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後ろは振り返らずに ~成長と土台の話~

どうも、この世の全てのイレギュラーを生きるふたです。ユニークな9歳長男、2歳次男を育てています。

ふとある時、
人って、人の中に拡散し蓄積していくんだなと感じました。

いや、それらは長男を育てる中で
彼から学んだことなのかもしれません。

だから今日は、
長男が与えてくれた物を
彼の人生へのエールに代えて
記しておこうと思います。

彼と私の話が、これを読むあなたを
形造る一握の砂となり、岸へ押し上げる一助となることを願って。

蝶蝶結び

ずっと「練習しなきゃね」と言いつつ、
教える機会がなかなか持てなかった蝶々結び。

100均で練習キットを買ったはずなのに、
いざとなると見当たりません。

4年生になると、ほとんどの子が紐靴を履くようになる長男の学校。
「どうする?」
と訊くと、
「僕、別に紐じゃないタイプでも恥ずかしくないから。」
との返答に、ならいいのかなぁ?と思っていた私。

実は私自身も蝶々結びがいまだに上手くは結べず、
大人だというのに縦結びになってしまいます。

スニーカーは何度やっても縦結びで、それを誤魔化すようにさらに固結びをして向きを整えて、解けなくしています。

そこへ夫が、
「練習すらしないのはダメだ!できなくてもいいんだからまずやってみろよ!今からやるぞ!」
とムキになるものだから、
長男はさめざめと泣くし
私は頭ごなしな物言いにため息。

「無理にやらせることでもないし…。」

だけどすぐ寄り添ってしまい、成長のチャンスを逃させてしまう私と、
挑戦させようとする夫のバランスは良く、
案外夫の昭和なやり方が
長男の“できる”を増やしていくことは多いのです。

嫌々ながら、言われるままにYouTubeを見て
その通りにこなしたら何度目かで成功し、
嬉しくなって繰り返し結びます。

結んでは
「見てみて!」
と言い、嬉しくて動画を撮るよう催促し、
連絡帳にも書いた?と催促。

彼も実は、できるようになりたかったのかも知れません。
だけどどうせ僕には難しいから…。
そう、諦めていたのかもしれません。

上手くいかないと
「もう嫌だ!」
となる私と長男はよく似ています。

だけど、投げ出さない夫が
根気よく付き合ってくれたことで
もう、長男は一生のほとんどの時間で
蝶々結びができずに困るということはないでしょう。

夫は彼の中に、「蝶々結び」と共に「投げ出さずにやればできることもある」という礎石を据えてくれました。

きっと、夫もまた
いつか人生のどこかで、
誰かからそれを授かったことでしょう。

環境がかたち造るもの

人々が経験の中で学び得てきた、
考え方や技能を少しずつ授けてくださる。
その教えという防具を受け取り、身につけ、人生を歩んでいく。

そう感じたのは長男が保育園の頃でした。

長く、うがいができなかった長男に
根気よくうがいを教えてくださった先生がおられました。

これでこの子は一生、うがいができるんだ!
というすごい発見に私は雷に撃たれたような衝撃を覚えました。

うがい、お箸、折り紙など苦手なことはたくさんありました。
もちろん家庭でも教えてはいましたが、
親以外から教えてもらう経験は偉大でした。

おともだち効果をご存知でしょうか?

いつも丸めてケースに容れられてきたおしぼりが
ある日きれいに畳まれていました。
いくら教えても、決して畳まれることは無かったというのに。

どうしたのか尋ねると、
「Yくんに教えてもらったの~。」

ともだち効果と呼ばれる物の効果は絶大です。

その日から長男はおしぼりを畳むようになりました。
Yくんは
「おばあちゃんが教えてくれたんだ。」
と言ったそうです。

Yくんを通して、Yくんのおばあちゃんの知識や経験や価値観が、
長男に流動していくことに、不思議さを感じましたが
確実にYくんのおばあちゃんの持っていた一欠片は
長男へと引き継がれたのでした。

先人がかたち造るもの

ある時、うずらの卵が喉につまり小学生の子が亡くなったニュースをみて
長男が

「ああ、僕も口の中に大事にとっとくことあるから気をつけよう。」
と呟きました。

そうやってニュースをみて
気をつけようと思った子は他にもきっと
いるんじゃないでしょうか。

人生は日々そんなことの連続です。
穴に落ちた人がいたから、あそこは通らない方がいいねだとか
叱られる兄を見て叱られない術を学ぶ弟だとか、
日々のニュースの中にも、SNSの炎上の中にも
生活の中にも、コミュニケーションの中にも
たくさんの先人の経験が渦巻き、
日々無意識に私たちはそれを教訓として吸収して行きます。

名も顔も知らぬ誰かの涙や傷や痛みを
踏み台にして。

そんなふうにして今生きるひとたちは
たくさんの先人の智慧や経験に
知らず知らずのうちに、生かされてるなと思ったのでした。

受け継がれたもの ~遺影と私と卵焼き~

私の原風景の彼方に、お弁当に入った海苔を巻いた卵焼きがあります。

海苔の卵焼き



夕方、「ママ見て!ママこれみて。」と本を持った息子に追いかけられながら
冷蔵庫の中身とにらめっこして作った今日の夕食の1品がこれでした。


小さい頃、祖父の家に行くと
いつも私は静かに仏間を見上げていました。

いくつか並んだ古い遺影、
そのひとつがなぜか気になり、
私はいつも眺めていました。

その正体を教えてくれたのは祖父でした。

祖父と私の両親は折り合いが悪く、滅多にこの家を訪れることはなく
訪れても大人たちは常に言い争い、殺気立っていました。

祖父と私は会話という会話をしたことがありません。

実はこっそり、静かなあの家と
無口で頑固な祖父が好きだったけれど、
そんなことは決して誰にも悟られてはいけないことでした。

「おいボク、何見とるんじゃ。あれはな、儂の兄じゃ。
戦争でのうなった(亡くなった)。」

突然祖父に語りかけられ、私は固まり、返事などできませんでした。

いつも男の子みたいな格好をする私を祖父は男の子と思っていたのか、それともわざとなのか「ボク」と呼びました。

その人は祖父の長兄で
当時、多くの人がそうだったように第二次世界大戦で命を落としました。

それから数年して、祖父はぽっくりと
山奥の古いあの家で亡くなりました。

孤独な人生の最後は、孤独死でした。

それから大人たちの争いが起こり、
懐かしい祖父の家は売られ、あの遺影もどこへ行ったかわからなくなってしまい、
二度と再会することはありませんでした。

大人になり人生に悩んだ瞬間がありました。
その時なぜか私の頭にあの遺影がふっと浮びました。

もう、顔も思い出せない。
もう、雰囲気しか思い出せない彼が
ふっと脳裏に浮んだのです。

「あなたの生きていた形跡はもうどこにもない。
あなたは何も残せず亡くなって、何のために生まれて来たのかわからないとは思わないのですか?
あなたの生きた証は写真1枚残っていない。遺骨の1片すらもなく、あなたは何のために生きて、命を落としたのですか?
あなたが生きてきた意味はなんですか?」

そう問うてみて、
なんだかとても悲しくて、とても愛おしいような気持ちになり、
突然思い立ち、彼を根こそぎ拾いたくて
すぐに戸籍をとりました。

戸籍に書かれたたった数行の彼の記録をを手がかりに、私は彼の生きた証を探しました。

独り身だと思った彼には妻がいました。
けれど2人に子はなく、
彼の死後、妻は実家へ返され
家族を作り、幸せな人生を送られたと聞きました。

その後ひょんなことから、彼の戦死状況を伝える手紙が見つかりました。
震えながら彼の死の状況を読み進めていくと、そこには涙のあとがありました。

母親なのか妻なのか、はたまたま父や弟だったのか
涙の主ははわかりません。

ですが、彼の死を悲しむ人がいたことに私は驚き、嬉しく思いました。

と同時に、彼が守りたかったのは
この涙の主だったのかもしれないと気づきました。

彼はこの涙の主を守るために戦いに行ったのかも知れません。
母や妻や幼い兄弟を守りたかったのだとすれば、その先に生まれた私の人生をも彼は間接的に守ったのでしょう。

その後、様々な事実に突き当たり
彼が亡くなったということが
祖父や父や私の人生にまで深く深く及んでいることが分かりました。

「なんだ。あなたのものは今の世に何もひとつも残らなかったけれど
あなたは生きていたんだ。
その生は妻や祖父やその兄弟たちや、父や私にまで、
良くも悪くも少しづつ影響を与えて、今に至っている。」

私は彼の人生を僅かばかり受け継ぎ、
これまでとこれからを生きていくのです。

「そう言えば海苔を巻いた卵焼き、
お弁当によう入れてたやつ。
あれはおじいさんがよく作ってはって
教えてもらったんや。」

と久しぶりに帰省したある日、母が言いました。

祖父が考えて作ったのか、それとも曾祖母から伝わったのか
誰かから教わったのかはわかりません。

ですが私の中にも、あの家の誰かの営みがしっかりと根付いて生きているんだと確信しました。

そしてこう思ったのです。

人は影響しあって生きている。
何も残せない無駄な人生なんてひとつもない。
だから私は怖くない。
私が生きていたことは、
生きていたという事実がある限り、必ず誰かに及んでいる。
だから私は怖くない。

それは、長男にまで連綿と織り成された糸なのです。

いつか私の手を離れる君へ

子どもたちには私と同じような人生は
できれば歩んで欲しくないと思っています。

私は遠回りをし過ぎました。
宗教虐待、性被害、DV、貧困、自殺未遂、病、10年近くを費やした長すぎた不妊治療。

少々、波乱万丈な人生を選びすぎました。

骨格や体型、体質が遺伝するように
脳の性質は遺伝すると医者から聞いたことがあります。

だから似たような脳で
似たような人生送らないのは
結構難しいことなのかなとは思いますが

私と似たような人生を送らない!
ではなく

もしたとえ、私と似たような人生選択になってしまっても
前を向いていられるよう、
防具をつけてやるのが親の仕事なのかもしれません。

身につけておけば、
私がいなくなっても
息子たちをきっと守ってくれることでしょう。

いや、そんな能動的な守備力を教える必要はないのかもしれません。

たくさんの経験を与え、
死なすまいと乳を与えて生き延びさせ、
喜ばそうと絵本を読み言葉を覚え、
笑いかけたら抱きついて
人を信頼することを知り、

服の着方、体の洗い方、歯の磨き方、
洗濯の仕方や風呂の洗い方、
苗の植え方やご飯の炊き方、
ベーコンの焼き方、目玉焼きの作り方に
お味噌汁の作り方。

助けの求め方、NOを提示すべき場面、
友だちへの謝り方、上手くいかない時のマインドの持ち方、
困ったら助けてくれるかもしれない大人へのアクセス方法…などなど

そうやってたくさんの
私の知識や経験や
持ちうる限りの愛情を散りばめてきたのですから
それらで長男は自分を大切に守ってくれる防具を作れるはずです。

そして様々な人の叡智や経験が
日々の関わりを通して
混ざり合い、重なり合って
長男の礎となり、彼を形造っていってくれるのです。

だから君はたくさんの人の手に
支えられて、守られながら生きている。
きっと大丈夫。
安心して大海に漕ぎでていけばいい。

後ろは振り返らずに!

このnoteは、
この世の全てのイレギュラーを生きるふたがユニークな9歳長男、2歳次男を育てながら気づいたこと、感じたことを綴っています。

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