。
それは小さいかもしれないし、大きいかもしれない。

背景は誰にも見えないから、
目先の小さなそのひとつにとらわれがちになるかもしれない。
だけど本当にそれだけかどうかを
それだけでは無いのかもしれないなと言う視点を忘れずにいたいなと、
ASDでシングルフォーカス、目の前のものしか見えない特性のある私が思うのでした。

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