教育や訓練に「コスパ」と「タイパ」は求めるべきなのか
新年明けましたね。
令和6年能登半島地震で被害を受けられたみなさま、ご家族や関係者のみなさまには1日も早い日常が戻ってくることを切にお祈りしております。
書初めには似つかわない話
大みそかに実家でふっかけられた喧嘩。
ふと思い返してみれば幼少期から我が両親は教育に対してお金をかけないという方針ではなかったものの、
なんでそれをするの?
意味あるの?
それをやったことで効果や成果はあるの?
と詰めてくるタイプでしたわ。
お金は大事だよ〜
という、某アヒルの保険会社のCMではありませんが
お金は有限であり、使い方次第でいろいろな可能性を広げることにも狭めることにもなります。
ですが、教育や訓練(習い事も込みで)というのは実際にやってみなければ効果や成果は分からないものであるというのが僕の考え方です。
もちろん闇雲でいいって話ではなく
例えば、ABCDを期待していったら
aJKPTがリターンとして得られたけど、
AはaになってしまったしBCDに至ってはJKPTに変わってしまった。
けれど、もともと3つ得ようとしたところ4つ得ることがあったとも取れます。
習い事とか塾
話は小中高に戻ります。
進研ゼミだけで何とかなった小学生
小学校の時は、
親が決めたスイミングと英会話に小5?位から始めた進研ゼミ(日能研やめたので)。
あとは、たまたま小3のときに受けた日能研のテスト(当時はテスト受けるとゲームボーイのソフト貰えたんですよね確か)で、特進判定が出て舞い上がった両親が珍しく入りたいなら入ってもいいよと言われて、自分の意志で初めて習い事を始めたのを覚えてます。
井の中の蛙過ぎて勘違いの中学生
まあ、中学も神奈川県内で下から数えたほうが早いほどの素晴らしい学校に通っていたので上位3人くらいと常に順位を争っていました。
進研ゼミでは、本当に糠釘すぎて手応えもなくつまらない日々。
いざ、高校受験を見据えても神奈川県の県立高校の問題は応用もなく、淡々と標準的な問題。
何かのきっかけでZ会を知り手応えのある添削指導を受け、楽しく勉強していました。
が、いざ進路選択となったとき。
両親とも公立高校出身だったのもあり、私立はあくまでも滑り止めでしかないという姿勢は全く崩れませんでした。
これが後々大失敗だったことは高校の章で書きたいと思うのですが、県立かぁ。
制服もダサいしなあ。
うぬう。
と思いつつ、偏差値66以上でなければ電車通学は認めないし、ケータイも買わないという強権政治さながらの教育方針だったので、ラジオを友達に勉強に明け暮れていました。
人生初の挫折と失望を体験した高校
まあ、ここ書くだけで1つの記事になってしまうのでザックリにしたいのですが。
簡単に言えば、入ってすぐの学力診断試験で、316人中130位くらいを叩き出してしまい国公立はおろか、私大も早慶は無理!
っていう現実を突きつけられて心が折れました。
あとは、高1の間には2人も同級生が亡くなって死が余りにも近いものという意識と、自責の念に取り憑かれることとなりました。
大人のことも信用できず、親のことも信用できず、孤独を極め自分の居場所である生徒会室が唯一自分らしく居られる場所となってしまいました。
もう一度距離を置こう
今、せっかく愛している大切な人と一緒に暮らせているのだから実家に近づく必要はないなと。
もう両親が知らないけれど、連れが知っていることや支えてくれていることはゴマンとあります。
ここで、自分が実家に後ろ髪ひかれることは全く人生に得ではないなと改めて再認識した2024年。
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