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親「だから」好きじゃなくてもいい

お久しぶりの天野こだちです。
今回は、特に役立つような記事ではないし、大半のひとには必要ないものです。
でも、私みたいに長年苦しんできて、「どうにかしたいのに!」と思っている人がいるかもしれないと思い、シェアします。
読んでみて、「そんなこと言ったらダメ!」と感じた人には、必要ない記事です。
今すぐウィンドウを閉じて、他の記事を探して下さい。
なんとなく心当たりのある方だけ、お進み下さいませ。

道徳的な正しさと自分の感情

タイトルを読んで興味を持って下さった方は、何かしら引っ掛かりがあるのかも知れません。
「本当はそう思っているけれど、誰かに言ってみたら否定されたから、口に出せなくなった」
こういうことは、世の中にたくさんあります。
例えば私は、小学生の時から「早く死にたい」と思っていました。
理由は省きますが、最初に口にしたのは9歳の時です。
でも言葉の表面しか知らない他人には、道徳的な観点から、「そんなことを言ってはいけない」と否定されます。
命は大事だから、周りの人が悲しむから、生きられない人もいるんだから。
「道徳的に考えて」正しいことを押し付けられます。
私の感情など無視して。
だから口をつぐみました。
自分の感情、気持ちにふたをして、見ないフリをして。
結局、自分の体への嫌悪感が自分の体を攻撃して、更に動けなくなることに自己嫌悪するという悪循環を生み、自家中毒を起こしました。
今も嫌悪感はあるし、受け入れることを拒んでもいます。
「受け入れるのが当たり前だから」という道徳。
私自身がどう思っているかは、道徳的な正しさとは無関係です。
道徳的な正しさと自分の感情が、イコールとは限らないということです。
上の例は、私の自分に対する感情です。
これが対人でも、当然同じことが起こります。
特に縁を切りにくい、親や家族など目上の保護者に対しては、強く。

親は(尊敬/好き/信頼)するべき存在?

世間一般、大多数の人々は、自分の親を(尊敬/好き/頼る)等、良い感情を「持っているべき」だと思っています。
道徳的に正しいから。
恩を感じているから、育ててくれたから、大学まで通わせてくれたから、好きな道を応援してくれたから、等々。
でもこれは、「親だから」ということが大前提にあるのであって、親を個人として見た時に、果たして(尊敬/好き/信頼)を出来るのか?
常識を疑うことをしない人は、ここでつまづくのでしょう。
考えることを止めてしまう。
親は(尊敬/好き/信頼)するべき存在だという、道徳的な正しさを優先してしまう。
そうしておかないと、出る杭が打たれることを知っているから。
考えることを止める(疑問を否定する)まで、コンマ何秒の世界だから、自覚もないかも知れませんね。
一般常識というフィルター=色眼鏡=度付きレンズ=バイアス、そういう思い込みから生まれるものなので。

では、「あなた」自身はどうでしょう?

親を「好きじゃない/嫌い」と感じている感情

親を「好きじゃない/嫌い」と感じたことはありませんか。
または、親に疑問や違和感、理不尽を感じたことは?
親の性別は関係ありません。
そういった感情を感じた時に、瞬時に「こんな風に考えちゃいけない」と、否定しませんでしたか?
考えてしまったことで、「(私/僕/俺)は悪い子だ」と自分を責めませんでしたか?
否定と自責が、一般常識というフィルター=色眼鏡=度付きレンズ=バイアスが働いている状態です。
親を「好きじゃない/嫌い」と感じたこと自体は、あなた自身の感情なのに。
否定し続けて、見ないフリをし続けて、ここまで来たのかも知れませんね。
心の隅、奥底に追いやってしまった感情が、あなたの中で泣き続けているから、今、この記事を読んでくれているのかも知れませんね。
そうでなければ、タイトルを見て否定する人が大半でしょうから。

道徳的な正しさは、一旦横に置く

親でも保護者でも構いませんが、相手を「好きじゃない/嫌い」だと、感じたことがある方。
あなたのその気持ちは、「あってしかるべきもの」です。
親と言えど、自分とは別の人間なのですから。
他人に「合わない人」が居るのと同じで、親でも「なんか合わない」程度はあるのが当たり前です。
それぞれ違う人間が二人以上いれば、良い感情も良くない感情も生まれます。
つまりは、「好きじゃない/嫌い」も、当然あるものです。
だから、過去に(もちろん今も)親に対して「好きじゃない/嫌い」と感じたあなた自身の感情は、否定しなくていいんですよ。
感情では「親、ヤダ」って思っているのに、道徳的な観点から「そんな風に思っちゃいけない」と考え直さ「なければならない」のは、苦しいですね。
感じていることを受け入れられなくて辛いし、自分自身に理解されなくて悲しいですね。
親を「好きじゃない/嫌い」と思ったこと、感じたこと自体は、感じていていいんです。
「そうか、私はそう思っているんだな」と、感情が胸の中にあることは、感じていましょう。
感情であっても、自分を否定しなければならない、考え直さなければならないのは、辛いし苦しいし悲しいし理不尽だし、到底受け入れられない状態です。
だって、「(私/僕/俺)は、そう感じている」んだから。
だから、道徳的な正しさは、一旦横に置きましょう。
あなたが自分で感じていることに、無理矢理適用しなくていいのです。
辛い苦しい思いをしているのは、あなた自身だから。

親「だから」という社会的な「呪い」

大前提として、社会的に親という立場の人は、無条件に(尊敬/好き/信頼)するべき存在だと、認知されています。
ただ「親」だというだけで。
でも、「親」の立場を利用して子供に害を成す人間も、大勢居ます。
社会的には、何かしらの事件が起こった時に、「あの人は親としての資格がない」とレッテルを貼られます。
事件が起こった時に、やっと。
事件として表面化していなければ、「親」として最低限でも機能していると認められてしまう。
親自身の知識がない、理解していない、何かの障害を持っていることに気付いていないなどは、社会的には何も関係がないのです。
「親なんだから」。
これが、一般常識というフィルター=色眼鏡=度付きレンズ=バイアスが働いているということです。
子供にとっては、本当はそうではないのに。
親「だけど」機能や責任を果たしていない人は、表面化していないだけで、本当はたくさんいるのです。
一口に「虐待」と言っても、身体的な虐待以外にも様々な種類があることと、同じです。
社会的にはあまり認知されていないから、発見が遅れる。
「親だから」「ちゃんとしてる」「はず」。
でも、社会の大多数は、その親子に直接の関わりがありません。
当事者がどう感じていても、所詮は外野が騒いでいることです。
「あなた」が感じていることとは、違います。

親を(尊敬/好き/信頼)でいる理由を探さない

相手は「親」の役目を負っている一人の人間。
そして、(私/僕/俺)も当然、一人の人間です。
「親」だから「子供」だから、同じ考えかた感じかた方針だと思うのは、単なる甘えです。
相手に甘え、自分が自分で考え行動することを「していない」という甘えでもあります。
では、個人対個人だとして、親との関係や考えかたなどを客観的に捉えたら、「親」に対しての感情はどうでしょう?
相手が上司/先輩など、身近な目上の人だと仮定すると?
「親」というラベルをはがして見た時、相手は(尊敬/好き/信頼)するに値する人間なのか?
今、あなたが感じたことが答えです。
最初に心からこぼれた気持ちが、本音。
肯定でも否定でも、何でも「(私/僕/俺)の気持ち」です。
嫌いなら嫌いでいいんです。
感じたことを打ち消さなくていい。
「そんなことはない」と考え直さなくていい。
親を(尊敬/好き/信頼)でいる理由を探さなくていいんです。
それが「あなたの本当の気持ち」であり、「ずっと見ないフリをしてきた小さなあなた」だから。

親「だから」好きじゃなくていい

何故ならば、相手は「親」である前に一人の人間だからです。
ひとりの人間として(尊敬/好き/信頼)出来る相手なら、あなたは自分の感情との間で揺れ動いたり、苦しんだり悲しんだり、しなかったはずです。
そして今も、していないはず。
この記事を読んでいるということは、「今も苦しい思いをしているから」ではありませんか。
親だけど好きじゃなくていい。
親「だから」好きじゃなくていい。
親を(尊敬/好き/信頼)しなければならない理由を、探さなくていいんです。
親を(好きになれない/嫌い)なあなたを、否定しなくていい。
(好きになれない/嫌い)な自分を、責めなくていいんです。
正しいも間違いも何もなく、「あなたが」苦しんだり辛かったりしている気持ちは、あなただけのものです。

誰かのために、自分の気持ちを隠したり見ないフリしたり、殺したりしなくていい。
あなたが、自分のために。

最後に

だからと言って、産んで育ててくれた親を軽んじていいという話ではないので、悪しからず。
ただ私と同様、親との心の距離に苦しんでいる人が、せめて「自分の気持ちを否定しなくていいんだ」と、気付いてもらえたらいい。
その気持ちは確かにあなた自身のもので、あなたの感情と道徳的な正しさは、全くの別物だということを、知って欲しい。
あなたはあなたの気持ち、感情を、無視しなくていいんですよ。
まずはそこから。

最後まで読んで下さって、ありがとうございました。
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2023.11.10
天野こだち

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